いま、ワヒロのオタクがアツい!
もしかしたら気付いているかたもいるかもしれません。
5月28日に「8月でサービス終了、オフライン版に移行」を告げられた私たちは、このめちゃくちゃな感情の行き場を探して次々と言葉を綴っています。
↓こちらのブログ内にいろいろと発言がまとまっています。
note内で「ワヒロ」「ワールドエンドヒーローズ」のタグを検索していただいてもたくさんの感情が渦巻いています。noteはたくさん書けるから感情も濃縮して還元しない感じ。読むときは体調に気をつけてくださいね。
ワヒロのオタクは感受性が強い人が多いので、「オタクの強い感情」が好きな人にはたまらない光景だと思います。野次馬気分でいいのでちょっと見ていってください。そしてワヒロに興味を持ってください。DLに時間がかかるので、軽い気持ちでDLしてnoteを読みながら待つといいかもしれません。
ここから先はわたしというワヒロのオタクのクソデカ感情です。
ありふれたゲームだったなら
「ワールドエンドヒーローズ」はソーシャルゲームです。ぽちぽちボタンを叩いて作業を繰り返して、ガチャを回してイベントを走って、ストーリーを読んで笑ったり泣いたりするだけの、ありふれたゲームに見えることでしょう。サービス終了だっていまどき珍しいことではありません。
どうして私たちはたかがソシャゲがひとつ終わるくらいでこんなに動揺しているのでしょうか? 今まで寝る間も惜しんでイベントを走ったから? それとも目当てのカードが出なくて何万円も溶かしたから?
違います。確かに寝る間も惜しんでイベントを走った人もいるでしょう。ガチャに家賃の何倍も溶かした人もいるでしょう。でも、そんなに多数派ではありません。少なくともわたしは健やかに寝ながらイベントをこなし、課金はできる範囲で細々とやってきました(数字がないと信用できない人向けに言えば、月に数千円足らずです)。それでも、ワヒロを失うことに大きな衝撃を受け、どうにか尽くせる手はないかと血眼になっています。
時間やお金、わかりやすいコストは問題ではないのです。
ゲームがもたらす体験への対価
これは無職のわたしが月に数千円でも課金をしたいと思った理由でもありますが、よく言われる「ソシャゲは課金しても何も残らない、時間とお金の無駄だ」という文句への反論でもあります。「ソシャゲに払うコストは、そのゲームがもたらす体験への対価である」とわたしは考えています。
「サービス終了したら何も残らない」と、かつてのわたしも考えていました。それがまったくの間違いだったことを、悲しくもサービス終了に直面して実感したわけです。
何も残らないなんて嘘です。確かに今持っているデータや、今後配信されるオフライン版も長い目で見ればいずれは消えるでしょう。でも、わたしにとってはこの1年あまり、ワヒロと一緒に生活してきた事実は消えません。この1年あまりがわたしにとってどんなに濃密で意味深いものだったか。
早く就職してもっと課金できるようになりたかった。「ワヒロに恩返しがしたかった」と嘆く人はわたしひとりではないと感じています。学生で課金のままならない人だけではなく、体調を崩しているときにワヒロに出会い、体調が安定した人(わたしもそのひとりです)、「ワヒロに救われた」と表現する人の多さに、少し驚くほどでした。
全員が全員そうでもないでしょう。普通に「面白いコンテンツ」として楽しんでいた人のほうが多いはずです(あたりまえだ……)。けれど、ワヒロには「傷ついた人に寄り添い、安心して楽しませてくれる力」「自分の足で立つことを促してくれる力」があったのだろうと、わたしは考えています。
命を救われたんだから、金や時間なんかどうでもいいんです。
むしろもっとお金も時間も使いたかった。ワヒロがくれたものに対して、返せたものがあまりにも少ないと感じています。「ワヒロくん末永くよろしくね」がわたしの口癖になっていました。添い遂げたい。今でもそう思います。末永くよろしくさせてくれ。
安心して絶望できるストーリー
「シナリオやストーリーがいい」というのも、今ではありふれた言葉です。正直どのソシャゲでもそう言われていますし、「関係性が重い」「闇が深い」あたりも手垢のついてすり切れた言葉になりつつあるでしょう。
だから、ワヒロのキャラ同士の関係性や深みのあるキャラ造形について話そうとしても陳腐な言葉に聞こえてしまうのもしかたがないかもしれません。
わたしはワヒロの要は「安心感」だと考えています。
