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鏡作坐天照御魂神社 小話集1 ~御由緒書きには書いていないこと~



前書き

 電子由緒書を作成しましたが、そこには書ききれないお話を、小話として紹介させていただきます。奉職している神社の自慢をするのは、少し恥ずかしい気持ちもするのですが、鏡作坐天照御魂神社は、小さいけれども見どころの多い神社だと思っています。神様、神社に、興味をもっていただく機会にしていただければ幸いです。

<レイライン>

 あまり一般的には知られていないことですが、大きな神社や由緒のある神社は、その所在地が精密に計算されており、霊峰や岬などと絡み合いながら、幾何学模様を描いていたり、一直線に並んでいたりします。太陽の通る道を計算して建てられている神社もあり、そのコースのは「レイライン」と呼ばれています。有名なレイラインには、淡路島にある伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)を中心に、全国の大きな神社が四方八方に美しく並んでいるものがあります。このことは伊弉諾神宮の境内やホームページにもはっきりと記載されていて、伊勢の神宮、出雲大社、諏訪大社など、堂々たる神社が伊弉諾神宮を中心に並んでいる様子が、地図で確認できます。その時に重要なのが、春分、夏至、秋分、冬至などの、太陽の力がピークに達すると考えらえるタイミングになります。
 鏡作坐天照御魂神社も、大和の大霊山である三輪山と、レイラインの関係になっています。毎年、立春の日に、三輪山と当神社は、太陽の通るコースで結ばれ、当神社から日の出を三輪山の頂上付近に観測できる配置になっています。さらに付け加えるならば、その同日の日の入は、二上山の雄岳・雌岳の鞍部(あんぶ、窪みの場所)に観測できる配置となっています。
 これは、暦を理解するためにそのように設置しただけではなく、太陽の力を地上にもたらすためのダイナミックな呪術として、大きな仕掛けを作り出したのではないか、と思われます。


 さらに、当神社の兼務社である田原本町石見にございます「鏡作神社」も、三輪山とのレイラインの関係になっています。石見の鏡作神社は、冬至の日に、三輪山の頂上付近に日の出を観測できる配置となっています。驚くべきことに、春分、秋分、夏至に観測できる場所にも、神社があり、春分・秋分は多神社、夏至は神武天皇御陵(畝傍山)と三輪山が結ばれる関係にあり、地図で確認できますが、これらの4つの重要拠点は、美しい巨大な三角形の形になっております。


 春分、秋分は、昼と夜が同じ長さということで、陰陽の結合という意味合いから、異世界のゲートが開く日と考えることができます。それらの日は、仏教ではお彼岸とされ、ご先祖様がやってくる期間になっています。夏至は、日照時間が最も長い日で、太陽の力がピークに達する日です。
 冬至は、日照時間が最も短い日であり、太陽の力で言うと、「復活の日」であり、「これから日照時間が長くなっていく日」という位置づけになります。冬至は、世界でも重要視されていて、クリスマスも、そもそも冬至を祝う日だったと考えられます。(クリスマスはそもそもミトラ教の太陽復活祭でしたが、キリスト教文化に融合されました)
 当神社のレイラインが関わる立春は、冬至と春分の間でその名前の通り春が始まる日ということになります。
 私は、このレイラインを歩くことによって、太陽の力をキャッチできるという考え方があることを知り、それを実践しています。年によっては天候の問題や、仕事の都合で歩けない日がありますが、できる限り歩くことにしています。目には見えない恵みをいただける日として、大切に思っております。

<白蛇さん>

 電子由緒書きでも述べましたが、若宮神社には、珍しく白蛇さんの装飾があります。可愛らしい人形です。
 もうずっと前、私が神職になるよりも前の話になりますが、若宮さんの社殿の色の塗り替えがありました。使う塗料が特別のものであるため、まず神様を仮の神殿にお遷しし、社殿を分解して、大阪にある工房に運び塗りなおしてから、もう一度組み立てるという作業が行われました。
 塗り直しが終わり、神様を元の場所に戻す祭祀が執り行われた数日後、大雨が降っておりました。その時、たまたま先代宮司の娘(時々、神社のお手伝いに来ていた)がその近くを通りかかったとき、雨が降りしきるなか、白蛇さんが若宮さんの社殿の前にいるのに気付きました。それは凛としており、神々しく、近づきがたい雰囲気のある白蛇さんだったそうです。
 その白蛇さんは社殿のほうをジ~っと見つめていて、「いったい何を見ているのだろう?」と、彼女は不可思議に思いました。「何か前と違う」と感じてすぐに、前についていた白蛇の装飾が付いていないことに気付きました。先代宮司を呼びにいき、先代も白蛇を見て、社殿を確認しました。業者に電話しましたら、案の定、白蛇の装飾をつけ忘れていたのです。
 白蛇さん自ら、社殿の装飾をつけ忘れていることを教えてくれるという、とても不思議な出来事でした。なぜ白蛇の装飾がついているのかは、神社に記録はなく、確かめられないのですが、根拠のある装飾なのだろうと思わせられます。まさか、つけ忘れた人形が本物に変身して、「あそこに戻りたい」とワープしてきたわけではないでしょうけれども、もしかしたらそうなのかもと思ってしまうほどに、偶然にしてはできすぎな実話です。


