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「哲学」よりも、「気持ち良くて、好きな暮らし方」を学ぶ

  茶道に期待するモノは「利休学」ではなく「暮らし学」だと、この数日の疑問に結論を下した。そう思うと気持ちが楽になって、次に進める気がした。堺の商人の家に生まれ、茶の道を志して天下に名を轟かせ、その挙句に切腹させられてしまった利休。権力、名声、財力、地位のすべてを手に入れた挙句に、権力者に「阿る(おもねる)」ことを拒否して、切腹の道を選んだ彼。その彼から感じるもので、一番最後に残った物は「人間臭さ」である。そう思うと、茶道を学んで半年の私が評価するには乱暴ではあるが、彼の辿ってきた全ての軌跡が、許せる気がした。

「茶道は、好きか嫌いか?」と問われると、「好き」である。あの凛とした空間の茶室にいる時間は至福の時間である、と感じる。「茶禅一味」の言葉も「心地良い」。「和敬清寂」もそれなりに。

「じゃあ、利休は?」との問いに関しては、「うーん、人間です」と答える。「それ以上でも、以下でもない。自分の欲望に正直に一生懸命生きた人!」という感慨である。

 そんなことを思いながら、YouTubeで「美の壺」の「古民家」「いろり」「李朝家具」と言ったコンテンツを見ていたら、「気持ちいいか、そうでないかなんだ」と、ふと思った。で、タイトルの一文になったわけである。

 茶道からは「哲学」を学ぶというよりは「好きな暮らし方」を発見して、生活に取り入れられる物や考え方は取り入れる、と結論付けた時、私の気持ちが楽になったのである。

 うーん。これで本日の茶道教室に、すっきりした気持ちで参加出来そうだ。しかも、「炉の薄茶点前」の先生の見極めに、何の「心の迷い」もなく。

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