日本の私企業の構図は政治の構図と全く同じ構造で腐っているのである

たまには職場の話をしようと思う。

職場の同僚の多くは自分に甘く、他人に厳しい。
もちろん、殆どの人は「俺は他人に厳しくするぞ。でも自分には超甘くするんだ。」なんてことは言わない。
大抵の人は黙っているか、「俺は他人に厳しくする。でも、自分にはそれ以上に厳しくする。」とかっこよく胸を張って、とても自分に甘くする。

胸を張っている人たちは、たまにとても厳しいことを言う。
たまに、自分に厳しいことを言っているかのようなシーンを見るのだが、よく見ると自分には関係のない人たちが苦しむようなことを、あたかも「自分も大変なんだ!」みたいなフリをして厳しいことをいう。
そういう人に、「こういうところがダメだから変えていきましょう」というと、面白いことに沈黙するか抵抗してくる。
「なーんだ、あんたも自分には甘い人か」と思ってしまう。

一見、かっこいいことをいう管理職は例外なく、根本的な問題を指摘するとフリーズするか、聞こえなかったフリをして、突然自分の正当性を主張し始める。
日頃、適当に甘いことを言って、「組織を良くしていこう」などというが、本当に組織を変えていくような管理職をほとんど見たことがない。
「どこかで見たことのある構図だな」と思えば、正に、日本の政治家である。
選挙前など、いつも適当な甘い言葉を言い、やることは必ず国を売ることばかりの日本の政治家は企業の中の経営陣とそっくりだ。

企業は社会の中の小さなコミュニティである。
まさに、愚民が売国政治家を放置して育てているという構図は、企業という小さなコミュニティの中でも同じ構図が見られる。
やる気のある新人が組織に入ってきても、腐った管理職が新人のやる気をなくさせ、同じような腐った管理職に育て上げて、同じく甘い汁を吸う候補に育てていく。
それに耐えられない者は組織と戦い続けるが、数の理論で潰されて腐るか、その優秀な能力を使って他社に転職してゆく。

そういう企業が腐っていく姿を見ていると、大多数は腐りたくて腐るのではないかと思うほどだ。
結局は、楽してうまい汁を吸うポジションが欲しくて欲しくてたまらないのが大多数の者であり、日本人はそこまで腐ってしまったのだ。

フランシスコ・ザビエルが日本に来て驚いた時代の日本人は、皆が貧しいにも関わらず、多くを望まず真面目て精神性が高かったと記録されている。
今は「一億総、おこぼれ賄賂が欲しい欲深い餓鬼」と言ったところだろうか。
もちろん、筆者にもそのような甘言になびく要素がないわけではないので、いつも腐った同僚などを見ながら、「自分は鬼にはならない」と思うのである。

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