あらゆる選択肢の中で「何もしないのが最善」ということを忘れていないか

2020年のコロナ騒動から、世界中の経済や自由が破壊されてきた。
騒動の当初から、「この騒動は全て嘘で詐欺である」と気づいていた人もいるが、多くの人は騒動に振り回され、ウイルスをスカスカに通すマスクに効果はないとわかっていながらマスクをすることに従い、動物実験さえ終わっていないワクチンを打つことで喜んで人体実験に参加する人であふれかえった。

2年以上が過ぎて、みなさんはどのように考えているだろうか。
各国政府や世界なんとか機関ら、各国大手メディアが発信する情報を無視すれば、経済は破壊されることはなかったし、自由を奪われることもなかった。
大切な人間関係を壊された人は、こんなことがなければ人間関係を破壊されることもなかったと思う人もいるだろう。
多かれ少なかれ、終わってしまう関係であったかもしれないが、コロナ騒動は、それらの爆弾のスイッチを一気に押されてしまうほどの威力があったことは確かだ。

一体、どうしていれば、最も幸せでいただろうか。
われわれは十分な選択肢を考慮して行動を選択しただろうか。
全ては、「何の対策も講じず、そのままの生活を続ける」という選択肢が捨て去られたことも要因の一つだろう。

結論から言えば、このような支配者層による詐欺は無視するのが一番なのである。
これまでの様々な詐欺行為に対して、例えば、インフルエンザやサリドマイドなどの場合には、大衆は大方無視したため、今回の騒動のようなことにはならなかった。

このような騒動でなかったとしても、われわれが何かの決断を迫られた時に、様々な選択肢が考えられるわけだが、深刻な問題であればあるほど、「何かしらの行動を能動的に行った方が良い」という錯覚に陥ることが多い。
しかし、大抵の場合は、「十分な考察を行わないままに適当に行われる対策は、かえって事態を悪化させる」のだ。
そう、「下手な対策を打つくらいなら、何もしない方が良い」のだ!
われわれはまんまとその大原則を忘れて、「とりあえずマスクをしましょう」「とりあえずワクチンを打ちましょう」という、オレオレ詐欺よりも単純な詐欺に世界中が騙されたようなものなのだ。

われわれは様々な問題に対して、「何も策を講じていない」ことに対する非難を受けることが良くある。
それゆえに、本当は何もしない方が良いにも関わらず、状況を悪化させるだけの対策を良しとして満足することが往々にしてあることを忘れてはならない。
われわれは余計なことをして、社会をさらに悪くしている可能性があることを忘れてはならない。

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