見出し画像

パリ五輪柔道永山竜樹選手の誤審問題に見る武術の「不意打ち」の意味

サムネイル写真はRONSPOさんから拝借しました

2024年7月31日現在開催中のパリオリンピックにおける男子柔道60kg級において「誤審問題」が話題になっている.広く報道されているためご存知の方も多いと思いますが,初出場の永山竜樹選手準々決勝でフランシスコ・ガリゴス選手に不可解な一本負けを喫した問題である.詳しい経緯はいくつも記事があるのでそちらをご覧いただきたい.

この問題に対しては有料無料個人法人を問わず様々な考察記事がでていて,上のリンクから見られる記事の関連記事の欄を見てもたくさん見つけることができます.
一方で,選手同士は既に和解しているようです(https://news.yahoo.co.jp/articles/46e312ae4a954496e2757a006fab03cb40905944)し,現在からこの判定が覆ることも汚点として残ることもなさそうなので,この問題の真偽や疑問点ではなく,では「どのようにルール整備すればよいのか」ということを考えました.

問題点の整理

まず,この問題について各登場人物はどのようにすべきだったのかを整理しましょう.各記事やそのコメントには対戦相手であるガリゴス選手や,その時の主審だったガブリエル審判に対して批判集中しています.一方,私個人としては誰もが一方的に悪いわけではなく,ある程度仕方のないできごとだったと捉えています.

ガリゴス選手の問題点

このときの対戦相手であるガリゴス選手は,私が見る限りその問題の点まではいたって普通に永山選手と対戦していました.彼も祖国の国旗をつけた代表選手として,試合に集中していたことでしょう.

しかし,問題の時点では主審の「待て」を聞き逃すというミスを犯し,これは本人を含む誰の目から見ても彼の落ち度だったと言わざるを得ません.一方で武術を齧ったことのある身としてはある程度仕方のなく,またよくあるできごとでもあります.当日は大変熱気があり観衆が騒がしかったこともあり,柔道に限らず対戦中は対戦相手にものすごく集中して外からの声が聞こえにくくなるからです.ひとえに彼が聞き逃したことを重罪として責めるのは酷だと思いますし,それを認めると大会中に何人も反則負けがでて競技自体に支障がある可能性もあります.

また,主審の「待て」を聞いて力を抜いた永山選手に対し疑問に思わなかったという疑惑もあると思います.選手である以上対戦には全力を出し,決して油断や手加減をしないことは必要ですが,だからといって無抵抗の相手を全力で締めることには疑問が残ります.とはいえ,これもたった6秒の出来事.興奮した状態で素早く「あれ?おかしいな」と判断して締めを緩めることは私にはできそうにありません.

永山選手の問題点

今回の誤審疑惑ではいわゆる被害者である永山選手に対して批判する声は少ないと思いますが,私は彼にも多少は責任があると思います.というのも,「力を抜きすぎ」や「握手をしないのは言語道断」と思うからです.

第一に,絞め技をかけられている状態で「待て」と指示があったとしても,失神させられる程に力を抜くのは油断しすぎだと思うのです.武術には「残心」(残身)という考え方もありますし(後述),上で見たように,柔道を始めとした武術で審判の指示がなかなか伝わらないことはままあることで,それは永山選手自身も理解していたと思われます.それなのに待ての指示があったからといって無防備な姿勢になることは,対戦中にしては油断が過ぎると思います.もちろん力を抜かないと相手も締めをほどけないということもあるかもしれませんが,絞め技に抵抗する力は相手が絞め技をほどいたからといって相手を攻撃したりすることにはなりません.

第二に,誤審や疑惑があったかもしれない状況だからといって「握手を拒否」することはまずかったと思います.不正や誤審の有無に関係なく,対戦前後に礼をし,握手をし,相手も称えることが武道,いやスポーツの基本でありこれを欠くことは永山選手の生涯の汚点であると私は捉えます.
もちろん,対戦でうまくいかなかったときは悔しくなって相手を逆恨みしがちです.小学生がゲームで負けたとき,何かにつけて「ずるい!」とよく言いますよね(私の息子8歳もよく言います).私にとってはそれと同じで,相手がどんな卑怯なことをしようが,「敗者が喚いているのかな」という印象を持たれかねません.

