振り出しの思い出

私は高校を卒業していません。

もう10年前の話になりますが、3年生まではなんとか進級したものの、夏頃には出席日数が足りないからこのまま卒業はできないだろうと言われていました。

じゃあ卒業しなきゃいいじゃん、なんて思ったのか、もう覚えていませんが、私が選んだのは「2年生までに取った単位を利用して、高卒認定試験を受けること。そして、高校は中退して大学に行くこと」でした。

田舎の進学校だったので、必要な単位はほとんど取れていました。2科目だけ試験を受ける必要があったので、国語と日本史あたりを受けたのかな。なんとなく制服で行ったら、あたりまえですが大人の人ばっかりでたいへん浮きました。帰りに喫煙所で「難しかったね」なんて話していて、違う世界に来ちゃったな、と思ったのを覚えています(試験は定期テストの2割くらいしか難しくなかった)。

11月くらいから予備校に通って受験勉強をしました。卒業できないとなるといよいよ学校に行くのがバカらしくて、毎日お昼の電車に乗って、ボーッと駅前の公園で時間を潰して、ちょっとだけ保健室に顔を出してから予備校に通う日々でした。なんか自由で楽しかったな。

意気込みや緊張があったかよく覚えていませんが、結果として志望校に合格して実家を出ることが決まりました。親は慌てていました。いまだにお祝いのひとつもなかったのを根に持っています。

卒業式の日、何時ごろ学校に行ったのか、詳しいことは覚えていません。

卒業式の会場には席がないから入れてあげられない、と言われました。

けっこうショックだったような気もします。でも、卒業生でもないし在校生でもない。父兄の席にも座れない。体育館のそばの事務室でお茶とお菓子をもらって、スピーカーで卒業式のようすを聞いていました。そのときはあんまり泣かなかったような気がします。思い出すとすごくみじめでしんどいので、今はボロボロ泣いていますが、そのときは実感がなかったのかも。

式が終わって、茶道部でお世話になっていた事務員さんにお茶道具の振り出しをいただきました。

1年生のときに留年して、4年間ずっと茶道部にいたので、頑張りを認めてもらえたみたいで嬉しかった。身近な人に頑張りを認めてもらえることが極端に少なかったので、そうして形に残るものをいただけるのが本当に嬉しかったです。

そのあと教室に戻って、友達に卒業アルバムを見せてもらってめちゃくちゃ泣きました。私は卒業しないので、卒業アルバムもないんです。人並みの思い出を残せないことが人並みに悲しかった。

いただいた振り出しは今でも大切に持っています。卒業アルバムと比べてどっちが大事だとか、どっちが欲しかったとか言うつもりはありません。思いがけずいただけた振り出しはきっと一生大切にするでしょうし、手に入らなかった卒業アルバムは欲しがっても意味がないんです。

振り出しは卒業アルバムの代わりにはならないし、卒業アルバムも振り出しの代わりにはなりません。私は卒業しなかったし、卒業式を自分の目で見ることさえかなわなかったけど、確かに門出を祝福されて高校をあとにしました。人並みの悲しさも、思いがけない喜びも、私だけのものでした。

卒業する同級生たちにまじって、帰り道に茶道部の後輩から寄せ書きとお花をもらいました。ずっと自分のことだけでいっぱいいっぱいだったけど、少しでも何かを残せていたらいいな、と今でも思います。

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