何かを欲しがる時、私はいつも悲しかった

何かを欲しがる時、私はいつも悲しかった。

子供の頃、おもちゃをねだることが苦手だった。
大人になっても、人に何か買ってもらうことに抵抗感があった。

何かを欲しがり、ねだることに対して申し訳ない、という話とはまた違う。
なぜか「悲しい」という気持ちがあった。


その悲しさは何か、もう少しよく見てみたら、
「何かをねだって贈ってもらった後、贈り主が死んだ時、それが手元に残ったのを見て悲しい」
という思いが出てきた。

あ、これ戦争の時の記憶だ。
突然そうわかってしまった。

どこの、いつの時代の記憶かはわからない。
そもそも、なぜわかったのかもわからない。
けれど、戦争の記憶であることは間違いない。


あまりものを欲しがることがない自分だったが、
一度だけ、大事な人にペンダントをねだった。
たった一つ、ねだったものだった。

贈ってくれたその人は、戦争で亡くなった。
それが最後だった。
自分がたった一つ、欲しがったものだった。

だから、欲しがることは悲しい。
ねだって貰ったものは、手元に残り続けて、いつまでもあの人を思い出させる。

とても悲しい。


これは私の過去とか、私の持つ記憶ではない、らしい。

いわゆるカルマと言われるようなものだが、
私ならばこうしてその記憶を見つけ出せると知って、乗せてきたものだという。
この記憶は、共に悲しんでくれる魂を求めていた。
だから、ただ寄り添って、一緒に泣いてあげたらいいという。
私には、それができる魂の器があったという。


ペンダントの贈り主は、決して裕福ではなかった。
そして非常に内気で、好いた相手に贈り物をする勇気を、なかなか持てずにいた。
でも、あの人がペンダントをねだってくれたから。
だから、勇気を出して贈ることができたのだという。

自分は内気で、うまく愛情を伝えられなくて、あなたをろくに満足させてやれなかったと思う。
でも、ペンダントを贈れた。
たった一つ、残すことができて幸せだった。
あなたが喜んでくれたのが、とても嬉しかった。


彼らは救われるだろうか?幸せになれるだろうか?
と尋ねたら、
「筆を持っている」と言われた。
だから、彼らのための物語の結末を用意してあげてほしい、と。

「彼らは虹のふもとで再会しました。
傷ひとつないペンダントは、胸の上で輝いていました。
戦のない平和な場所で、彼らはいつまでも幸せに暮らしたのです。」
私はそう書いた。


彼らの魂は満足して渡っていったという。
それでもなお、私は悲しかった。
何かを欲しがって貰った後、いつか贈り主が死んでしまうかもしれない。
その贈り物を手に、じっと悲しむシーンが、どうしてもありありと思い浮かんでしまうのはどうしたらいい?

悲しくなったら、悲しめばいい。
涙は流れるままにしておけばいい。
いま目の前に、その人はちゃんと「ある」のだから、いま感謝して、いま愛をたくさん伝えたらいい。
愛を出し惜しみしてはいけない。
今あるのだから、あることに愛と感謝を伝えたらいい。

そんな答えが返ってきた。

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