このように,永山選手も一部批判されるようなことがあるのではないでしょうか.

ゴンザレス主審の問題点

私が思うゴンザレス主審(や同審判団)の一番の問題点は「問題点の説明をしなかったこと」です.え?失神した永山選手に対して一本をとったことではないのかって?いいえ違います.

まず,ガリゴス選手が絞め技を解いたときに失神している永山選手をみて,一本(つまり永山選手の負け)を判断したことは,私は問題ない行為だと考えます.なぜなら「失神していたら一本」というルールがあるからです.
「待てと指示されているときに不正に締めた結果失神したのだから無効だろう!」という意見がどこからか聞こえてきそうですが,そのようなルールは私の知る限りありません.また,仮に不正に絞め技を続けていたことを考慮したとしても,上に書いた通りそれで失神するなんてことは油断し過ぎであり,永山選手のプレーに問題があったといわざるをえないと思います.

逆に「失神していても,それが不正なプレーの結果生じたことだった場合,無効とする」と言ったようなルールがあった場合,これはこれで問題だと思います.
なぜなら,失神したら試合続行不可能だからです.今回は永山選手がすぐに意識を取り戻したからよかったものの,重大な怪我をしてしばらく意識を取り戻さないこともありえます.その場合試合を中断し,すぐに救急措置をとる必要がありますが,このときにいちいち不正な方法で失神したから再開!と言っていたらこれが遅れます.
ですから批判するべきは「失神していたら一本」というルールに則った審判でもなく,ルールが「存在すること」でもなく,「不正したら失格(反則負け)」というルールが「存在しないこと」だと思うのです.現在はいいか悪いかはおいといて「審判の待てを◯秒無視したら失格」のようなルールが存在しないため,審判はガリゴス選手を罰するような理由がなく,一本をとらざるを得ない状況だったと考えます.

もちろんこれらは完全に私の妄想で,当時ゴンザレス主審がどのように考えて一本を判断したかはわかりません.しかし,私が審判ならそのようにします.もし仮に今回のようなことがあったため,「待てを無視して絞め技を続けたら危険だからルールで禁止しよう」といったような流れができたら,それはそれでその通りルールにすればよいことでしょう.そのためにもゴンザレス審判には今回の判断の経緯をきちんと説明し,ルールが悪いのであればルールを改正する機運を作ってほしかったというのが私の希望でした.だからこそ,一番の問題点は「問題点の説明をしなかったこと」としたのです.
(まだ試合があってから日も浅いので今後あるかもしれませんが)

問題点のまとめ

以上から,ガリゴス選手は集中しすぎたせいか「待てを聞き漏らし」「力を抜いた相手を必要以上に締め続け」たことが問題だと思いますが,そこまで責めることもできない状況だったと思います.また永山選手も「待てと言われたからといって油断しすぎ」でしたし,これらがある意味不運にも重なった結果,今回の「誤審疑惑問題」が生じてしまったのではないでしょうか.
また,審判はすぐに説明をしなかったことが私は悪いと思います.

スポーツにおける「不意打ち」の扱い

以上の問題を拡大解釈すると,「不意打ちをどう扱うか」という問題に広がります.今回の柔道の場合,審判が待てを指示してから再び再開するまでは,概念上は不可侵であり,絶対安全な時間であり,油断しても良い時間でした.そして実際にその時間に相手を投げたり,攻撃したりする人は(ほとんど)おらず,実質的に守られています.

もちろん,武術やスポーツではなく「武道」としては,この待ての時間に攻撃することは言語道断ということは言うまでもありませんが,ことスポーツとして捉える場合,同様な行為は「不誠実なことをしたらペナルティ」というような非常に曖昧なルールによって取り締まる他ないスポーツがまだ結構な数あるというのが,私の印象です.(そんなことないといえる人がいれば教えて下さい)

柔道も世界競技として昇華するにあたり,「柔道」ではなく「JUDO」となり,歴史的には様々なルール改変が行われてきました.これに対してはいつの時代も一定の批判があり,私も納得できる側面もあります.一方,移民問題のように様々なバックグラウンドを持つ人間が畳という同じ場所に立つ以上,当初想定していかった問題が生じることがよくあり,JUDOのルール改変にはこれらに対応するためという側面が少なからずあります.
同様に今後「審判にキレられるギリギリまで締めちゃえ」という選手が出てこないとも限りませんし,この機会にきちんと具体的にルール整備しておいてほしいと思います.

