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術後39日目 そーろーり、そーろーり、と

ついにこの日を迎えた。術後39日目は、記念すべき日となった。

先日の妻との合体では、残った糸が何箇所も外に飛び出しているせいか、妻が激痛を訴えて泣く泣く諦めたが、あれから一週間近く。

実はまだ全部糸は溶け落ちていないのだが、まあ、いけるのではないかとの判断・・・というより、我慢できなかっただけだ。なぜか家にあった透明な液体の力も借りて、そろり、そろりと入っていく。

そろり、そろり・・・おお、大丈夫そうだ。妻の表情が瞬間的に痛みにゆがんだように見えたが、大丈夫なようだ。とても感じている。

その後は、やはり何かと心配なので、動きにはセーブをかけ、慎重さを保ちながらも、心を込めて、欲しいものを欲した。欲されていることも十分感じながら、果てた。妻はやっぱり愛おしいと思い、その気持ちを隠さずに表現しながら。相手も隠していなかった。

事が終わった後、妻はちょっと恥ずかしそうに笑いながら、「実はまだちょっと、いや実はかなり痛かったけどね。でも、前に比べれば全然痛くないよ」と。

えええ?そうは見えなかったけど、あの一瞬かと思ったのが、ずっと続いていたのか。悪いことをしたな。

でも、よくわからないけれど、受け入れてくれた。あと一息、糸が全部溶け落ちたら、もうゴール。あと、少しだ。それまで我慢しよう。妻の体の中を少しでも傷つけてしまっていないか心配だから。もう十分に行為はできることがわかったのだから、あとは、完全に治るまで、我慢、我慢。

ところで、皮がなくなってからの感覚に変化はあったか、皆さんはどう想像されるだろう。

答えは、私の場合は、「ものすごくあった」だ。

多分、入る時は皮の有無は関係ない気もするのだが、抜くベクトルで動く時、カリの部分が何にも覆われることなく、直接ひっかかるようなのだ。同じ泌尿器科で手術を受けた”先輩”の言っていた通りだ。彼は「ダイレクトな感じ」と表現していたが、それが、これなのか!

そんなものは、単なる物理的な感覚であって、男女の合体の本当の悦びではないのかもしれない。でも、とにかく気持ちよかった。ピタッと隙間なくくっついた感覚もあった。それに、そろりそろりと動きながらも、自分の中の熱いものを直接相手に送り届ける感覚があったのだ。言葉で形容がとてもしにくいけれども、確かに、物理的な感覚の違い以外のものがあった。

皮を取り去ったのは、確かに物理的に皮膚を切り取った以上のものがあったし、そのあとの行為も同様だった。今回は、恐怖や、決断を止めようとする自分の中の自分も説得して、行動に移せて本当によかったと思う。

あっ、ちなみに妻も、感覚については同じ感想。これから楽しみだと言ってくれた。手術したいと伝えた時に「わかった。応援するよ!」と言ってくれた日のことを思い出して胸が熱くなった。

包茎なんて、ほんと取るにたらないことだけれど、何十年もつまらないコンプレックスを抱いていたわけだし、そんなつまらないことなのだから、解決してしまってよかった。

これが今包茎に悩む人たち全員に当てはまるものではないかもしれなく、手術する場所によっても違うかもしれないし、そもそも私のように単純によかったと喜べる人ばかりではないかもしれない。でも、こういう単純に喜んだ50男もここに一人いるよ、ということは、ブログを通して、何人かには伝えられた気がする。

そして、前にも書いたが、私のたかがこんな小さなコンプレックスを乗り越えようという決断に、妻だけでなく、見ず知らずの「同志先輩」にはことごとく助けられ、さらに、このブログは必ず読んでくださっているという女性がいて、一番不安だった手術直前に共感の言葉をもらい、自分はなんて幸せものなんだろう。実は仕事で日々複雑で嫌なものと闘っているのだけれど、自分はこんなに応援を得て、しかももう包茎じゃないんだぞ(笑)、と思うと、力が湧き出てくる感じがするのだった。

こんな単純に喜びを噛み締められることっていうのは、人生では、特に成人してからは、あんまりなかったような気がする。50代でも楽しいことがあったとは。

さてと、寝るか。明日朝も、きっと元気にテントを張って目覚めることだろう。おやすみなさい。また、数日後に。


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