平沢進とユング心理学

はじめに


本稿は、平沢進がP-MODELで活動を行っていた時期について、歌詞を考察することで、ユング心理学が彼にどのような影響を与えたのか明らかにする、というものである。

まず、平沢進とP-MODELについて簡単に整理する。平沢進は1978年にデビューし、2000年に活動を休止したバンドであるP-MODELのリーダーで、現在はソロで音楽活動を行っている人物である。

次に、P-MODELの各時期におけるバンドの呼称と発売されたアルバムを整理する。なお、バンドの呼称について、「初期P-MODEL」と「中期P-MODEL」は、公式に発表されているものではなく、ファンが活動時期を区別するために付けたものであり、どのアルバムから「中期P-MODEL」に該当するのか、様々な見解がある。そこで、私は平沢の歌詞に対する姿勢に変化が見られた3rdアルバムからを「中期P-MODEL」とした。さらに「中期P-MODEL」の期間においても、変化が見られたので、「中期P-MODEL前期」と「中期P-MODEL後期」と名前を付けて区別している。

初期P-MODEL
 1979年 1stアルバム「IN A MODEL ROOM」
 1980年 2ndアルバム「LANDSALE」

中期P-MODEL前期
 1981年 3rdアルバム「POTPOURRI」
 1982年 4thアルバム「Perspective」
 1984年 5th アルバム「ANOTHER GAME」

中期P-MODEL後期
 1984年 アルバム「SCUBA」(平沢進、三浦俊一による作品)
 1985年 6thアルバム「KARKADOR」
 1987年 未発表アルバム「モンスター」

解凍P-MODEL
 1992年 7thアルバム「P-MODEL」
 1993年 8thアルバム「big body」

改訂P-MODEL
 1995年 9thアルバム「舟」
 1997年 10thアルバム「電子悲劇/~ENOLA」
 1999年 11thアルバム「音楽産業廃棄物~P-MODEL OR DIE」

以上に列挙したアルバムの中で、ユング心理学をコンセプトにしたものが、「SCUBA」と「モンスター」でなので(注1)、その点を意識しながら歌詞の解釈を行う。その方法は、歌詞を文字通りに把握して得られる情報から、その内容を解釈し、平沢の歌詞に対する姿勢を考察する、というものである。その際に、インタビューなどにおける平沢の発言も参考にする。なお、平沢はインタビュー等で歌詞の内容について語ることがほとんどなく、解釈をリスナーに委ねているため(注2)、私がこれから述べる内容はあくまで持論であるという点に留意いただきたい。


平沢が望むリスナーとの関係性


まず、平沢の実際の音楽活動をいくつか取り上げ、平沢が望むリスナ―との関係性について考察する。これを理解することで、歌詞を解釈しやすくなるからだ。

平沢の活動で、特に注目したいのが「インタラクティブライブ」と「音楽産業廃棄物~P-MODEL OR DIE 」である。

「インタラクティブライブ」は、平沢が1994年から行っている新しい形式のライブである。これは、ストーリー仕立てのライブで、観客が分岐を選択することで、演奏される曲、ストーリーの結末が変化する、というものである(注3)。つまり、インタラクティブという名前の通り、リスナーと平沢が直接的に交流しながら進行するライブである。

「音楽産業廃棄物~P-MODEL OR DIE」は、P-MODELが1999年に開始したプロジェクトである。この活動の中で平沢は、JASRACによる著作権の一元管理を批判して、所属していたレコード会社から脱退し、インターネットを通じた楽曲のMP3配信を行った。このプロジェクトの一環として行われたライブでは、「インターネットを通じて、リスナーと音楽家を直結するこのテクノロジーは、悪習と保守主義の権化である、過去遺産的音楽産業の終焉を予感させ、同時に新しい音楽シーンの可能性を浮上させます。(注4)」と宣言している。つまり、音楽業界という中間存在を排除することで、アーティストとリスナーの直接的な関係性の構築を目指したのである。

