愛こそが全てであり最も重要なものであるということを物理学者として語ろう
「愛こそ全てだ」という言葉を聞くと、大抵は宗教やスピリチュアルを手段とした詐欺師が、詐欺の手段として使っているのがほとんどだ。
だが、今回はそういう詐欺的な話ではなく、本来、人が人として人間らしく生きていくのに必須な「愛」について語る。
何故、愛が重要かというと、人が人として生きていくために、唯一無二に重要なものが「愛」であり、「愛」こそが大切な人、大切な家族、大切な文化を守っていくものになるからだ。
日本人は「愛」についてほとんど語らないように感じるし、愛情表現しかりだ。
だが、日本という国や文化、伝統、そして日本の家族や個人個人の精神さえが破壊され、日本というコミュニティの存続の危機となっている時代だからこそ、「愛こそが全てであり、最も重要である」ということを、一人一人が認識しなければならない。
愛とは何かを一言で言うのは難しい。
愛とはいたわることである。
愛とは思いやりである。
愛とは感謝の気持ちをもつことである。
愛とは共感し、全てを受け入れることである。
愛とは支え、与えることである。見返りを求めるものは愛ではない。
愛とは信じることである。相手を疑うことは信じることとは違い、そこに愛はない。
愛とは真逆のものがある。
それは憎しみである。
それは不満である。
それは不安である。
それは恐れである。
それはストレスによって増大する。
愛のエネルギーは大きくなればなるほど、周りの人に波及する。
逆に愛とは真逆のもののエネルギーが大きくなれば愛は枯渇していく。
愛のエネルギーをポジティブなエネルギー、正のエネルギーとすれば、愛とは真逆のエネルギーはネガティブなエネルギーとなる。
人を信じる気持ちが高まれば、ポジティブなエネルギーが増大し、愛のエネルギーも増大する。
人を疑ったり憎んだりする気持ちが強くなれば、ネガティブなエネルギーが増大し、ポジティブなエネルギーが減少し、愛のエネルギーは減少する。
愛のエネルギーの強い人の周りには人が集まり、人と人との生の対話が生まれる。
愛のエネルギーが枯渇した人でさえも、愛のエネルギーの強い人によって救うことができる。
愛について注意が必要なのは、偽りの愛だ。
「子供を愛しているから」と言いながら、子供に親のエゴを押し付けるのは愛ではない。
本当に親が子を愛しているなら、たっぷりの愛情を注ぎ、愛していることを伝え、そして子供がすることを信じて見守るのが本当の愛だ。
ほとんどの宗教も偽の愛を語っている。
何人も愛する愛があれば、異教徒を批判したり、異教徒を弾圧したりしようとはしないはずだ。
偽りの愛を語る宗教家はサイコパスの詐欺師だ。
スピリチュアル詐欺に走る人も注意が必要だ。
スピリチュアルに走る人の多くは、自分がポジティブであることを装うために、ネガティブなことを見ないようにしたり、目を背けたりする。
これは愛が欠如している状態と言える。
人々に愛のエネルギーが溢れると、人と人とが信用しあい、信頼しあい、人と人とのふれあいが増える。
愛が溢れる人たちで構成されたコミュニティーは結束力が強く、偽情報を流して騙そうとしても、騙すことが難しくなる。
世界の支配者たちは、このことを熟知しているからこそ、人々から愛のエネルギーを削ぐ努力をするのだ。
ネガティブなニュースばかりを流し、何か事件が起きたら何倍も悲観的に報道して人々にネガティブなエネルギーを与えようとする。
人々の心にネガティブなエネルギーが高まれば、人を疑ったり、不安を感じたり、おそれたりすることで、愛のエネルギーは弱まるのだ。
愛のエネルギーが枯渇した人は心のバリアを貼るようになる。
心のバリアを貼った人は疑い深くなり、人を信用しなくなり、殻の中に一人で閉じこもるようになる。
殻の中に閉じこもった人は洗脳しやすくなる。
新興宗教やカルト宗教が人を洗脳するとき、その人の人間関係を断ち、一人孤独な状態にしてから救いの手を差し伸べて洗脳する。
人の心を不安にして恐怖を与えておいて、「この壺を買えば救われる」「この墓地を買えば救われる」と言って騙すのである。
新興宗教やカルト宗教がやっている洗脳の手口は、世界の支配者たちがやっている情報戦もやり方は同じである。
新型コロナウイルスで恐怖をあおっておいて、「このワクチンを打てば救われる」といって世界中が騙された。
また、愛のエネルギーが枯渇した人は平気で人を傷つけるようになる。
人を騙しても平気になる。
