昆虫食に対して全力で慎重になろう

食生活は文化である。
そもそも、人間は何でも食べられるわけではない。
この世にある動物や植物の中には、人間にとって毒のものも多数存在する。
われわれの祖先は、そのような数多くある動物や植物の中から、毒の物を見分け、人間の体に有益である物を厳選して食文化として残してくれているのだ。

現代人は田舎に住む人たちが少なくなったし、田舎に住む人であっても、大自然に直面して住む人が極端に少なくなった。
しかし、一昔前には「食べられる野草」であったり、「食べられるキノコ」というものを見分ける知恵と文化が引き継がれていったのだ。
「キノコ」と聞くと、食べ物の一種と思う人が多いかもしれないが、キノコはほとんどが人間にとって毒であり、日本中で自然に生息するキノコのほとんどは毒キノコだ。
これは、われわれの先祖がどのようなキノコであれば食べられるかをわれわれの世代まで伝えてくれたからこそ、われわれにとって「キノコはとても栄養価の高い食べ物である」と思えるようになったのである。

日本の食文化の中で昆虫は薬を中心として食文化に組み込まれていった。
筆者は好きではないが、現在も山間部ではイナゴが食文化として残っている。
そのことから、筆者は頭ごなしに「昆虫食」を否定するわけではない。

だが、グローバリストによって進められているコオロギについては、われわれの祖先が伝えてくれている漢方医学大辞典によると、「コオロギは微毒であり、妊婦には厳禁」だと伝えている。
漢方において「毒」と記載があるものは、「薬になったとしても劇薬なので、常用してはならない」し、使用する場合も「気をつけなければならない」という意味であり、「日常的に食すことは大変危険である」という意味なのだ。
個別の効能としては、コオロギを服用すると「利尿作用を促進する」という効果が得られる。
だがこれは、そもそも毒であるコオロギを採ってでも「利尿作用を高めなければならない」という時に、特別処置として、ある意味、劇薬として処方されるものだ。
健康な人がわざわざ毒であるコオロギを日常的に摂取することで、「利尿作用を促進する」という効能を得ることに何の意味があるのかを考えなければならないはずだが、その説明はされているだろうか。

そのような先人の知恵があるにも関わらず、「何故、コオロギから昆虫食を始めようとするのか」というの疑問があることから、そもそも論として筆者は現在進められている昆虫食に反対する。

毒であるコオロギを処方してでも利尿作用を促進したいという緊急時に処方されていたという先人の知恵があるにも関わらず、「コオロギは未来のスーパーフードだ!」とか、「持続可能な社会を実現する食料だ!」などと、謎のプロパガンダが垂れ流されていて、危険視したり、疑問視したり、慎重な姿勢を見せる情報が大手メディアから一切出てこない。
これは、大手メディアが一斉に「新型コロナワクチンは安全です!有効性95%です!副作用などありません!」といって大合唱した時と同じ状況ではないか。
日本人というのは、ついこの間あった世界規模の新型コロナワクチン薬害事件さえも忘れ、「コオロギ食は未来を救う!」というプロパガンダに簡単に流されてしまうという、本当にお花畑な人たちの集まりだと言わざるを得ない。

これまでの歴史を見ると、グローバリストが世界全体で何かを始めるとき、必ず「毒の物を薬として導入する」という法則がある。
なぜ、「コオロギ」なのかだ。
その意味を考えると、「敢えて毒物を選んだのではないか」と思えて仕方ないのである。

現在では、世界中で昆虫食を推し進める動きが始まっており、既に昆虫食を推し進めれば補助金が得られるという形で昆虫食が進められている。
補助金というニンジンをぶら下げ、その他にも様々な優遇措置が提示され、食品とは関係ないはずのNTT系の企業でさえ参入している有様である。




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