以上の2つの活動から、アーティストとリスナーが直接的にコミュニケーションをとることができる関係性を、平沢は望んでいると考えられる。直接的な関係性というのは、次章以降で歌詞を解釈していく中にも登場しており、平沢の歌詞に対する姿勢を考察する上で非常に重要である。

これから、P-MODELの各時期における歌詞の解釈と、それを補強するようなインタビューなどにおける平沢の発言などを紹介する。


ユング心理学以前における歌詞に対する姿勢


初期P-MODEL(IN A MODEL ROOM、LANDSALE)

この時期の平沢は、①アーティストとリスナーの間に存在する音楽業界を批判し、②リスナーと直接的なコミュニケーションをとる手段としての歌詞へに期待を寄せている。まず、①について、2ndアルバム「LANDSALE」から「ダイジョブ」という曲の歌詞を取り上げる。

「話す言葉は管理されたし 手紙を出せばとりあげられる」
「私対話の経路は複雑怪奇 ボクがあんたの目を見つめるのに
 いったいいくつの許可がいる ボクの声が聞こえるか」
「いまわしいシステムはなれられない」

前述の通り平沢は、「ボク」と「あんた」、すなわちアーティストとリスナーの直接的なコミュニケーションを望んでいる。よって、「話す言葉」を「管理」し、「手紙」を「とりあげ」る存在である「いまわしいシステム」、つまり音楽業界という中間存在を批判していると考えられる。実際にこの頃のインタビューでは、「こんな社会に満足しているわけじゃない(注5)」と発言している。

次に、②について再び同曲の歌詞を取り上げる。

「私あんたをあきらめきれずに」
「私しぶとい伝染病」

音楽業界が介在する状況において、リスナーとのコミュニケーションを渇望していることが「あきらめきれずに」や「しぶとい」といった歌詞で表現されている。つまり、歌詞を通して積極的にリスナーに対して意思伝達しているのである。実際に、この頃のインタビューでは、「いかに聴き手と同んなじ問題意識のレベルで、共有し合えるものを出すかっていう所ですね。(注6)」と発言している。つまり、現実世界における問題を曲によって提起し、リスナーと共有することを目指す中で、コミュニケ―ション手段としての歌詞に対して期待を寄せているのである。このことから、言葉による意思伝達に対してポジティブであることが分かる。このような姿勢は、後述する「中期P-MODEL前期」とは対照的なものである。

中期P-MODEL前期(POTPOURRI、Perspective)

この時期における平沢は①「初期P-MODEL」における、歌詞を通じたリスナーとのコミュニケーションが失敗に終わったことで、孤独を感じ、②意思伝達手段としての歌詞に対する期待を失ってしまっている。

まず、①について次の2曲を取り上げる。

いまわし電話(POTPOURRI)

「一から千まで話したところで さみしさには変わりない」 
「この気持ちをどうにかしようと ついうっかり受話器をはずして」

potpourri(POTPOURRI)

「ボクは月をうらんではいない 勝負は始めに着いていたから」
「人ごみに浮かぶボクのぬけがら」
「せめて香りのgestalt あなたの頬を紅く染めて」

これらを「初期P-MODEL」と比較すると、孤独を強調する言葉が多く使われていることから、初期の2作で試みられた、歌詞によるコミュニケーションの試みが失敗に終わり、孤独を感じていることが分かる。実際に、この頃のインタビューでは、「前まで外にある世界と対面し、なんとかそれと対決していこうという姿勢があったのですが、いまはもういちいち局面ごとに対決することは止めてもっと腰の据わった全体的なものとして考えようと。(注7)」と発言している。つまり、現実世界の問題を歌詞によってリスナーと共有しようという姿勢が、この時期の平沢にはないのである。

一方で、コミュニケーションに対する未練をにじませていることが「ついうっかり受話器をはず」してコミュニケーションをとろうとしたり、「香りのgestalt」が「あなたを紅く染め」る、つまり平沢の意思がリスナーに伝わることに期待してしまう、といった表現からうかがえる。

次に、②について以下の2曲を取り上げる。

Perspective(Perspective)

