【短編小説】聖夜のハッピーエンド
【注意】残虐なシーン、性描写を彷彿とさせるシーンがあります。
彼が人を殺してから二週間が経った。
警察は彼を犯人と特定し、きっと指名手配をしているだろう。
逃亡生活中、ずっと橋の下や路地の間と人目のつかない場所を転々としてきた。
しかし、逃亡開始から二週間が経った十二月二十五日のクリスマスの日、飲まず食わずの生活を送ってきた彼の身体にとうとう限界がきてしまった。
***
──彼はまだ青年とは言い難い年齢だ。
母親は教師、父親は医師の一家に一人息子として生まれた。幼い時から両親のみならず周りの人間に期待され、学歴も十二分といった、何不自由ない生活を送っていたはずだった。
しかし、彼は両親に愛されてはいなかった。親が彼に向けているのは彼を愛する愛情ではなく、『優秀な息子』の偶像に仕立て上げることであると、十七の時に気づいてしまった。
それからは『優秀な息子』の偶像と、自分らしく生きたいと願う自我が彼の中で対立するようになった。
やがて、とうとう精神的に限界を迎えた彼は、発狂し、話したことすらない自らの想い人をストーキングし、悲鳴を上げながらアパートの自室に逃げ込んだ彼女を最初に声を封じるためにまずは喉、次に腹を数回刺した。喉に空いた穴からひゅー、ひゅー、と音がした。お腹を刺しているうちにその音も無くなっていった。
顔と胸、そして下半身が傷ついたら女としての"カタチ"がなくなってしまうので、刺さなかった。
完全に屍になった彼女に抱きついた。そして、まるでパントマイムのような──返ってくるはずのない愛の接吻を交わした。
そうして、履いていたホットパンツを強引に脱がし──。
ほどなくして、正気に戻った時には彼女は紅に染まっていた。
右手には包丁が落ちていた。血塗れになった手と白い液体、そして話したことがなくてもずっと好きだった想い人の部屋。
冷たい風が吹く部屋の中で一人虚しく号哭を上げた。
ほどなくして、自らの罪を隠すように部屋から飛び出して逃亡生活が始まったのだった。
***
雪の降る寒く暗い夜を歩く。
最悪、近くのスーパーマーケットで物を盗めば、命を繋ぐことができそうだ。しかし、仮に盗めたとしても逃げ切れる自信がない。
──末端の感覚が消えていく。
何も口にしていないのか、体温を生み出すエネルギーを作り出せない。
膝が、折れた。もう、足が動かない。
腕を使って這って進む。もう何も感じない。自分が動いているのかも、もうわからない。
死を直感する。逃げるのにも、体力が必要だったのだと。自らの罪を消し去るのなんて無意味だったのだと、幸せなんてこの世には存在しなかったのだと。彼は、絶望の淵で微睡んだ。
──足音が聞こえる。
誰かがやってくる。最後の力を振り絞って顔を上げた。
そこには──
「どうしたの?」
──自分が殺したはずの女が温かいコーヒーを片手に手を差し伸べてきたのだ。
「まあ、手が冷たいじゃない」
女はコーヒーを持っていた手で、彼の右手を温めはじめた。
「ねえ、困ったことがあったらいつでも相談してねってあれほど言ったよね?」
「うん」
少し困り果てたような顔をした女は、
「飲みかけだけど、飲む?」
彼は頷いた。
女は彼を仰向けに直して、手に持っていた温かいコーヒーカップを男の口にやった。
温かい液体が食道を通る。コーヒーの苦味が彼の味覚を刺激した。失われている体温が蘇っていく。
コーヒーが全てなくなって、女はカップを彼の口から遠ざけた。
「よく頑張ったね」
と、女は彼の頬に口づけをした。
夢に違いないと思った。大体にして、彼の記憶の中には女とここまで親しいはずがない。わずかに残った理性が今までの光景を否定するが、それでも彼は幸せな気持ちになった。今までに得られなかった『人として愛されること』が叶った。生まれてきた意味がここにあったのだと、彼は安らかな気持ちで眠りについた──。
***
──クリスマスの夜。
駅前は恋人たちでごった返しており、いつにも増して賑やかだ。
駅前に聳え立つクリスマスツリーのイルミネーションを見るカップルもいれば、ハグをして満足するカップル、と在り方そのものは三者三様だ。
駅の正面には、まっすぐ大通りが伸びている。比較的交通量が多い上に、あまりにも明るいこの通りに、人だかりができていた。
その中心には、先日テレビで報じられていた独身女性殺人事件の真犯人が倒れていた。
救急車を呼ぶ者もいた、写真を撮る者もいた、倒れている有様を楽しむ者もいれば、悲鳴をあげる者もいた。
しかし、男は一番近くにいたコーヒーを持った女に這っていた。
女は男を仰向けにする。男は今にも死にそうな白い顔をしていた。そして、安らかな表情を浮かべながら、消えそうな細々とした声で何かブツブツと小言を喋っている。
「何言ってんの? この人」
コーヒーを持った女が耳を澄ますが、声が小さすぎて聞こえない。
「早く警察に突きだそーよー。人殺しだよ? こんな奴と関わっちゃダメだよー」
「でも死にかけてない?」
「いや、もう死んだんじゃない?」
──安らかな笑顔をしたまま男は、そのまま動かなくなった。
完
あとがき
どうも、カガリです。少し早いですがメリークリスマス!
もうすぐクリスマスですね。みなさまはクリスマスはどんな過ごし方をしますかね?
恋人も一緒にいたり? 家族と過ごしたり? あるいは仕事をするのかもしれませんね。三者三様です。みなさまのクリスマスが有意義なものであることを祈ります。
さて、今回のテーマは実はクリスマスではなく、『コップ』です。私には小説の師匠がおりまして、その師匠のお題が『コップ』でした。どこにコップ要素があるんだと思った方がいたかもしれませんが──終盤のコーヒーカップです。
私の作品では珍しく、『ハッピーエンド』で始まる『やさしいせかい』でした。
かがり
追伸
彩の旅EP2後編は執筆中です。ただいま思いっきりスランプに陥っておりまして、小説が執筆するのが難しい状況にあります。なので、もうしばらくお待ちください……。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?