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Boy meats girl

最初は、意外と食べられるものだなと感じた。
簡単に歯は通るが簡単には噛みきれない硬さと柔らかさの中間にいるような弾力。半分凍ったフルーツのような噛み心地に一口噛んだだけで腰から脳へと登っていく何かで体が支配される感覚に溺れそうになる。ラム肉と牛肉を混ぜたような風味に筋の通った肉質。一口一口に世界三大料理の旨味が詰められたような幸福感に私はロマネコンティを空けて舌鼓を打ったものだ。芳醇な葡萄の風味に歯ごたえもあって深みのある肉の味は今でも忘れられない。この幸福こそが、大天使ミカエルが我ら人間に授けた至上の愛と呼ばれるものなのだと感じた。

そして何より、同じ人間でありながら一線を画してその上に立ったような優越感が私を虜にした。

「雪乃ちゃん、雪乃ちゃん」
突如名前を呼ばれて我に返った。
目の前にあるのは牛すじとこんにゃくのどて煮。奥には鶏の唐揚げや焼き鳥などが広々としたテーブルの上に所狭しと並んでいる。それと同じように乱立する色とりどりの液体が泡と水滴とで塗れている。レモンサワー、生ビール、酎ハイなどのアルコール類がグラスに並々と注がれ、皆が各々手に取り盃を交わしている。
まるで無数のスピーカーでそれぞれ違う音楽を流しているかのようにまとまりのない声がそこら中に聞こえる。ある所では男が女の膝を触り、ある所では女が女と談笑している。納豆とオリーブオイルと豆板醤を1つの同じボウルに入れて混ぜ合わせたかのような、混迷を極めた空間。大学生の飲み会なんて、こんなものだろう。
「雪乃ちゃん、やっぱ可愛いんね〜。俺ら上回の間でも噂になってるよ。可愛い新入生がいるって」
「はあ」
「正直俺も彼女いるけどさぁ、雪乃ちゃん見てたらちょっとやばいかも」
男はそう言って数席左の女を見た。セミロングの髪を茶色く染め、内側にはインナーカラーとしてクリーム色で毛を染めている。濃いメイクと小石を十本の指に載せたような目立つ爪で着飾った、派手派手しい女だった。だが、その中でも1つ私の目に留まるものがあった。
「その左手の指輪、お揃いですか」
「え、ああこれ?そうそう、一応ね。高校からだから4年近く付き合ってるんだよね何だかんだ」
男はそう言って左手の薬指に嵌められた指輪を右手で隠した。シルバーのシンプルなリング。さっきの女もグラスを持った左手の薬指に同じものを付けていた。それなりに値の張って思い出のある、ペアリングなんだろう。
「へえ」
4年も付き合っているなんて、相当互いに愛情が深く何度も何度も愛し合ってきた仲なんだろうなと思った。この男は私という存在は遊びやワンナイトのそれとして考え、それとは別枠であの女のことを心の底から愛している。骨の髄まで。そうでなければ、こんな飲み会にわざわざペアリングなんてお互い付けてこない。お互い深く愛し合っていることが目に見えて分かる。
私は皿の右に置いていたグラスを手に取り、少し呷って口に含んだ。トマトの酸味とウォッカの苦味が混ざりあって私の喉へ流れ込んでいく。
グラスを静かに置くとそのまま男の右肩に顔を寄せた。女の胸は心臓を守るために左の方が大きくなるという。腕を前で合わせて胸を強調し、部屋の証明でアイシャドウのラメが光るよう角度調節した後、大きく瞬きをしてゆっくりと小さく男の顔を見上げた。
「少し、酔ってきたかもしれません」
あからさまに男は顔を赤らめひと呼吸置くと「それは反則」などと呟きながら左手で顔を覆った。その後場が盛り上がってきた最中に2人でこっそりと抜け出し、宴席を後にするのは容易いものだった。

