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映画【ニューヨーク公共図書館】の感想

東京や大阪などでの封切りから、ちょうど4か月ほど遅れて、松山でも上映中〜

とはいえ、公開は1週間だけ。それも、14時過ぎから18時までの1日1回きりって・・・勤め人は、この連休くらいしかチャンスないじゃん

都市部の知りあいたちも、こぞって話題にしてたドキュメンタリー。「早速、行くべし!」と連休の初日(9/14)に、出かけてみた。

ニューヨーク公共図書館(以下、NYPB)って『ゴーストバスターズ』とか『ティファニーで朝食を』などの映画に出てきたところか・・・そんなくらいの認識だったが、世界でもっとも先進的な図書館として、全世界の司書たちの憧れの場所らしく、観光スポットでもあるらしい。

図書館を「バーチャル視察」するみたいな感じか? ということで、関心ありそうな友人たちに声かけて鑑賞。その後のおしゃべりをもとに以下、感想を記録〜

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■ 松山の芸術系映画館・シネマルナティックにて
9/13〜9/19 ● 14:25から1日1回上映

1★ 上映時間は3時間25分・・・途中の休憩で、友人のひとりは帰宅するし、もうひとりは居眠りしてるし、

わたしも見終わった後、情報不足を補うため、そうとう久し振りにパンフレットを買い求めるなど(子どもの頃『天空の城ラピュタ』のパンフを買って以来だ・・・)、まさに最先端の図書館を視察研修したようで、ヘトヘトに疲れたが、たいへん啓発されるドキュメンタリーで、

この作品=NYPBを語るとき、一般的なエッセンスは、このあたり。
・「図書館」の域を超えた「図書館」
・ 公と民の協働、市民参加

本を貸すだけではなく、移民への英語講座や、就職支援、障害者のための住宅手配、子どもたちのプログラミング授業、情報弱者へのwi-fi機器の貸し出し、高齢者のダンス教室など・・・スタッフ会議ではホームレスの図書館利用について議論したり、コミュニティの課題について、図書館・発のプログラムが、これでもか!と行われている。

まさに「図書館」の域を超えた「図書館」だ。

2★ こういう先進事例に接すると、すぐに彼我の差を嘆いてみせたりするのは、もうやめよう。

劇映画だろうがドキュメンタリーだろうが、映画ってのは、いつだって憧れの対象を映し出す。

本家のNYPBだって、たえず発展の途上にあるわけで、この映像に接すれば、自分たちの似姿の中に、新たな理想像を見出し、「まだまだこんなものじゃあない」と向上心に燃えるだろう。

「やっぱりアメリカはすごいなあ(でも・・・日本の図書館は)」で終わっていては、もったいない。

観客の解釈は、自由だ。

図書館の映画だからって、図書館に限定させなくてよい。

自分たちの所属する組織や、普段、利用している施設が、既存のありようを当たり前にしてしまうことで「必要な面倒ごと」を避けてないか?・・・こういう問いも立てられる。

3★ たとえばここ松山で、多くの人が集まり、NYPBのような歴史的建造物といって思い浮かぶのは「温泉」・・・

温泉や、それを取り巻く観光地って、いったい誰のものだろう・・・その近所の利用者? 金を落とす遠来の観光客? その観光産業で食ってる人たち? プロモーションをしかける都市部の広告代理店?

NYPBみたいな既存の枠を超えて進化し続ける施設には、ここに当然のように加わるプレイヤーがいる。従来タイプの施設には、まだまだ少ないそれは、単なる利用者から一歩踏み込んだ「参加する市民」だ。

「図書館」の域を超えた「図書館」には、教育、福祉、就労、文化芸術など、貸し本の利用から一歩踏み込んだ参加者が、各種のプログラムを往来する。まさにモザイク状の多様性が集まり、その混交が場の価値を高める。

