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宮中の茶の湯と俵屋宗達の関係が繋がり、そして絵のコンセプトがつかめそう!

「光琳派は茶道の表現」という岡倉天心が書いた「茶の本」の一言を羅針盤に、宗達の絵のコンセプトを探し求めて二ヶ月余り彷徨い続けて来た。そして、ついに一筋の光明を見つけた。
 まずは、いつもの茶室でのこと。
「わびとさびの違い」について兄弟子の一言がヒントになった。二人の会話が小堀遠州の話になった時のことである。私が、
「小堀遠州は、綺麗わび」
 と言った。すると兄弟子は、
「綺麗さびでしょ」
 と訂正して来た。私は、
「いや、綺麗わびです」
 と引かなかった。しかし、後で確認した。すると、こんな一文にぶつかった。
「わびは内面的な意味で古びて味わいが醸し出されている様。さびは、時間の流れと共に醸し出された外面的美しさ」
 とあった。つまり「綺麗さび」が正しかった。それが分かったと同時に、これはあのことかとハタと気付いた。
 例えば、俵屋宗達が沢山作った「扇面散屏風」である。屏風に散らされている源氏物語などの絵は古い物語である。しかし、金箔が貼られた屏風の一面一面で煌びやかに装いも新たに華やかに、その時代に蘇っている。このことが「綺麗さび」を解く鍵かも知れないと思った。そう言うふうに「綺麗さび」の判断基準が一つ明確になると、あれもそうだ、これもそうだと岡倉天心の言葉に宗達の作品が合致していることに気付き始める。目の前が明るくなった。
 さらに、同時代を京都で生きた徳川和子(まさこ)である。彼女は後水尾天皇に嫁いで宮中に入った。彼女は茶の湯を嗜んだと記録にある。さらに彼女は、側づかえの女官たちにも茶の湯を学ばせた。そして、千宗旦を宮中に呼び寄せた。
 宮中に参内した宗旦は、和子のために特注でお点前のための棚を作らせた。それは「青漆爪紅台子」と言うお点前用の棚である。本来ならわび茶の宗旦だから、古めかしくて枯れた感じの棚を和子に勧めるはず。ところがこの時に贈呈した台子は、宮中の趣に合わせた華やかな台子だったと記録に残っている。この先は、和子は天性の茶目っ気と奮闘で、宮中をひっかきまわしていくのだろう。多分……。

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