いじめられている人、苦しんでいる人、泣いている人がいても、平気で放置出来るようになる。
愛のエネルギーが枯渇した人が増えれば増えるほど、人と人とが助け合わない空虚な社会になってしまうのだ。
愛のエネルギーのない社会では、平気で不正や汚職が横行する。
人が人として持つべき倫理観を失ってしまい、サイコパスだらけの社会になってしまうのである。
平気で人が人を喰い物にする社会など、もはや人間社会とは言えず、魑魅魍魎の獣が住む地獄でしかない。
「愛のエネルギーが増大する減少する」という話を聞くと、怪しい宗教や怪しいスピリチュアルの話だと思う方もいるかと思うので、物理学者として説明する。
そもそもこの世の物質は量子物理学的に言えば、全て個体であると同時に波動である。
人が人と触れ合った時に体温を感じるのは、波動によって体温が伝わるからだ。
波動エネルギーが高ければ高いほど、暖かさは増すのである。
言葉や感情などの情報は、波動として物理的に存在している。
不思議な感じがするが、ポジティブな言葉や感情などの情報は波動エネルギー(周波数)が高いし、ネガティブな言葉や感情などの情報は波動エネルギーが低い。
波動というのは、波動とは波動とがぶつかると波の干渉現象を起こす。
波の干渉現象とは簡単に言うと、似たエネルギーは高めあい、相反するエネルギーは相殺されて減少する。
例えば、ポジティブな波動ばかりがたくさん流れてくると、似たエネルギーとして波の干渉が起こり、より大きなポジティブな波動となり、大きな波動エネルギーをもつようになる。
ポジティブな波動エネルギーを持った状態の所にネガティブなエネルギーの波動が流れ込むと、波の干渉によってポジティブな波動エネルギーは弱まり、さらにネガティブなエネルギーの波動が流れ込むと全体としてネガティブな波動エネルギーになってしまう。
人は全体としてポジティブな感情かネガティブな感情のどちらかをたくさん持つ状態となるが、それは波動エネルギーとして周りに伝播される。
人と接した時に、「あの人は気持ちが良いほど明るい人だな」と感じたり、「あの人は気持ち悪いくらいに負のオーラをまとっていて、付き合うのがしんどいな」と感じたりすることはないだろうか。
これは正に、その人が持っている感情がポジティブなのか、ネガティブなのかによって、波動エネルギーとなって発散し、それを人が波動エネルギーとして受け取るからである。
「あの人はなんとなく信用できない」と感じるのは物理学者的な視点から言えば、その人に霊感があるからとか、スピリチュアル的な何かを持っているからという話ではなく、単に人の言動から判断することに加えて、物理的な波動エネルギーを感じるからだ。
相対性理論を大成させた天才物理学者アルベルト・アインシュタインは自身の最愛の娘に宛てた遺言書に「この世で最も強いエネルギーは愛のエネルギーだ」ということを書き遺している。
アインシュタインは「このことを現時点で世間に公表すると、笑い物の種にされるので公表はしないでくれ。だが、愛娘のお前には真実を伝える。」としている。
物理学者である筆者にとって、アインシュタインの遺した言葉は至極当然のようにしか思えない。
強い愛のエネルギーはどれほど多くのネガティブなエネルギーにさらされても微動だにしない。
たっぷりの愛情をもって育てられた子供は、どんな荒波に揉まれても強く生きていくのは、愛のエネルギーの強さを物理学的に証明している。
親に愛されている自信がある子供ほど、どんな不遇な待遇を受けても、自らの芯を貫いて強く生きていくことが出来るのは、どれほどのネガティブなエネルギーの干渉を受けてもポジティブなエネルギーを維持できるという愛のエネルギーの強さを物理学的に証明している。
現代社会は世界の支配者たちの陰謀のもとで、膨大なネガティブなエネルギーで溢れかえっている。
このような世の中で、人々が強く生きていくには、人々の愛のエネルギーを高めることが重要であるといえる。
子供たちにたっぷりの愛情を注ぐとともに、隣人を愛することである。
共産主義者たる世界の支配者たちが、どのような共産主義政策を施してきたとしても、人々の愛のエネルギーが強ければ恐れるに足りずなのである。
(注意)記事は以上です。以下の有料部分に記事はございません。
本記事について、宜しければご寄付としてご購読いただければ幸いです。)
ここから先は
¥ 200
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?