温泉って、憩いを求めて人が集まる。それも裸のつきあい・・・これは、観光資源にとどまらない価値を、市民参加で模索できるポテンシャルは高いんじゃないか。

NYPBで展開しているような教育、福祉、就労、文化芸術など、コミュニティの課題について、温泉地・発のプログラムが展開されても、ちっとも変じゃない。

・・・たとえば、ニューカマーへの方言講座や、観光業など地域産業への就職支援、障害者のための入浴サポート、子どもたちの食育授業、福祉施設への温泉の配達、高齢者の安全な入浴教室など、温泉を通じたコミュニティの課題へのアプローチだ。

「貸本屋」にとどまらないNYPBが、そうであるように、温泉地の進化形態も、市民のセーフティネットをモデルとするならば、いまちょうど耐震工事中で『火の鳥』が描かれた工事遮音幕に包まれている温泉の「復活:リボーン」とやらも、21世紀の大改築くらい目指してもよかったかも。

4★ そういう進化を考えないで、既存のありようを当たり前にして「必要な面倒ごと」を避けていたり、

市民が「いっちょ噛み」できる参加の余地を開いておかないと、知らぬ間にネーミングライツとかで「●●商会・温泉本館」とかになってしまうかも?!

これは虚構でもなく、実際、来月から大阪市中央図書館から「大阪市」という名称が消え去り、なんとかという社名を冠した名前に改められるのだ。それも、年間200万円という広告料で・・・これ、本当の話し。

こういうとき、はなから市民の参加もなく、それぞれのNPOなどが社会課題を抱え込み、結果、市民参加を分断していると、新自由主義が状況を変化させるスピードになど、追いつけない。

×   ×   ×

そう、温泉の話だ。・・・あたたかい湯は、確かに人を癒すだろう。

さらにそのとき、異邦から訪れた客人(まろうど)を根源的に快癒させるのは、いわゆる観光パッケージだけではない。その土地に住まう人びとのセーフティーネットとして縦横に機能する「温泉地」の域を超えた「温泉地」・・・そうしたところでやり取りされる「歓待」でこそ、かな?

・・・なんて、映画鑑賞後の曲解として、勝手気ままに観光資源のバージョンアップを夢想するのは楽しいが、ひるがえって自分たちが所属したり、経営したり、運営に参加する組織や施設はどうだろう。

既存のありようを問い直し、「必要な面倒ごと」を手がけ、それぞれの域を超えた社会関係資本として価値を高めていくには、まずは鑑賞したもの同士の気楽なおしゃべりから。

NYPBのようなフルコンタクトは容易でないとしても、扉をひとつ、地域社会に開けてみればいいし、あるいはすでに設えてある誰かの扉をノックするのでもいいのだ。

・・・と、ここまでは、一般的なエッセンスに即して、あれこれ。
以下は、極私的な観点からの気づきを書き留めて、この稿を終わります。

5★ これって劇映画でなく、ドキュメンタリーなんだけど、出てくる人たちの話す内容、ことば使いには「シナリオあるのか?」

というくらい、登場するニューヨーク市民たちのしゃべりは、シャープで、含蓄に富み、やたらとカッコいい。

ユニコーンについて尋ねられた司書が、12世紀の文献をあたり「中世の英語は苦手なのですが、訳してみます」なんてシークエンスは、そのまま押井守の映画に出てきそうだ。

画面に登場するのは図書館の職員だったり、利用者、つまりフツーの市井の人たちなんだが、たとえばニューヨークを舞台にした劇映画なんかがあったとして、彼らが放つことばには、そのサブストーリーで描かれるくらいの物語性と、それを熱く語る彼女たちの姿はまるで、(本人なので当たり前だけど)自然に役柄を演じるバイプレイヤーのようで、ステキだ。

こんな風に、映画に出てくるみんな、本当にいい顔をしてる。
まさに映画とは、憧れを映し出す表象なのだ。

それは多分、みんな図書館を通じて、知りたい、学びたい、という真っ直ぐな気持ちをもっているから。居眠りしてる人もいるけどね。でも、図書館での、ひと眠りって気持ちいいだろう。そんなゆるんだ表情もあれば、向上心にあふれ、真剣に勉強してる素顔って、それだけで見応えがあるのさ。

3時間25分・・・そういう多様なエスニシティによる顔と、それぞれの人生の必要性から放たれる言葉による、さまざまな物語の断片を見るような、そんな味わい深い映画でありました。


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