残心の紹介

上では「ルール整備すべき」ということを思う一方,今回敗戦するに至った永山選手には,(偉そうなことを言えば)油断しすぎということも述べました.実はこれは既に武道の中には取り入れられているものもあります.それは「残心」という概念です.

残心とは

「残心(ざんしん)」とは柔道や居合道,空手道を始めとした武道でよく戒められる概念で,それら流派によってその意味合いは微妙に違います.一般的には「もう少しで勝てる!と思ったときにも最後まで気を抜くな」という使われ方をすることが多いでしょうか.
一方,私の息子が稽古している「古流剛柔流空手道」では少し違った意味合いになっているのでこれを最後に紹介しましょう.

古流剛柔空手道は、平成26年に亡くなられた植村和永宗家が香川県木田郡三木町の健武館道場で興されたもので、現在は香川県と徳島県を中心に大阪府、奈良県、滋賀県などにも道場が広がっています.

古流剛柔流空手丸亀道場Webページ(https://koryuugouzyuukarate.com/sihannaisatu/)

この流派における「残心」は「審判の待てがあっても油断するな」といった意味合いの言葉です.驚くべきことに,この流派では不意打ちでも正式な技となり,決まれば有効として認められます.
つまり,例えば待てが入って最初の立ち位置に戻る際に,後ろを向いて戻ってしまった選手がいたとして,その選手に不意打ちで技が決まれば,それで勝ちになります.

不意打ちも正義の流派

このルールを聞いて野蛮だとか危険だと感じる方も多いと思いますが,その是非は置いといて,古流剛柔流におけるこの考え方は実践を考慮してのことです.そもそもこの流派においては,大人も子供も組手の際にも防具の類を一切つけず,突きなどの技を繰り出すときにも「寸止め」ではありません.つまり実際に相手を殴っても蹴ってもOKという流派です.
(もちろん頭部など一部の打撃は禁止で,安全には配慮されています)
相手に殴られても防げなかった自分が悪く,その痛みを踏まえて心技体を鍛えるという考えに則っています.繰り返しになりますがその是非はおいといて,武術としては当たり前のことを重視していると言えます.

創始者である植村和永氏一派は,岡山の空手選手権大会に出場した際に,全員怪我をさせて反則負けで帰ってきたため,自身で流派を立ち上げたという恐ろしい逸話まであります.しかし,よく考えてみれば寸止めなしで組手をしたからといって必ず怪我をさせられる空手家ってどうなのでしょうか?

確かに実践には防具もなければ審判もいません.今回のような不意打ちや騙し合いもなんでもありなので,重大な怪我を考慮し,相手への敬意を忘れない前提で,これをある程度考慮した武道があってもいいのではないかと思います.

そんな流派でいざ組手の大会が開かれ,待ての間に後ろを向いた選手が現れると,すかさずバックヤードから「残心ーーー!!」と怒号が飛びます.流石に実際に不意打ちをかける選手はいませんが,この流派の公式スポーツ化は果てしなく絶望的であるでしょう(笑

これはこれで極端な例ですが,武道家の方には心技体の強さ,敬意,誠意,礼儀だけではなく,この意味の「残心」も鍛えるべきだと思います.

まとめ

本記事では,パリ五輪男子柔道における誤審疑惑騒動に端を発し,各選手や審判とも特筆して悪く人はいないのではないか,また悪い事があるとしたらルールが悪く,これをきっかけとしてルールを改正する機運を高めてほしいという旨を書きました.また,柔道だけではなく全ての対戦スポーツに対して「不意打ち」などの不正行為の明文化をすべきではないかと思います.
特に極端な例ですが,不意打ちの扱いに対して実践的な考えを踏まえている空手流派の紹介もしました.
私は柔道や空手をかじったことしかない非専門家ですが,一観戦者として考えてみました.ご意見等があれば遠慮なくコメントへ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?