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「国宝 松林図屛風」は、誰の作? ー⑨

 今僕は、三つのものに取り憑かれている。それらは半年余り前から、僕の自由を奪いはじめた。
 一つは、スガシカオの「黄金の月」。二つ目は「長谷川等伯」。三つ目は「千利休」である。
「黄金の月」は、感動のセンサーである心に。後の二つは、心ともう一つ、思考回路を司る精神を、である。徐々にその器である肉体の行動パターンまでも侵食されつつある。

 土曜日になると利休の住処である「茶道教室」を目指してしまう。通えない週は損をしたような気持ちになる。
 さらにパソコンを開くと、ヤフオクの「抹茶の茶碗」に、目が釘付けになってしまう。
 あと、同じ様にパソコンを開くと検索窓に「長谷川等伯」と打ち込むか、「松林図屛風」と打ち込んでしまう。たまに、「yahooパートナー」の「足あと」ものぞく。ときどきです。
 そんな中で等伯について、根底から彼の評価を覆すような大問題に行き当たってしまった。それは、「松林図屛風」の落款は、後からつけられたもので、いつ、どこで、だれが、何のために描いたのか、具体的で客観的な根拠が何もないという事実に、ブチ当たってしまったのである。しかも、「松林図屛風」は、国宝に認定されている。つまり、認定の際に鑑定した人間の主観以外には、根拠が無い、という事になる。事件なら、どう見ても状況証拠以外には確定する材料は無い、ということである。
 それでも「国宝 松林図屛風」は、長谷川等伯の作品であると、広く国民に認知されている。

 作品そのものは、土佐出身の政治家、福岡孝弟(たかちか)の旧蔵で、昭和22年(1947)に福岡家から東京国立博物館に移された。それ以前の来歴は、一切不明なのである。
 いつ、どこで、誰が、どういう根拠で等伯の筆によるものと確定して、国宝と認定したのか、その過程に興味が湧いて来た。取り憑かれている私です。

創作活動が円滑になるように、取材費をサポートしていただければ、幸いです。