とにかく気配りが行き届いているのです。それは「ガチャやイベントのローテーションがきっちり平等に回り、すべてのキャラに出番がある」ことだったり「不当におとしめられたり辱められたりするキャラがいない」ことだったり(これあたりまえじゃないんかと思ってたんですけど、昨今のソシャゲはそうでもないってマジですか?)、よく言われるところでは「指揮官(プレイヤー)の性別や属性がまったく不明であり、性別や属性によって態度を変えられることがない」というのもあります。シナリオの隅々まで行き届いた気配りによって、まったくストレスを感じずに物語に集中することができます。
余計なストレスを感じることはありませんが、だからこそシナリオには激しく感情を揺さぶられることになります。
ストーリーは非常にテンポ良く進み、読むこと自体にそんなに時間はかかりません。小気味よい掛け合いには無駄がなく、「ギャグが鋭利」(公式)なイベントストーリーはタイトルから笑わせてきます。
しかし、短いテキストに詰め込まれた情報量はただごとではありません。
これはある程度の量のテキストを浴びないと気付かない魅力でもあるので、布教の難しいところでもありました。気配りのおかげでもありますが、ワヒロは過激なところや派手なところがないのです。みんな地に足が着いていて、人間としてとても魅力的。裏を返せば、キャラクターとしてテンプレに振り切ったわかりやすさや安易に消費されやすい尖ったところがないのです。
ワヒロは「ひとりの人間」を15人+αぶん、丁寧に描きます。簡潔でキレのある言葉にいくつもの情報や意味、思いをこめて差し出してくれます。それはもしかしたら、安直なわかりやすさ、すぐに消費できるキャラクターを求める人には魅力が伝わらないやりかただったのかもしれません。
でもわたしはそうして丁寧に描かれるワヒロの世界を、誠実に向き合ってくれるワヒロを愛しています。
ワヒロが描こうとしたやりかたは、きっと私たちへの信頼に基づいていました。ひとことに言い表せない思いや感情の揺れ動きを、誠実に差し出せば読み取ってくれると、丁寧に描くことでしか表現できないものを、私たちを信じて表現しようとしてくれていたのでしょう。
ひとことに言い表せないものには、ひとことに言い表せない価値があります。その価値をたくさんの人に伝えるすべを持たなかったことが、たまらなく悔しい。
「とにかく読んでほしい」と多くのプレイヤーが口を揃えるのも、「わかりやすいキャッチフレーズ」「尖ったパワーワード」ではワヒロの魅力を表現しきれないからです。
繰り返しますが、ワヒロの要は「安心感」なのです。
安心してストーリーに身を委ね、感情に揺さぶられ、絶望に立ち向かうことができます。安心感はストーリーの生ぬるさを意味しません。ジェットコースターに安全バーがついているからといって、スピードや落差が減るわけではないのと一緒です。むしろ安全を確保したからこそ、ギリギリまで激しいことができるのです。
物語を描こうとする誠実な姿勢
ワヒロの提供してくれる物語は重層的で情報量が多く、あっさりと読み流せるものではないかもしれません。だからこそ、私たちの胸に深く刺さった。失うにはあまりにも大きいものを、私たちはいつのまにか受け取っていました。
ワヒロが本当にありふれた「たかがソシャゲ」のひとつだったら、こんなにも多くの人が「救われた」なんて口にしないでしょう。こんなにも多くの人がどうにか未来につなげようと手を尽くしたりしないでしょう。
ワヒロの物語や、物語を描こうとする誠実な姿勢に、私たちは胸を打たれたのです。
それはかけがえのない体験です。だからこそ私たちはもっと対価を払いたかった。この先もずっと一緒に走りたかった。ワヒロが見せてくれた鮮やかな景色に、支え続けることで報いたかった。
「今までかけた時間やお金などのコスト」が惜しくて悲しむのではありません。「ワヒロがくれたもの」に報いることのできないまま終わってしまうのが悲しくて悔しくてしかたないのです。
「ひとことに言い表せない価値」は、伝えることが難しい。でも、うまく伝えられないからといって、なかったことにしてしまうわけにはいかないはずです。
物語を丁寧に誠実に描くことが否定されてしまうようで怖いのです。ワヒロはもっと多くの人に広く受け入れられるべきだった。スナックのように刺激的ですぐに通り過ぎてしまうコンテンツばかりがもてはやされ、真摯に差し出される物語にはもう価値が認められないのかもしれない、それはひとりの書き手としてもすごく恐ろしいことです。
ここまで読んでくださった方で、もしまだワヒロをご存知ないかたがいたら、どうかワヒロの物語に触れてください。
クソデカ感情はいったん置いておいても、間違いなくめちゃくちゃ面白いんです。
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