「こんな所初めて来ました」
「えー、嘘つきだなぁ」
バッグをテーブルの上に起き、大きな天蓋の付いたベッドに腰をかけた。ゆっくり腰をおろしたものの、高反発で体が上下に少し揺れてしまう。
顔を上げると男は私の眼前に迫っており、肩を掴むとそのまま体重を掛けて私をマットレスへ押し付けた。肩を中心に重りが体に乗っているかのように身動きが取れず、本能的にたじろいでしまう。視界に映っているのは男の火照った顔と、部屋に据え付けられた小さなシャンデリア。男の背後からの光が男の背中に当たって顔を中心として影となり、表情が上手く読み取れなくなる。
「雪乃ちゃん、超可愛い」
小動物の頭でも撫でるような甘い手つきで私の頭を優しく撫でると、耳から首筋を伝って着ているブラウスの胸元のボタンへ手をかけた。1つ、1つと時間をかけて服の穴に通してボタンを外し、鎖骨からブラのレースまでが少しずつ光に照らされていく。男の舐め回すような視線が、実際に私の胸を舐っているかのようにじっとりとしていて、男の醜く肥大した所有欲が手に取るように分かった。数秒かけて最後のボタンまで外すと私の胸が顕になり、男はまるでご馳走でも目にしたかのように口角を上げて私を見下げた。今、男の脳内では私は全裸で男の所有欲と独占欲に押し潰され、煮えたぎるような性欲のもと文字通りどろどろに溶かされているのだろう。そこにあの席で見たあの女の影は無い。
何だそれ、つまらない。
だが私の目に映る1つのシルバーリング、男はこんな時でさえペアリングを外していなかった。別に男はこれを浮気とは捉えておらず、幼稚園児が縄跳びに飽きたからドッチボールをするように違う遊びをしているだけ。私に「好き」という言葉を放たない以上、男の心にはまだしっかりとあの女の片鱗がある。それだけで、今日ここへ来た甲斐があったというものだ。
男が私に完全に覆い被さろうと体制を変え、仰向けの私の上へ乗ろうとしたところで、私は男の背中ヘ腕を回し、強く抱きついた。
「雪乃ちゃん、俺」
「美味しそう」
私は、口を開けて力いっぱい男の右肩を噛んだ。
男が発したとは思えぬ「え?」というか細い声の後、男は化け物に出くわしたかのように絶叫すると背中から床へ勢いよく転げ落ちた。はあ、え、はあ?と言葉にならない掠れた声を出しながら状況を飲み込めず私をじっと見つめる男。大地震が起きているかのように震える体に呼応して右肩からとめどなく溢れ流れていく血液と肉体がたまらなく美味しそうで仕方がない。
「ゆ、雪乃、ちゃ、ん、俺」
私はベッドから降りると男の肩を掴んで床へ叩きつけた。男は傷が床で擦れて悶絶し、自慢の顔の良さなど微塵も感じられぬ程に顔を歪ませて絶叫した。仰向けになった男に私は馬乗りになって見下ろした。震える左手に冷や汗が滲んでシルバーリングを皮肉にもきらりと輝かせている。その瞬間私の体と脳内がどうしようもない高揚感と優越感で満ちていき、理性がぶっ飛びそうになってしまうのが感じられた。寸前で抑えて男の頭をゆっくりと撫で、耳から首筋へ伝って撫でて血の溢れていく肩を顕にする。
「逃げないでくださいね」
そのまま私は肩を掴みその肉体に再び噛み付いた。
直前まで声を枯らして絶叫していた男もショックで意識を失ったのか突如何も発しなくなり、絞められた魚のように手足を放り出して虚ろな目を私に向けた。別に意識があろうと無かろうとどうでもいい。そこが私の論点なのでは無い。私はただ、この男を「食べたかった」だけだ。
バッグから使い慣れたステンレスナイフを取り出し、深手を負っている肩を中心に切り開く。スーパーの生肉コーナーで売っているような肉が顕になり、網膜にそれを宿しただけで波のように押し寄せる高揚感が抑えきれなくなってしまう。喘ぎながら少しその肉を口に含んで噛み締めると豚肉のような、ラム肉と牛肉の混ざったような、複雑だが芳醇な味がたまらなく愛おしくなり、思わずナイフを捨てて人の形をしたその肉塊を抱きしめた。

私にはこの行為に対して、肉の味と共に興奮を最高潮まで書き立てるスパイスがあった。その快感が忘れられず捕食行動を繰り返すようになっていた。そのスパイスというのが、「対象が誰かに愛されている」というものだった。
専ら私の捕食対象は誰かの彼氏、もしくは彼女に偏った。誰かの配偶者だということは、誰かがその対象の存在を愛しているということ。第三者によって味が担保されている安心感、誰かのものを奪い取り欲しいままに貪る満足感、同じ人間というレールに立ちながら、その頭を踏んづけて1つ上に立っているような優越感。誰かの所有物を奪い、自分の血肉とする以上の快感を私は知らない。この行為をしている時、私は最も生と性を感じて快感に溺れることが出来た。
切り裂かれてぱっくりと開いた傷口から流れ出す血を手に纏わせ、まるでアイスクリームを舐るかのようにぺろりと舐める。やや酸味が残っているものの、微かに残された甘みや塩味、そして私がこの男を文字通り「奪い取って」「食べている」という事実。
腰を擽られているような浮いているような迫り来る感覚が耐えられず、その場で喘ぎながら天を仰いだ。私をもっと興奮させてくれる誰かは何処かにいるだろうか。もっと、美味しい肉と血に塗れて、もっと快楽に溺れたい。一頻り肩の傷口を漁って血と繊維と肉とを食すと、ペアリングの付けられた左手薬指から私は再び口に含んだ。
「美味しい」

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