「厳粛な光の視覚 言葉だけが身を囲む」
「言葉なくては見えない この身よ果てろ」

のこりギリギリ(Perspective)

「うそなんかじゃありゃしない ましてほんとうなんかじゃありゃしない
日記があるだけ」

「言葉だけが身を囲む」、「日記があるだけ」といった表現から、この段階の平沢にとって、言葉はコミュニケーション手段として全く役割を果たしていないことが分かる。また、「POTPOURRI」までに見られた、歌詞の中に登場する「ボク」などの主体が、「あんた」などの客体に、何かを伝えようとするというストーリー構成が、この時期には存在していないことからも、伝達手段としての言葉に対する期待が失われていることが分かる。


心理学への接近


中期P-MODEL前期(ANOTHER GAME)

「ANOTHER GAME」において、歌詞の変化は見られないが、歌詞以外の音楽表現に、心理学的な手法が見受けられる。この時期は、後述の「中期P-MODEL後期」において、平沢が大いに影響を受けたユング心理学に通じる点があると考えたので、整理しておく。

5thアルバム「ANOTHER GAME」はシルバ・メソッドに触発された平沢がセルフ・コントロールの手法を取り入れたアルバム(注8)である。このアルバムの中でも「AWAKING SLEEP~αclick」では、その手法が全面に現れており、アルバム付属の解説文には、「α click はリラックスと精神集中に効果のある音響構造をもとに作られたものです。(中略)脳波がα状態にあるとき、想像力、集中力、ESP能力等が向上すると言われています。(注9)」と記載されている。

シルバ・メソッドは、脳波がα状態にある時、つまり意識の働きが低下し、無意識状態になった脳に対して能力開発を行うというものである(注10)。また、シルバ・メソッドにおいて意識や無意識は不可欠なものであり、ユング心理学と共通している。よって、平沢がシルバ・メソッドを通じて、ユング心理学に接近したのではないかと考えられる。


ユング心理学における集合的無意識の影響

中期P-MODEL後期(SCUBA、KARKADOR、モンスター)

この時期の平沢は、ユング心理学の集合的無意識という考え方に強く影響を受けており、それが歌詞に対する姿勢に変化をもたらしている。そこから、①集合的無意識では言葉を使わなくてもコミュニケーションが取れることから、②リスナーを集合的無意識に導くための手段として、歌詞を利用するようになったと考えられる。

①について取り上げる前に、「SCUBA」付属のブックレットに収録されている「SCUBA物語」について整理する。アルバム「SCUBA」は、「ばらばらの島になってしまった個人も海の底ではつながっているはず―。オリジナルはカセット・ブックでリリースされ、本とともにユング心理学の普遍的無意識、ループ(円環・循環)をコンセプトにしていた。(中略)ほとんど平沢ひとりで制作している。(注11)」とあるように、集団的無意識をコンセプトにしたものである。そして、「SCUBA物語」にもその影響が表れているため、これを整理することで歌詞を理解しやすくなるのである。

「SCUBA物語」は平沢が見た夢をもとに、集合的無意識のコンセプトを取り込んで創作した物語である(注12)。そのため、内容に支離滅裂な部分もあるため、以下のように簡潔にまとめた。

「ボク」は死んだ友人の夢を見る。その時、頭の中で「ブクブク」というスイッチが入った状態になる。①このスイッチを入れることで、意識の深層と連絡を取れるようになり、「テレパシー」が使えるようになるという。「ボク」は「ホップ」という太古から生きている魚に出会い、「ブクブク」について知ることとなる。彼によると、②魚はかつて皆同じ姿をして群れで生活しており、「ブクブク」のスイッチが入った状態であったが、③それぞれの魚が個性を求めるようになると、スイッチが切れてしまったらしい。

上記の内容①~③を、ユングの集合的無意識の考え方に沿って解釈していく。まず集合的無意識を一言で表すと、「無意識」の中でも、生来的で人類一般に普遍的な内容で、神話的なモチーフや形象によって表されるものである(注13)。これは、個人によって内容が異なる「意識」とは異なるものである。

