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果たし合いで茶人が剣士に勝った。その方法は…

「一つの道を極めた人は、他の道を極めた人と同じ境地に達する」と言うことがある様だ。
 欧米に禅を紹介した鈴木大拙の著書の中に、次の様な話が紹介されている。
 ある藩の殿様にお茶を教えている茶人がいた。殿様は、その茶人をたいそう気に入って、江戸に連れて行きたいと思った。江戸で、その茶人のお点前を他の大名に見せて自慢したいと思い描いた。江戸に同道させるためには身分が藩士でなくてはならない。そこで、茶人を藩士に仕立てるために、差したことのない大小の刀を持たせ、とりあえずは武士の格好をさせて同行させた。
 江戸に着いた茶人は二本差しの姿で、街に散歩に出た。そこで浪人に決闘を申し込まれる。決闘を申し込んだ浪人は、男は武士であっても剣術の腕前は大したことはない、とふんだ。そして、いずれ金銭で解決しようとするだろうと見込んで、決闘を申し入れた。一方、茶人は剣術の覚えはないが、武士として死ぬ覚悟を決め、後日を約束して別れた。その足で街道場に駆け込んだ。そして、主人に頼んだ。
「私は武士の格好をしているが、本来は茶人です。浪人に果たし合いを申し込まれたが、剣術の腕前はない。しかし、同道させてくれた殿の手前、せめて武士として恥ずかしくない死に方をしたい」
 と、教えを請うた。主人は、茶人にお点前を所望した。茶人のお点前を見た主人は言った。
「そなたのお点前は、確かに素晴らしい。一つの道を極めた者の持つ境地が、そなたには備わっておる」
「して、果たし合いのおりには、いかように」
「果たし合いで相手の前に出たなら、そこで支度をしなさい。その時、そなたがお点前の所作を一つ一つきちっとこなしたのと同じように、果たし合いの支度を一つ一つきちっとこなして相手の前に立ちなさい」

「それでは、ただ討たれるだけでは……」

「さよう。相手の前に出て刀を上段に構え、そして目をつむる。精神を相手に集中させ、相手が打ち込んでくると感じたら、勢いよく刀を振り下ろしなさい」

「それで、勝てますか」

「いえ。勝つことはできないまでも、相打ちにすることはできるでしょう」

「わかりました。それで殿への面目が立ちます。ありがとうございました」

 果たし合いの当日。茶人は道場の主人に言われたように、浪人の見ている前で身支度をきちっと整えた。そして浪人の前に立ち、ゆっくりと剣を上段に構え、おもむろに目を閉じた。浪人は茶人と対峙したものの、打ち込む隙が見つからない。やがて浪人が業を煮やして、言った。

「失礼つかまつった。全く隙がござらぬ。それがしの思い違いでござった」

 といって、浪人はその場から逃げるように走り去って行った。

 世界に日本の禅を紹介した鈴木大拙の、本の一節である。重く受け止めたい。

 たかがお茶を飲むための、一連の動作である茶道のお点前。しかし、その動きを通して見る者に、いろんな思いを想起させる力があると最近、私は感じるようになった。

「一番の得意が、一番の弱点になる」

 という言葉がある。さしずめ、にわか剣士の茶人から逃げ出した浪人は、剣の腕前に覚えがあっただけに相手の立つ境地が見えて、刃を交す前に「こやつには、敵わぬ」と、判断してしまったのだろう。

 確かに、茶道の教室でお弟子さんたちのお点前を見ていると、

「こいつは、何か持っている」

 というようなお手前をする生徒に出くわす。茶道を始めてまだ一年の未熟者の私が判断するのだから、本当は大したことはないのかも知れない。でも、その時点では奴の方が、お点前の腕前は上だと思う事自体は、真実である。


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