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「あれが井戸茶碗です」と言ってしまった

「土曜日に、お稽古にいらっしてる方ですよね」
 と、いきなりアラヒィフ(50絡み)だと思われる、和服を清楚に着こなした女性に声をかけられた。場所は、通っている茶道教室の開校記念のお茶会の待合室。和服で着飾った女性が続々と入ってくる。そんなところで声をかけられた。同門ということで、この場合は「社中」とも言うようだが。
「そうです。その節は……」
 と応えたものの、お姉さんからせっかく声をかけていただいたのに、はっきりとは思い出せない。あやふやに返事をする。恐縮である。多分、先日のお稽古で「次客争い」を演じた女性だろうと……。
「いつもは、洋服でいらっしてますよね」
「ええ、そうです」
「茶道を習われて、長いんですか」
 と、話のとっかかりを見つけるために、ありきたりな質問をした。
「今年の一月からです」
「僕は去年の九月からで、ちょうど一年です。お茶会は何度目ですか」
「今回が初めてです」
「僕は二度目です」
 いつのまにか私がほぼ一人で、話をしていた。
「今年の正月は東京国立博物館に、長谷川等伯の松林図屏風を見に行きましてね」
 と言う話から、
「そこで同時に展示されていた千利休が指導して作らせた、初代楽長次郎作の黒楽茶碗を見ました。あと、織田有楽斎の大井戸茶碗とか。もう一つ、国宝の“卯花墻”も」
「イド茶碗のイドって、水を汲む井戸のことですか」
「そうです。お茶碗を覗き込むと、その中が井戸の様に深く感じるということから、そう呼ばれたようです」
 この辺で止めとけばいいのに、つい調子にのって、
「ただのエロジジィと思われていたのが、最近はアカデミックな話をするんだと、茶道を始めたおかげで周りの評価が上がりました」
「クスッ」
 と、失笑を買ってしまった。
 とりあえず流れで、茶会の席にはお姉さんと肩を並べて座った。全部で40人くらい入っていた。
 お点前は、おっしょさん自らが点てていた。
 正客に濃茶が、黒楽茶碗で出された。次客には、先ほど話題にした「井戸茶碗」で出された。
 それで、つい調子に乗って隣りに座ったお姉さんに、
「あれが、井戸茶碗です」
 と、言ってしまった。言った後で後悔した。本当に、そうだろかと。何せ7〜8メートルほど離れている。そのため形、色はそれであっても、一番の特徴である高台の梅花皮(カイラギ=サメのおろし金のようなボツボツ)は確認できない。そうこうしているうちに、お茶会は一応終わりを告げ、参加者がそれぞれ道具の説明を聞くために、おっしょさんの周りに集まったり、床の間の掛け軸や花、香合を見たり。本当は、お姉さんと一緒に回りたかったのだが、ここはあまりしつこくするのもなんだと思って、彼女との距離を取った。
 彼女も同じ気持ちだったらいいのになぁ、と思いながらも、別の三十歳半ばのスーツ姿で参加していた男性と、いつの間にか話し込んでいた。
 茶会の席での彼女との会話の中で、「いろんな茶道の宗派は、表千家から分かれたと聞いています」と言っていた。そういえば、一月に彼女がおっしょさんに入門の挨拶をした時、
「五年あまり、表千家で習っていました」
 と言っていたのを思い出した。裏千家のお稽古については、今年の1月からということのようだ。またもや失態を演じてしまった。茶道では、彼女の方が姉弟子である。それなのに、生意気にペラペラと喋ってしまった。後悔、先に立たずである。

 それでも一週間後のお稽古が、今から楽しみである。


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