②個人がそれぞれの「意識」を持つ前、つまり未開の段階にある人々の心は、本質的に集合的であり、それゆえ大部分は無意識的であった(注14)。その人々が、呪術的威信を持ったリーダーの下で、共同体的生活を送るためには、集合的な思考や感情に従って、周囲の人間を模倣して行動すること(「ブクブク」のスイッチが入った状態)が重要であり、「意識」はそれに相反するものであった(注15)。

③その後、集合的な心から完全に独立することで個人の意識が生まれ、もはや集合的無意識にアクセスすることができなくなってしまった(注17)(=スイッチが切れた)。

①夢は意識と無意識の相互作用によって生じるものなので(注18)、その内容を分析することで、集合的無意識を含む無意識の内容を知ることができる(注19)。すなわち、現代において集合的無意識にアクセスする手段の1つが「夢分析」である。

このように平沢はユング心理学に大きな影響を受けており、とりわけ集合的無意識の考え方に注目していることが分かる。

ここで、①集合的無意識では言葉を使わなくてもコミュニケーションが取れるという点について「SCUBA」の「FROZEN BEACH」の歌詞を取り上げる。

「出会いの場所はそもこのFROZEN BEACH」
「仲深まる程に消える口数 夢の合図と秘密で息をつく」
「あといくつの現を思いながら 溶けた海の底でキミに会えるか」

「FROZEN BEACH」と「溶けた海の底」の対比は、「言葉によるコミュニケーション」と「集合的無意識におけるコミュニケーション」の対比であると考えられる。まず、「言葉によるコミュニケーション」は、「意識」段階で行われるもので上手くいかないため、「FROZEN」と表現されている。一方で、集合的無意識は人類普遍のものであることから、言葉によって伝達する必要がない。よって、「消える口数」と表現されるように、集合的無意識という「海の底」に潜っていくほど言葉は不要になるのである。

このようなつながりを得た安心感からか、この時期には孤独を表現するような歌詞は見られなくなっている。また、「中期P-MODEL前期」の歌詞において消失してしまっていた、コミュニケーションの客体が再び登場していることから、一度は失われてしまったコミュニケーション手段が、集団的無意識という形で復活していることが分かる。

実際に、この頃のインタビューで平沢は「人の意識っていうのはちょうど海に浮かぶ島みたいなもので水面―表面では個人と個人がいるけれど、水面下の部分は、最後は海底でつながっているでしょ。20」と発言している。ここで平沢は、意識を島、海底を集合的無意識と対比させている。

以上より、平沢は言葉に対する期待の喪失によって生じた孤独から、集合的的無意識のつながりによって脱却したのである。

次に、②リスナーを集合的無意識に導くために歌詞を利用するようになったのではないかという点について、「KARKADOR」の「KARKADOR」と、「モンスター」の「仕事場はタブー」の歌詞を取り上げる。まず、アルバム「KARKADOR」において平沢は、カウンセラーの勧めで夢日記を採用し、歌詞は夢をそのまま言葉にしたと言われている。これはあくまで噂に過ぎないが、これを補強するような情報が、P-MODELのCDボックスである「太陽系亞種音」付属のブックレットに記載されている。

このブックレットは、P-MODELの実際の活動記録に対応した、創作のストーリーをパラレルに展開されたものである。その中の「KARKADOR」発売時に対応するストーリーに、「夢」という言葉が登場している(注21)。このブックレット内のストーリーにおいて、夢という言葉が登場するのがここだけなので、「KARKADOR」が夢に関係していると考えられる。

夢は意識と無意識の相互作用によって生じるものであり、集合的無意識など無意識の内容を含んでいる。よって、夢を言語化した「KARKADOR」の歌詞は、リスナーを集合的無意識に導く役割を果たしていると考えられる。
この点について「KARKADOR」の歌詞を取り上げる。

「たって見ぬ窓にカルカドル かつて見ぬ部屋にカルカドル
たって かつて
ランダム ランダム
壁に 現れてはまた消える 面影は数え切れず
デジャブ デジャブ
なぜか カガミ見るようになつかし
どこかで声 おかえりなさい」

