人間の中には悪意の塊のような人もいることを日本人は知らなければならない

日本人は義理人情を重んじる。
誠意をもって接すれば、どんな人でも必ず誠意が返ってくると日本人はどこかで信じている。
それは日本人だけの社会であれば成立したかもしれない。
本来であれば、それが通用したのが日本という国の強さにつながったのであり、特に戦国時代や江戸時代初期は日本がダントツで世界最強の経済力と軍事力を持ち得た証であると筆者は思う。

だが、現代では日本に中国人や韓国人をはじめとして、いろんな国の外国人が定住するようになり、日本人の精神性も大幅に低下した。
「誠意をもって接すれば」という言葉がほぼ通用しなくなったのではないかと思ってしまうような人も多くなった。
にもかかわらず、未だにかたくなにそれを信じている人が日本人には多い。

世界には様々な人がおり、日本人には想像もできないような悪意の塊のような人もいる。

他人に親切にされても、「ありがとう」という感情を持つと「付け込まれる」と思い、決して恩を感じないような人がいる。
弱者に親切にしても何の得もないので、弱者からは搾り取るだけ搾り取ることを当然だと思うような人がいる。
自分の私利私欲のためには、他人の物を盗もうが他人を殺そうが何とも思わないような人がいる。
誰かの為に何かをしようだとか、公の為に何かをしようという気持ちが全く存在せず、そのように考える人がいることを理解できない人がいる。

このような人が存在することを理解できるだろうか?
筆者の周りには、このような話をしても、「そんな人がいるはずがない。そんな話は信じられないから信じない。」というような反応をする日本人が多い。
ナポレオンの辞書には「不可能」という文字はない、という嘘か本当かわからない話があるが、正に「罪悪感」や「背徳感」と言ったような言葉が自身の辞書にない人たちが世界にはたくさんいるのだ。

最悪なことに、「正々堂々勝負する人」と「勝つためなら何でもする人」が勝負をすると、大抵は「勝つためなら何でもする人」が勝つ。
そして、世界のビジネスではほとんどルールがあってないようなものであり、驚くほどに強者が弱者を喰い物にするのが放置されている。

われわれは好むと好まざるとにかかわらず、このような「勝つためなら何でもする人」で、「どんなに不道徳なことをしても何とも思わない人」が世の中で強い影響力を持っているという現実を受け入れなければならない。

「そんな悪い人がいるはずがないじゃない」なんて信じる人は、巣食われるのだ。

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