虫の嵐と皇居ラン
千代田区に引っ越して以来、皇居近くを走っている。
コースはこんな感じである。
如水会館あたりからスタートし、毎日新聞の前を抜けて、竹橋の駅をこえ、近代美術館手前の機動隊の宿舎に通じる裏道に入る。
そこから、科学技術館の裏を抜けて、北の丸公園をぐるりと一周し、日本武道館の前を通り、千鳥ヶ淵に出る。千鳥ヶ淵交差点、ここには交番がある、をわたって、通常の皇居ランのコースに入る。
そこから半蔵門の前を通り、三宅坂交差点前を走り抜け、桜田門から皇居外苑沿いを大手門の方に走り、気象庁前の信号をわたり、錦橋の手前の遊歩道でストレッチして終了。
約6km、ペースは遅めなので40分くらいだろうか。
普段は朝に走るのだが、今週、月曜日は夕刻、午後7時過ぎくらいからスタート。夕方過ぎからは、仕事終わりに走るのだろうか、ランナーが増える。
台風の影響か、経験したことのない湿度であった。
断続的なゲリラ豪雨と高湿度が原因だろうと思われる恐ろしいトラップがこの日の皇居ランには待っていた。
北の丸公園で軽くストレッチをしてから、千鳥ヶ淵を走っていると、顔に違和感を感じた。
どうやら羽虫が付いていたようだ。
ハンドタオルで拭ってから半蔵門の方に走る。
この時間に走ったことがなかったので暗くてなかなかに怖い。
半蔵門を抜けたあたりで、強烈な違和感。
顔全体をススキでなでられたような感覚。
Tシャツをみるとびっしりと虫が付いている。
歩道の脇によってハンドタオルで顔を拭い、Tシャツをはらって、スローダウンした。
ハアハアという息遣いととものに結構な速度で黄色い蛍光色のTシャツを着た坊主頭のオジサンが追い越していく。5メートルくらいいったあたりで
「ウォォー」
というオジサンの絶叫が聞こえた。
どうやら虫に突っ込んだ状態で、路面の起伏に足をひっかけたようである。最高裁の前あたりから歩道の舗装が荒れており暗い状態だと足を取られやすいのだ。
オジサンは必死に足を踏ん張り、既のところで転倒を免れた。この時間帯はゆっくり走らないと危ない。
オジサンは絶叫などなかったかのようにまた走りはじめた。
電車のドアが閉まる直前に滑り込み、身体がドアに挟まれた後、何事なかったですよ自分は、と平静を装う人の振る舞いと似ていた。
桜田門までの数百メートルは虫の中を走っているかのようであった。これがアフリカの地で走っているのが、バッタ博士こと前野君なら狂喜したことであろう。
しかし、ここは桜田門前のゆるい坂道。
すべてのランナーが等しく、蚊柱に突っ込んでいき、悶絶し顔を歪める。年齢、性別、容姿、スピードに関係なく、誰もが全身に羽虫をまとい、駆け抜けていく。阿鼻叫喚ではないが不快さはマックスであった。それでもここを走り抜ける他に脱出する術はないのである。
皆が必死に下り坂のカーブを走り続ける。
サバイバル戦の様相である。
どうにか桜田門の中に入り、ようやく虫から開放された。
顔とTシャツをハンドタオルで拭いながら走っていると、後ろから声をかけられた。
「今日、虫、すごくなかったですか?」
走っていて声をかけられたのははじめてであった。
「半蔵門からそこまでヤバかったですね」
と、応えると、ブルーのランニングウェア(タンクトップにショートパンツな感じ)を着た、30代くらいの男性ランナーは「よかった」というような表情を浮かべ、少し安堵した感じで走り去っていった。
先ほどまでの、高湿度、高濃度の虫の中を走るマックスな不快感を誰かにわかってもらいたいと自分も感じていた。
男性の気持ちが少しわかった気がした。
大手門のあたりで足をとめ、神田橋の方に歩いて戻った。
相変わらず湿度は高く、蒸し蒸ししており、爽やかさとは程遠い大気であったが、気持ちは晴れ晴れとしていた。
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