見出し画像

人生はゼルダだ

今日はちょっとだけ、いい日だった。

本当は仕事終わりに長井短さんのトークイベントと称した飲み会に行くつもりで早めに仕事を切り上げようと、当日券が出ているかギリギリまでSNSをチェックしていて、19:30から新宿で開始するそのイベントに到着できそうなのが20:30ごろだとわかった頃に、少し1日に物足りなさを感じながら帰宅を選んだ。それだとしても、トータルでちょっとだけいい日だったと思える日だったので、たぶん普通の日と比べたらとてもいい日だったんだろう。

今の職場に来てここ1年半は”ギリ生き延びている”というのが正しいか、働いているというより”闘っている”というのが正しいか、常に自分のスキル・時間・コミュ力・仕事力・英語力・オジ調整力すべてにおいて、今時点の自分に対した3倍くらいの”ハート”と”頑張りゲージ”の消費を強いられる環境下だった。ゼルダで言えば暑くて暑さ対策をしないとどんどんハートが目減りしていくのに、暑さ対策ができる木の実を見つけるまで命の限りガンダが必要、木の実を見つけてすぐに料理し暑さ対策したら、すぐに落雷対策が必要という感じだ。

いま、崖をのぼっている途中に、ガンバりゲージが尽きて、落下し、死んでも誰も助けてくれないし、ゲームはロード不可、敵から「だから言っただろ!バカが~~」とののしられる声が聞こえてくる、そんな状況下だった。(実際にはそんなことあるわけないんだけど、それくらい自分にとっては切羽がつまっていた)

昨年の夏にはこのプロジェクトで絶対に自分としての成果を出したい、と思って崖をのぼっている最中に兼務先のエラいオジから「どうせそのプロジェクトはうまくいかないんだから、成功確率の高いこの仕事で頑張れ」と横やりを刺され、ヘドが出るほど嫌で、大喧嘩した。誰がお前の思惑に従うものか、と。大層な若者である。

”若い女がエラいオジに盾をついた”というヤフコメ民が飛びつきそうな話は社内で面白おかしくどんどんゆがみを含んで広がって、自分のプロジェクトに特別思い入れがあったわけではなかったが、その対抗心がさらに自分の心に火をつけた。何があっても成果で見返してやる、と。人生はゼルダである。頑張りゲージと、ハートを貯め、仲間を集め、闘うのです。

その夏以降は、仲間が増えたり、長期出張で合計2か月近く渡米したり、集めた仲間の仲間割れが起きたり、やる気を失ったり。上司がうざかったり、自分はこの"冒険"を続ける、、でよいのだろうか?"ここ”が27歳の自分にとって最適解なのだろうか、方角はあっているのだろうか(ゼルダだったら「○○の冒険の次、どこを回る」とか検索しちゃいたい)、とさまよい転職エージェントと面談をしたり、ワーホリに申請したり。すべてがすべての自分の労力と感情が、プロジェクトを前に進めることだけに向いたベクトルだけではなかった。

ただ、いつでも私は重い重い歯車を回し方があってるのか・回す力の入れ方があっているのかもわからないまま、がむしゃらに歯車を押し、愚痴を言い、闘い、生き延びてきた。

ときどき何かの拍子にふと振り向くといつのまにかこんなに高い場所まで来ていたのかとびっくりする。びっくりして、大泣きする。今日は大嫌いでもあり大信頼もしている恩師からふと言われた一言を帰路で思い出し、大泣きした、そんな日だった。

きっとこの先も人生は冒険であり、ゼルダである。うざい敵もたくさんいるだろうし、近道を探して戸惑うこともある、今日じゃないなと思えば闘いから逃げる日もあるだろう。でもきっと、また今日みたいに自分を認めてあげたいと思える日がくると思う。

たまにはふと休憩してここにある自分を褒めてあげたい。目の前の簡単な不幸に流されるのではなく、実はいろんな日々を過ごしていて少しずつ前に進みながら豊かに生きているという真実の幸福の旗を握っていたい。


この記事が参加している募集

仕事について話そう

今日の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?