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馬が教えること 〜松井今朝子

この前、京王線新宿駅構内で馬を見かけてびっくりしました。JRAの啓発イベントの一つで、いたのは競馬馬だと思います。少し足踏みをしていましたが、あんな人の多い場所でも大人しくしている馬に敬意すら覚えました。

 さて、今回は松井今朝子さんの「馬が教えること」というエッセイを取り上げたいと思います。
 松井さんは数年前から乗馬を始められたそう。乗馬愛好者は確実に増えていると言います。確かに私の同僚にも乗馬が趣味という人がいて、興味があればぜひと声をかけてもらっています。ただ、乗馬って結構怖いのではないか、筋肉痛にもなるだろうし・・・などと後ろ向きなことを考えている私ですが、松井さん曰く、乗馬は姿勢が正せるし、高い位置で遠くを望めるのもいい、筋力や体力が相当アップし、健康維持にもなる。また馬の澄んだ眼も魅力的とのことです。

 ところで、こうした普通の一般人が乗る馬と競走馬は全く違うのはご存じでしょうか。

 馬の生産は、本来競走馬用のサラブレッドが中心となっていて、ただ競走馬のエリートの子孫でも現実に競走馬としては通用しないケースが多いのだそうです。そして競走馬として通用しなかったエリート馬には、あえて書かなくてもわかると思いますが、可哀想な運命が待っているのです。

 しかし、乗馬クラブで一般人を乗せる馬は、さらにこうしたエリートでは全くない、いわゆる競馬界の落ちこぼれのような位置づけなのです。競馬で見るようなすらりと細く引き締まった四肢でもつやつやの毛並みでも全くない。太い四肢でどちらかというと体格はずんぐりとした、ごわごわとした毛並みの馬なのです。

 そうだとしても、松井さんのエッセイの中で私がほっこりした点は、松井さんの通う乗馬クラブのインストラクターの「この子たち(=乗馬クラブの馬たち)はみんなエリートなんですよ」というお話です。

 そもそもサラブレッドは速く走ることを目的に作られた品種なので、アマチュアの乗り手が耐えられるようなスピードで走るのはむしろ難しい。ゆえに競馬界を引退したサラブレッドの多くは、訓練を受け直しても一般人の乗用馬にはなれずに虚しく命を落としてしまうのだという。

「ゆっくり走るようになれるのも才能です。だからこの子たちはエリートなんです」と最後は断固たる口調で締めくくられた。コペルニクス的転回ともいえるその発言を聞いて、私は自身でも意外なほど強く心を打たれたのだった。(中略)
 命をつなぐ方法は、何も競走で速く走って勝ち残るのみではないのだ。そうした価値観の転換は人を生きやすくさせるかもしれない。また地球の未来にとっても必要なことではないか、と思ったりする。

と松井さんも書かれていました。
 とかく若い時は、「速く走って勝ち残る」ことに目が行きがちなのですが、人には皆違った適性や能力の活かし方があり、それが花開く時や場所も一定ではありません。若いときに華々しい活躍を見せた人が、七十歳代になっても心穏やかに暮らせるか、そういう風に自分の考え方を柔軟に変えていけるか。それは、挫折を知らない分、難しいかもしれません。華々しいと他人には見える活躍も、本当は自分の大事なものを犠牲にした痛みがその裏にはあって、必ずしも満たされていないこともあるでしょう。

 大事なのは、他人に左右されない、自分自身の価値観を確固として持つことなのです。

出典:ベストエッセイ2013 日本文藝家協会編 光村図書
原出典:2013年4月15日 日本経済新聞

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