キレイゴトの末路:軍隊は悪か?警察は悪か?体罰は悪か?

世の中の大半は、きれいごとで溢れている。
物事の本質をとらえず、問題の本質に目をつぶり、きれいごとだけを建前のように振りかざして、あたかも不正も問題もないようなふりをして生きていく。
いつの間にか、日本という社会はそんな社会になってしまった。

大人はきれいごとしか言わないから、子供たちは大人たちの嘘を見抜き、いつの間にか大人から権威はなくなっていった。
大人自身が目の前の問題から逃げてばかりいるくせに、そんな大人が子供に対して「逃げるんじゃない」と言ったって、何の説得力もない。
子供たち全員が大人たちに対して、「お前たち、大人が目の前の問題から逃げるなよ」と言い始める日が来ない限り、きれいごとだらけの世の中は終わらないのかもしれない。

きれいごとは国防の問題にまで及んでいる。
日本では何故か、外国からの理不尽な侵略に対して抵抗する力としての軍隊を持つことさえ、悪のように考えている人が多い。
これも共産主義者による「軍隊は悪!憲法9条を守ろう!」というプロパガンダが激しいことも原因にあるだろうが、問題の根幹は世の中の問題から目を背ける大人たちの態度に起因する問題と言えるだろう。

軍隊は外国からの侵略から国を守るためにあり、警察は国内の犯罪者の犯罪行為から国民を守るためにある。
こんな当たり前の存在理由があるにも関わらず、「警察は善だが、軍隊は悪」という謎の常識がまかりとおっている。
そしてその流れで「体罰は悪」という常識がまかり通ってしまった。

子供を教育する段階において、どうしようもない問題に発展することがある。
問題は起こらない方が良いし、全ての問題が発生する前に解決されるなら、最悪の事態などは考えなくて良い。
だが、問題は必ず起こってしまうものだし、最悪な事態に発展してしまった時に、それをどうやって解決するのかを考えておかねばならず、それがリスク管理というものの基本なのである。

「戦争をしたくないから軍隊を持たない」とか、「悪い人なんていないから警察は必要ない」とか、「子供は全て言葉で説得すれば全てを理解してくれるから体罰は必要ない」といったようなことは、単なるきれいごとでしかない。
ありとあらゆる最悪な事態に目をつぶっただけのきれいごとを筆者は「キレイゴト」と表現している。

軍隊を持たない国があれば、野心を持った国は必ず軍隊を用いて武力を行使して侵略してくる。
警察という犯罪抑止のための組織がなければ、人の財産を強奪しようとするような者が様々な犯罪行為を行う。
大人たちが子供に対して一切の体罰ができないということになれば、「大人は絶対に手を出してこない」ということを逆手に取った子供が大人に対して好き勝手なことをして暴れることで学校や家庭が混沌な状態となる。

キレイゴトを押し通すと、必ずその弊害が社会における根本的な問題を放置して隠蔽することとなる。
キレイゴトを押し通すと、きれいごとに磨きがかかり、ありとあらゆる問題から目を背けた結果、必要悪の存在としての軍隊や警察、体罰の全てを否定するようになってしまう。
キレイゴトを押し通した世の中は、本当に外国からの侵略や国内の犯罪、学校や家庭の崩壊が起こった時に、それを抑止する一切の手段を失ってしまい、問題は解決されないばかりか、社会が崩壊する道へ突き進んでしまう。

今の日本という国では、かろうじて警察だけは必要な存在として認められているが、軍隊は十分な必要性が認められておらず、体罰に至っては不要であるとされている。
そのようなキレイゴトを捨て去って、世の中の問題を直視しなければ、どの問題も解決されることはないだろう。


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