<内向花紋八葉鏡の裏話>

 電子由緒書きで、拝殿にお祀りしております大きな鏡の神秘的な話を述べましたが、そこには記載されていない裏ストーリーがありまして、ここで紹介したいと思います。まずは電子由緒書きのほうを読んでいただいてから、このパートを読んでいただければ幸いです。
 国宝の再現品である内向花紋八葉鏡の鋳造と奉納のお話が進行している間、私は神主になるために、伊勢の皇学館大学の社会人コースに通っていました。神主になるための場所は少ないので、全国から老若男女が集まり、二十数名のクラスが集まり、共に学ぶという状態です。若い人だと二十台前半、高齢だと六十代の方もいらっしゃいました。
 そんな中で、ある若者と一緒に学習するシーンが多くなりました。一年の間に、何度も実習や研修があるのですが、驚くべきことに、彼とはすべて同じ班になり、全国に散らばる県外での研修も同じ神社となりました。確率で言うと、数十万分の一くらいの確率で、他にこのようなケースはなかったようです。ずいぶんご縁があるものだと思っておりました。
 そんな彼が奉職したのは、例の京都の籠神社でした。(現在は既定の奉職期間が過ぎ、実家近くの神社でご活躍されております)就職試験の時に、なぜか私の話題となり、面接官の方から「いつかお越しくださいね」と、私にメッセージをいただいておりました。私は、きっといつか参拝させていただこうと考えておりました。
 卒業の後、先代宮司から御鏡の話を聞き、この御鏡奉納のきっかけを作っていただいたのが籠神社の宮司様だったと知り、たいへん驚きました。そして籠神社にお参りさせていただき、直接、海部宮司にお礼を言わせていただこうと、先代宮司も考えていたのです。
 ところで、私には尊敬している修験道の血筋を引く不思議な能力を持つ先生がおります。突然、「一緒に参拝していただけないかな?」と思いつきました。その先生は、不思議な能力で、病気を治してくれたり、夢を叶えるためのサポートをしてくれたりする方で、私も肌身をもってその能力を体験しております。たいへんお忙しい方で、しかも遠方にお住まい。ダメで元々で、メールを出しました。
 すると、びっくりしたことに、OKという返事をいただきました。その理由がまた驚きで、このような内容でした。「実は先日、作家兼霊能者の方が、鏡を作ったのでプレゼントしたいと自宅に来ました。『私のお家は神社でもなんでもないので、鏡は受け取れません。自分のお気に入りの神社を見つけて、奉納して下さい』と伝えました。そしてその方が、あちこち考え、最終的に奉納先に決めたのが籠神社でした。奉納祭も行われて、本人から招待されたのですが、忙しくてそれも断らざるを得ませんでした。そしてあの鏡はどうなったかなぁ?と思っていたところ、鏡の奉納の件で籠神社への招待をもう一度、もらったというわけです。これは行くしかないだろうと。」
 こうして先代、先生、私と家族、そして社会人コースで知り合った仲間と一緒に、籠神社参拝が実現し、海部宮司ともたっぷりとお話させていただきました。
 旅はいろいろな神社に参拝しながらというものでしたが、行く先々で、クロアゲハがお迎えしてくれたのが印象的でした。そして海部宮司の部屋に通されたとき、宮司様の後ろに掛けられた掛け軸には、美しい蝶が描かれていて、鏡の鋳造成功も、この旅の実現も、すべて神様のお導きあってのものに違いないと、感動を覚えました。電子由緒書きでも述べましたが、籠神社と鏡作坐天照御魂神社の主祭神は、同じ「彦火明命」(天照国照日子火明命)なのです。

<桃太郎伝説と鏡作伝説>

 桃太郎と言えば岡山県ですが、その桃太郎が生誕したのが、当神社ある田原本町とされています。
 桃太郎伝説のモデルは、吉備津日子命で、その父上君は第7代孝霊天皇ですが、孝霊天皇がお祀りされているのは、当神社の兼務社である孝霊神社(別名を「廬戸神社」(いおとじんじゃ、田原本町黒田)でございます。桃太郎が活躍したのは吉備の国(岡山県)ですが、生誕したのは奈良県田原本町ということです。
 桃太郎のように元気な赤ちゃんが生まれますように、そして桃太郎のようにスクスクと育ちますようにと、安産や子育てのことでお参りするなら、孝霊神社をお勧めいたします。
 岡山県津山市には、中山神社という由緒のある立派な神社がございます。その神社の主祭神の御名は、なんと「鏡作神」(かがみつくりのかみ)といいます。御祭神はさらに当神社と同じく、天糠土命と石凝姥命です。相当に深いつながりがある神社と考えられます。
 何度か、「岡山県から、本家の参拝に来させていただきました」という崇敬者の方々もいらっしゃったことがあります。
 この辺りと岡山県には、昔から深いつながりがあったようです。


終わりにかえて

~素晴らしい氏子さん崇敬者さんに恵まれた神社~

 当神社は、地元の氏子のみなさん、鏡硝子産業界の方々、その他たくさんの崇敬者の方々のご協力により、維持運営し、神様をお守りすることができております。皆様のお気持ちこそが、神社を守っていくための原動力だと考えております。
 当神社の活動や雰囲気が、どんどん良くなってきているというお話を聞かせていただくことが多くなってまいりました。これはまさに神様の御恵みとみなさまのお力の賜物であり、ここに改めて、心よりの感謝を申し上げます。
 まだまだ当神社のことで言い足りないこともあり、これからもお伝えしたいことが増えていくものと考えております。「御由緒書きには書いていないこと」の「その2」を、いずれお届けできることを願っております。

修正箇所 2024年2月7日

当神社と石見の鏡作神社のレイラインについて、日の出のポイントが三輪山の頂上ではなく、少しずれていることが計測器によって判明しましたので、「頂上付近」と改めました。
おそらく地理上の問題で難しいことがたくさんあり、できる限り正確に近づく場所を選んだ結果だと考えられます。(このような多少のズレは、当神社だけではなく、レイライン全体に言えることです)
このようなズレをどのように考えるかについて、また改めて記載したいと考えております。


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