まず、「カルカドル」は平沢自身が「カルカドルには意味がない。(注22)」と発言しているように、意味のない言葉である。そして、「デジャブ」や「面影」、「なつかし」など、既視感を表現した言葉が多用されている。前述のとおり、夢に現れる集合的無意識の内容は、人類普遍で生来的な内容なので、夢をそのまま言葉にした歌詞において、既視感が強調されることにも納得できる。

また、今までの歌詞にあったようなストーリー性が消失している。そこから、平沢は歌詞の内容自体は重視しておらず、リスナーを集合的無意識に誘導する手段として歌詞を利用しているのではないかと考えられる。

同じく②について平沢は、夢を言葉にした歌詞だけでなく、神話や昔話などのモチーフを歌詞に取り込むことで、リスナーを集合的無意識の世界に誘導しようとしている。それは、集合的無意識の内容をモチーフにした神話や昔話によって、意識状態にありながら集合的無意識の内容を知ることができるからである。

神話や昔話を歌詞に取り込んだ曲が多く収録されているのが、未発表アルバム「モンスター」である。「アルバム『モンスター』は、無意識に潜む原始的な大母が怪物となって近代人の精神に逆襲する、というユング心理学的なテーマを持ったアルバムになる予定で、(中略)87年にはリリース予定だったが、レコード会社内のトラブルによってレコーディングされないまま“凍結”されてしまった。(注23)」とあるように、このアルバムにおいて、平沢は集団的無意識のモチーフである「大母」に注目している。

歌詞の解釈に入る前に、まず「大母」に代表される「元型」について整理する。集合的無意識には、仮説的概念である「元型」が存在している。それ自体を意識によって直接把握することはできないが、その無意識における働きは意識にも影響を与えているため、イメージとして把握することができる。このように、意識によって把握された「元型」のイメージが「原始心像」であり(注24)、神話や昔話のモチーフとなっている。

ユング派の精神分析家である河合隼雄が「元型」を「先験的に与えられている表象可能性(注25)」と表現しているように、様々な形態で意識に「原始心像」として現れるので、一義的に捉えることは不可能である。例えば「大母」は、ニュートラルな「包含する」という「原始心像」から派生して、「生」や「死」までを内包している(注26)。

これを踏まえて、「仕事場はタブー」の歌詞を考察する。この曲は、「モンスター」に収録予定であったが、未発表に終わってしまったため、実際にはソロ名義のアルバムである「時空の水」に収録されている。

「シャツ縫うミシン轟けば 月夜に地鳴りの夜なべ歌」
「拒めど 着さす 着さすと縫う」
「見た子じゃ逃げても 糸で絡めとる」
「決起の騎士に見立てて 勇んだ夜道は無駄な逃亡」

「仕事場はタブー」、「縫う」、「見た子」などの言葉から、「鶴の恩返し」の物語をモチーフにしていると考えられる。日本には、地母神と呼ばれる「生み出す力」と「呑み込む力」の両面を持った神に対する信仰があり(注27)、これは「大母」の原始心像である。そして、「鶴の恩返し」における鶴には、地母神の「生みだす」という働きが表現されている。

次に、歌詞の内容について整理する。ストーリーは「シャツ」を「着さす」存在からの「逃亡」を試みるというもので、これは「大母」からの「独立」を表現したものであると考えられる。「大母」には、養い育てるという肯定的な側面と、死をも内包するという否定的な側面があり、この歌詞の中では、「縫う」や「糸で絡めとる」と表現されている。

また、人が自我を確立していく過程には「母性」との対決がある。ここで、「母性」というのは「大母」の原始心像であり、「保護する」という働きをしている(注28)。つまりこの歌詞は、「着さす」「大母」からの「逃亡」、つまり「保護する」者からの「独立」を表現していると考えられる。

