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14)長野「大町」〜ミノル青年の進路希望

偵察機【彩雲】のパイロット、遠藤ミノル青年の故郷、長野県の大町市を訪ねた。信州の北アルプスを眺める、澄んだ空気と、どこまでも広がる空のもと、ミノル青年は、文武両道に秀で、同級生たちと【大中三羽烏】と呼ばれるなど、同世代を牽引するリーダーのひとり、だったよう。

昭和19年8月、鈴鹿基地

大中とは【大町中学】のこと。(松山中学なら、松中だ)
いまでいう高校で、地方の旧制中学は、その地域でも、ちょっと頭の抜き出た、子どもたちが学び、友と語らいながら、それぞれが【希望】する進路を、見定める場であることは、いまも変わらない。

しかし、その当時、旧制中学には【志願兵】の生徒を拠出するよう、軍から割り当てがあった。それは、空気のような同調圧力によって、志願を強要する。

だれが、手を挙げるか・・・とは、たいへん、悩ましい問題であったろう。

その中で、ミノル青年は、親にも内緒で、志願兵に届け出るのだ。

「大中三羽烏」と呼ばれ、柔道にも秀でるなど、若きリーダー格のひとりであった、ミノル青年が、そうした求めに、率先して応じたことは、想像にかたくない。
そのとき、ともに志願に手を挙げた【親友】(三羽烏のひとり。アキラ青年)もまた、おなじ海軍に入隊しているのだから、ミノル青年が希望する兵種からは、友との語らいも聞こえてくるようだ。

第一希望 主計兵
第二希望 飛行兵
第三希望 水兵(電信兵)

提出した志願書の下書き

希望する兵種を届けた志願書・・・これなど、現代でいえば、進路調査みたいなもので、そこに列挙される【希望】が、無論、平時の進路先が挙がらぬのは「当たり前」とはいえ、それを「仕方ない」と済ませるのは、悲しい。

さて、遠藤ミノル青年の遺品には、多くの手紙が残されている。宛先の多くは、5つほど離れた妹さんで、その身を案じるハガキが、全国各地の赴任先から、送られている。そこには、たいてい、ちいさなイラストが添えられ、限られたなかで、自分の様子を伝えようとする兄と妹の交流が見て取れる。

1945年(昭和20)の3月4日、ミノル青年は、信州の故郷に里帰りする。3/19の戦死より、2週間ほど前だ。
ところが、妹は、軍事工場への勤労奉仕で、名古屋に出かけており、郷里の我が家で、会うことはできなかった。

そこで、ミノル青年は、置き手紙を残す。

その内容は、軍事郵便などでは書けない【本音】が、したためられており、たとえば、自分が操縦する偵察機【彩雲】についても「誰にも云うな」と、その性能の一端(速度のこと)を伝えている。
・・・世界一速い飛行機だから、敵機に捕捉されるはずがない、兄さんたちは、大丈夫!・・・そんな、妹を安心させようとする気遣いが感じられる。
無論、里帰りで、会っていたら、こうした具体的な軍事、任務の話しもするだろう。しかし、それは当事者の間で「記憶」には残るが、その後、第三者に伝わる「記録」としては残らない。

会えなかった・・・という、心残りな出来事であったが、この置き手紙において、その事実が、記録として残り、われわれは、それを知る。

「兄は只今、日本でも世界でも一番早い彩雲・・・」

そんなミノル青年・・・将来の夢は、どうだったろう?

第三希望まで、軍隊に塗り込められたものでなく、妹に語るように、そこに書き込みたかった希望する進路は・・・

ミノル青年の親友であったアキラ青年(硫黄島で戦死)・・・その遺族さん(甥っ子さん)は語る。

「アキラ叔父さんは、剣道に秀でてたようで、ミノルさんは柔道、ふたりは、ほんとに仲良かったそうです。スポーツの道もあっかも知れないし、リーダー格のふたりですから、妹おもいのミノルさんだったら、ここ大町の地元のために、たとえば、市長さんになるとか、そんな夢を想像します」

3人が乗組む偵察機「彩雲」・・・帽子を振って出発を見送られる

つづく〜15◉高知「四国カルスト」三魂之塔への再訪

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