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チョコレートケーキはしっとり、人はしっかりね

 最近の銀座や六本木のミッドタウンあたりで、シニアのカップルをよく見かける。大概、違和感を感じる手のつなぎ方をしている。多分、マッチングアプリで知り合ったカップルの初デートか2、3回目のデートなのだろう。私たちも、その中のひと組だった。
 この先のプランを実行に移すための前哨戦として彼女に質問した。
「今日は、ゆっくりできるの?」
 彼女は一瞬の沈黙の後で答えた。
「娘が家にいる」
「そうか。ラブホテルに入ったことある、リサ?」
「ない」
 二人の間に気まずい雰囲気が瞬間流れた。
 話題の焦点を濁すために、私は一言付け加えた。
「僕はあんまり、あれの方は自信ないんだけど」
 するとリサは、少し間を置いてわずかに困った表情で言った。
「私も、自信がない」
「そうか……」
 私はその一言で、救われたような気がした。それと同時に彼女の機転の良さを感じた。沈黙されたら、私はその場でフリーズしてしまっていたかもしれない。
 私はプランの変更を決断して、プランBを実行に移した。
 三越に入ってエレベーターを待つ。三連休の中日ということもあって、かなりの人がエレベーターを待っている。
 12階に上がって、レストラン街に入った。イタリアンかスペイン料理に決めた。順番待ちの間、私は京都に旅行したいと思っていることを彼女に話した。
「京都に行きたいと思っているんだ。リサも一緒に行く?」
「京都は、私も好き」
「今書いている小説は俵屋宗達という絵描きの話なんだけど。彼の作品が、京都の建仁寺にあって、国宝に指定されている」
「建仁寺?」
「本物は京都国立博物館にあるんだけど。その精巧な複製が建仁寺で展示されている」
 そんな話をしているうちに店のスタッフに席に案内され、注文を済ませた。
 二人は「パエリアのランチセット」を、それぞれ種類を変えて注文した。席に運ばれてきたパエリアを、取り皿に半分づつ取り分けて食べる。その時、彼女の取り皿をみると、一度取り分けたパエリアを食べ終える時、皿の上の米粒を綺麗に食べていることに私は気が付いた。あと3度くらいパエリアを銅製のパンから取り皿へ取り分けて食べるのにである。いちいち、皿の上の米粒を一つ残さず綺麗に食べている。そんな人間を一度だけ、前に見たことがある。週刊誌時代の若い男性カメラマンがそうだった。彼の父は、旅客機の整備士だった。その父に言われたと彼は言っていた。翻ってそのことから、彼女の育ちの良さを感じた。
 デザートの木の実の入ったチョコレートケーキが運ばれてきた。私は一切れ口に入れた。
「このチョコレートのケーキ、しっとりしている」
「しっかりね」
「ううん。しっとり」
「ケーキはしっとり、人はしっかりね」
 微笑みながらリサは、不完全で慣れない日本語の確認をしている。
「イイね、それ。そのまま使わせてもらうよ。ケーキはしっとり、人はしっかり」
 二人で笑った。笑いのツボが合っていることに、事実以上に喜びを感じた。

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