この頃のインタビューでは、「テーマというより“モンスター”というのはシンボルなんです。(中略)“モンスター”を例にとると、 ある時代には「やまんば」として表現され、 またある時代には「聖母」として、 はたまた「体制の象徴」としてもシンボライズされている時代もある。(中略)あるモノが個人の伝播によって変わるプロセスを経て、 もっと違う言葉に変貌することを信じてる。(注29)」と発言している。

この中で「大母」を表現する言葉として、「やまんば」、「聖母」、「体制の象徴」の3つが挙げられている。原始心像は様々な形態で意識に現れるものなので、平沢が「大母」から上記の3つをイメージしたことは理解できる。また「個人の伝播」による「言葉」の「変貌」というのは、平沢が挙げた3種類以外の原始心像が、リスナーから生まれるということである。つまり、「モンスター」収録曲に表現された「大母」の原始心像について、平沢はリスナーのイメージに委ねているのである。

以上より、この時期の平沢は、コミュニケーションを行うことができる集合的無意識にリスナーを手段として、歌詞を利用するようになったのではないかと考えられる。


その後の作品における歌詞に対する姿勢


改訂P-MODEL(舟)

この時期における平沢は、①コミュニケーション手段としてインターネットに活路を見出し、そこにリスナーを導くために歌詞を利用しており、⑵再び歌詞によって意思伝達しようという姿勢を取り戻している。

歌詞に入る前に、アルバム「舟」について整理する。「舟」の1つ前のアルバムである「big body」において、人間はインターネットという脳を拡張する道具を手に入れ、統合的な存在になるということをテーマにしている。これは、シオドア・スタージョンの「人間以上」やマクルーハンの「人間の拡張理論」の影響をけている(注30)。そのようなテーマが、インターネットの普及に伴い現実化しつつあることを背景として、発表されたのが「舟」である(注31)。このことから、平沢はインターネットの世界に活路を見出し、そこにリスナーを誘導することでコミュニケーションを行おうとしたのではないか考えられる。

また、平沢は意識に対する集合的無意識との類比として、現実世界に対するインターネットの世界を捉えていたと考えられる。もしそうであれば、集合的無意識の概念に大きな影響を受けた平沢が、インターネットに魅力を感じたことにも納得できる。

ここで、①、②について以下の3曲の歌詞を取り上げる。

「WELCOME」(舟)

「開けましょうか 根源の園のドアをば」
「腰かけて 電源のそばのシートへ」
「明日は電子の船をこいで」

「夢見る力に」(舟)

「音楽が終われば また君は街に帰るけど
 楽しげなあの世界に 蓄えた言葉はキミのため」
「支度ができたら 地平も飛び越し
 ここへおいでよ キミもこの地へ降り立つ日々は約束しよう」
「帆に風はれば船を滑らせ」

「残骸の船Saksit」(舟)

「時は来て断壁でキミを乗せ
 今は行く残骸の国を捨て
 波よ立て伝来の宝船
 歌いだせ伝播の波に乗り」

①について、現実(「街」、「残骸の国」)とインターネットの世界(「根源の園」、「楽しげなあの世界」)を対比し、リスナーをインターネットの世界へ誘う内容になっている。そして、3曲の中でインターネットの世界は、いずれも魅力的なものとして表現されていることから、平沢がインターネットに希望を見出していることが分かる。

また、「電子の船」や「船を滑らせ」、「伝来の宝船」など、船という言葉が登場しており、パソコンや通信技術を指したものだと考えられる。つまりインターネットというコミュニケーション手段が確立されつつあるこの時代において、平沢は歌詞によって、現実世界にいるリスナーをインターネットの世界へ導こうとしていると考えられる。

②について、この時期の歌詞のはストーリーがあり、リスナーが曲を聴いてそれを理解できるようになっている。「中期P-MODEL後期」とこの時期において、リスナーを異なる世界(集団的無意識/インターネットの世界)へ導くという点で、歌詞の役割は同じである。しかし、その内容が性質的に異なるのは、「集団的無意識」と「インターネットの世界」の性質の違いによるものだと考えられる。

