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『波乱万丈の未来を予見させる』ような人物描写 を可能にする、一本の線……

『対象を捉える目が深ければ、技法など二の次である。(中略)今の姿はもちろんのこと、未来にたどるであろう波乱万丈の未来を予見させる出来栄えとなった』

 上の一文は、安部龍太郎の「等伯」の一文である。この個所を読んで、東京芸大の前身である岡倉天心が初代校長の東京美術学校を出た、義父の言葉を思い出した。
「才能があっても、表現する技術がなければ、才能も無いに等しい」
 と語っていた。作家・安部の一文とは、一見、相反するように思えるが、一概には、そうとも言えなさそうである。安部の一文は、義父のレベルの上の話であると思えば、辻褄が合う。
 さらにもう一文。安部の作品、「等伯」から。
『絵のことは分からへんけど、線が死んどるくらいは、見えますよって』
 という一文が出て来る。これに似たような事を義父も言っていた。
「線のタッチが全てです。そこに、その画家の全てが現れます」
 私は多少は酔っていたかもしれないが、義父は下戸である。しかし、彼のこの一言も、彼のいくつかの言葉の一つとして、私の心にしっかりと刻み込まれている。
 30年ほど前。日産の自動車のデザインを担当している会社の社長から聞いた話しだが、
「道具が同じだと、デザインも似て来る。それはデザイナーの一本の線の個性を、道具が殺してしまっているからだ」

 『AI』が、『人間の感覚』の領域にまで進出してきた。

 人間の感性の領域である表現技術、対象を捉える目、そして、一人の人間の『たどるであろう波乱万丈の未来を予見させる』ような出来栄え。そんな作品をいつの日か、テクノロジーが凌駕されてしまう日が来るのだろうか。

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