かふぅSchool代表YASUの頭の中

志望校に合格させることを第一に。

果たしてそれが正しい教育なのだろうか。

私は22歳の頃から、塾講師として志望校合格へ向けて生徒たちを指導してきた。

誰よりもわかりやすく面白い授業を。

それが若かりし頃の私のモットーだった。

もちろん、努力も惜しまなかった。

時間があればブックオフにいき、学習法の本や記憶術の本などを読み漁った。

YOUTUBEでも、今よりは少なかったが予備校の先生の動画などをみて、どうやったら人を惹きつける授業ができるのか考えていた。

いや、こういったらめっちゃ真面目に聞こえるかもしれないが。

もちろん大好きなビールを飲みながらだ。

また、それが楽しかったのだ。

私の塾講師としての能力が上がれば上がるほど、生徒たちの目の輝きも変わってくる。信頼も変わってくる。そして結果も変わるのだ。

それが当時の私にとっては生きがいに変わっていった。

しかし、ある時、そんな私の塾講師ライフを終わらせる事件が起こる。

それはある男子生徒との出会いだった。

この事件の詳細は長くなるので、また次回お話しするとして。

とにかく私は一度、塾講師の仕事を捨てている。

それは、

ただテストの点数を上げるだけ、志望校に受からせるだけの教育に意味を見出せなくなったからだ。

私は元来、わがままな性格だ。

嫌だと思ったらやらない。

やりたいと思ったらやる。

意味を見出せないことに自分の人生を使いたくない。

私は、塾講師をやめた。

そして、全く関係がない仕事を始めた。

1年ぐらい経っただろうか。

ある日、仕事の同僚が帰りに私を待ち伏せしていた。

どうやら彼は私に人生相談したいらしい。

なぜ年上の彼が私に人生相談をしたかったのかは、いまだにわからない。

駅までの道のり、彼はずっと話していた。

駅についても話は終わらない。

彼はいった。

「歩いて帰ろう。YASUの家まで送るよ」

私の本音は

「いや、、、疲れてるんだけど。」

しかし、彼の熱い眼差しが私の本当に本当に少ししかない空気読む一面を引っ張り出してきた。

「オッケー。いきましょうか。でも歩いたら多分2時間ぐらいかかるので、次の駅まで歩きましょう。」

結局、家まで歩いて帰っていた。

2時間。

ただ、歩いて30分をすぎてから変化があった。

それは彼の人生相談ではなく、いつの間にか私の人生講義に変わっていったのだ。

「幸せとはなんなのか。脳科学的に言うと・・・」

「私は悩んだ時は狩猟時代を考えるのんですよ・・だってあの頃って・・・」

それを彼は嬉しそうに、うんうんと相槌を打ちながら聞いてくれた。

その相槌が絶妙で、私はどんどん自分のトークに拍車がかかるのがわかった。

トークに熱さが出るのだ。トークにエッジが効くと言うか。

どう表現すればいいのだろう。

私の講義を聞いたことがある生徒はわかってくれるかもしれない。

まるで何かに取り憑かれたように、まるで、世界を救う救世主のように、まるで、映画の主役は俺だと言わんばかりに。

聴衆を惹きつけ、心揺さぶり、魂に問いかける。

これだ。

やっぱり俺の天職は、人に伝えることなんだ。

その時に気づいたのだった。

彼には本当に感謝でいっぱいだ。

私のやりたいことに気づかせてくれた。

私は塾を立ち上げることを決めた。

雇われ塾講師では「テストの点数を上げること」「志望校合格」が第一になってしまう。それは私がやりたいことではない。

そう。

私がやりたいこと、それは生徒の人生を幸せにしたいのだ。

植え付けられた価値観で苦しむのではなく、本来の自分の姿を取り戻し、やりたいことを仕事にして、たくさんの人を幸せにしてほしい。

自分の塾だったらそれが実現できる。

そこで始めたのが、かふぅSchoolである。

無理に勉強はさせない。自らやる子になる環境を作りたい。人生は自分で選択ができるのである。

そんな思いで2014年9月に沖縄県名護市に開校した。

伝えたいことはたくさんある。

とりあえず今日はこのへんで。

かふぅSchool創始者 大城康由




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