前者においては、リスナーの無意識に訴えかけることが重要なので、歌詞の内容自体には重点は置かれていなかった。一方で後者においては、リスナーをインターネットの世界に誘導するために、その魅力を伝えなければならない。そして、歌詞はこの役割を果たしているため、その内容自体に意味を持たせる必要がある。以上の点からこの時期の平沢は、歌詞による意思伝達に対してポジティブであることが分かる。


まとめ


P-MODELの各時期における平沢の歌詞に対する姿勢を、歌詞を解釈することで明らかにしてきた。その中で、リスナーとの直接的なコミュニケーションという平沢の望みは、一貫して現れていた。また、ユング心理学の影響を受けた「中期P-MODEL後期」の前後で、歌詞に対する姿勢は大きく変化していた。P-MODELの各時期における、平沢の歌詞に対する姿勢を簡潔にまとめて、本稿を締めくくることにする。

初期P-MODEL
平沢とリスナーの間に存在するメディアや音楽業界を批判し、現実世界で歌詞による意思伝達で、直接的なコミュニケーションを目指している。

中期P-MODEL前期
意思伝達手段としての歌詞に対する期待が失われ、歌詞は孤独を表現するばかりで、リスナーに意思伝達しようとする姿勢が失われている。

中期P-MODEL後期
集合的無意識におけるコミュニケーションに期待を寄せ、歌詞はリスナーをそこに導く手段になっているが、歌詞の内容自体は重視されていない。

改訂P-MODEL
直接的なコミュニケーション手段としてインターネットに活路を見出し、インターネットの魅力をリスナーに伝えるため、意思伝達の役割としての歌詞に再び期待を寄せている。



1  平沢進「太陽系亞種音新パッケージ版」(テスラカイト、2014年)
  83頁、103頁
2 「ロケットニュース24」
  https://rocketnews24.com/2015/12/22/677075/3/
3  平沢進 ライブDVD「架空のソプラノ」(テスラカイト、2007年)
  パッケージにあるインタラクティブライブの紹介文を参考にした。
4  P-MODEL ライブDVD「音楽産業廃棄物 P-MODEL OR DIE」
 (テスラカイト、2011年)
  ライブで行われた「音楽産業廃棄物 P-MODEL OR DIE宣言」という宣言
5「音楽専科1980/05」(音楽専科社、1980年)125、126頁
6「月刊ロック・ステディ1980/08」(集英社、1980年) 20~24頁
7「rokin’on 1981/05」(ロッキング・オン社、1981年) 28頁
8  平沢進「太陽系亞種音新パッケージ版」(テスラカイト、2014年)77頁
9  同著、同頁
10「シルバメソッド・ジャパン」
  https://www.silvamethod-japan.com/silvawhat.html
11  平沢進 「太陽系亞種音新パッケージ版」(テスラカイト、2014年) 
  103頁
12  平沢進 「太陽系亞種音新パッケージ版」(テスラカイト、2014年)
  105頁
13  河合隼雄 無意識の構造(改版)(中公新書、2015年)37頁
14  G.G.ユング/著 松代洋一・渡辺学/訳 自我と無意識
 (第三文明社、1995年)55頁
15  同著56~57頁
16  同著58頁
17  同著同頁
18  河合隼雄 無意識の構造(改版)(中公新書、2015年)66頁
19  同著71頁
20「大津波では救いがたい」    
  http://searoute.hatenablog.com/entry/2017/04/27/011425
  平沢に対するインタビュー記事がページ内に掲載されている
21  平沢進「太陽系亞種音新パッケージ版」(テスラカイト、2014年)80頁
22 「DOLL 1985/12」(株式会社DOLL、1985年)
23  平沢進「太陽系亞種音新パッケージ版」(テスラカイト、2014年)83頁
24  河合隼雄 無意識の構造(改版)(中公新書、2015年)95頁
25  同著、96頁
26  同著、84頁
27  同著、79頁
28  同著、87頁
29 「DOLL 1988/4」(株式会社DOLL、1988年)
30  平沢進「太陽系亞種音新パッケージ版」(テスラカイト、2014年)87頁
31  同著、同頁

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