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【読書感想】『1932年の大日本帝国:あるフランス人記者の記録』

グーテンターク!皆さまこんにちは。フランクフルトのYokoです。

今日は読書感想です。

年末読書のつもりが別の本に手間取り今年に入ってから読みました。

内容(「BOOK」データベースより)
満洲事変の翌年、日本を取材するために来日した「ル・プチ・パリジヤン」紙の特派員アンドレ・ヴィオリスは、当時、若手将校から崇拝の的になっていた荒木貞夫(陸相)のほか、平沼騏一郎、安部磯雄らとも対面し、そのやりとりを含む日本人の肉声を記録したルポを1933年に刊行した。本書はその全訳に詳細な注を付した一冊である。五・一五事件による政党政治の終焉を目の当たりにしたフランス人は、岐路に立つ日本社会をどのように捉えたのか。風雲急を告げる時代の空気を今日に伝える貴重な記録である。

Amazon.co.jp より

今から90年前の1932年、元号では昭和7年の日本を見つめたルポタージュです。満洲事変の翌年、日本を取材するために来日し、わずか3ヶ月の取材期間で書き上げています。当時の仏独の緊張感、どん底ドイツとナチスの台頭。。。それを感じるジャーナリストは日本をどう見たのか、気になり読み始めました。

ちょうど2022年は森鴎外が亡くなって100年ということもあり、鴎外が亡くなって間もないこの時代が気になっていたときに引き寄せられて買っておいた本です。鴎外が憂いた急ごしらえの近代日本。そのハリボテ感をこのヴィオリスも敏感に嗅ぎ取っていました。

元は小説家ということで文章力と描写力がルポタージュとして遺憾なく発揮されています。また質問力というかインタビュアーとしての力量もあると思います。

外国人しかできないこんな質問も。

ヴィオリスは、何人もの日本人に対して、「結局、天皇陛下は、どのような考えをもっているのですか。何をされているのですか。聡明な方ですか。感じのよい方ですか。ご自分で統治なさっているのですか。」と尋ねまわり、そのたびに「困惑したような沈黙、逃げるような答え、口笛、弁解を兼ねた爆笑など」といった防禦反応を示されたと書いている。

訳者解説より

上記質問は流石に答えは出てこなかったようですが、ヴィオリスは果敢に別の質問もしていますし、女性らしく周囲も隈なく観察しています。

取材は発言内容だけではなく、風貌や振る舞いも描写されているので「エライ人」に関してはインターネット上で写真を見比べながら読みました。

いわゆるエライ人の発言よりヴィオリスは側近、若い将校の他、市井の人々の反応により熱心に書いている印象です。当時の社会状況、日本の風景描写もあり、ー彼女の目を通してみた当時の日本は新鮮でした。

訳者による最後の解説でフランス語原文で読んだからこそのヴィオリスの偏見フィルターが補正されている点もよかったです。訳者の推論だけではなく、ヴィオリスをフランスで研究している方ともやりとりしコメントを得ておりバランスをとっているところに好感を持ちます。

ヴィオリスが取材した人の中で一番私が好きなのは「スイス人実業家のハンス・ミューラー」さんです。鋭い観察と分析をするミューラーさんに訳者の大橋さんも好印象を持っておられます。しかし私はこの人物は実在せず、何名かの取材人物を組み合わせたのではと想像します。

まずハンス ミューラーはどちらも共に鈴木太郎くらいよくあるドイツの名前です。ありすぎるくらい一般的な名前の組み合わせがちょっと怪しい。笑 さらに昭和7年当時の日本の不況の理由を説明するのに統計データを使いながら話をしています。経営者というより官僚の説明。商工省の課長何人かに話を聞いたのでは。とても一般人が読む新聞を読んだだけで組み立てられません。日本の事情通としてミューラーさんのモデルになる人はいたのかもしれませんが、官僚何名か取材して組み合わせて一人のを作り出した。取材者の秘匿のため外国人の設定にしたと考えるほうが自然に思えます。

例えば日本経済不況の原因については。。。

ハンス・ミューラーさんは、その原因を教えてくれた。それまでほぼ完全に農業国だった島国日本は、明治時代になって突如として強力な産業をつくりだすことに決めた。しかし、一つだけ重要なことが忘れられていた。産業に不可欠な条件、すなわち原材料がなかったのだ。鉄鉱石、石油、石炭、原綿がほんのわずかしかないか、あるいはまったくなかった。たとえば製鉄の設備を整えても、生産するためには二三〇万トンの鉱石を輸入しなければならず、そのうちの半分以上は印度とマレー半島から、残りは支那から輸入している。また、印度と支那からは約六〇万トンの鋳鉄も輸入しており、さらに約九〇万トンの鋼鉄も必要としていて、これはアメリカ、ドイツ、イギリス、スウェーデンから輸入している。しかし支那や、とくに印度は、成長しつつある国内の産業に欠かせないこの鉱石や鋳鉄を、まもなく手ばなさなくなるだろう。他の国はというと、このせっぱつまった顧客に対しては非常な高値でしか売らなくなっており、高値で買わされる日本としては、予算が大きく圧迫され、十分な利益をあげられなくなっている。また、大阪近辺の紡績工場では、原綿を印度、支那、エジプト、アメリカから、羊毛をオーストラリアから仕入れなければならない。しかし支那や、とくに印度では、ここ数年、完全に現地むけの紡績工場をつくっており、既存の工場も拡張していて、印度でとれる原綿は印度製の布のために使うようになっているので、あまり輸出したがらず、原綿価格が上昇の一途をたどっている。アメリカ、エジプト、そしてとくに(自立した紡績工場をもつようになった)オーストラリアも非常に高値で売るようになっており、いずれ、まったく売らなくなるだろう。  日本はこうした原材料を外国に依存しているだけではなく、とりわけ製品の販路も外国に頼っている。ところが、支那市場では不買運動が終熄のきざしをみせず、日本はほとんどまったく入りこむことができない。印度市場でも、イギリスがマンチェスター産の綿織物に有利になるように特恵関税を設けていることに加え、印度自身が印度製の織物を売ろうとしているので、日本は部分的に入りこめなくなっている。さらにアメリカでは、ここ一、二年、とくに贅沢品の購入額が大幅に減少している。

まだまだ分析は続き、さらに細かい数字が出てくるのですが引用はここまでにします。しかしこんな話を極東で出会ったばかりのフランス人ジャーナリストにスイス人経営者がペラペラ話すことある?と気になって仕方がないものの、内容は日本の追い込まれつつある状況が浮き彫りにされており、日本の軍事行動の背景や遠因として見られることもありました。

その他様々な階級、職業の人物、都市、地方の風景、当時の日本の雰囲気を3ヶ月滞在でよくここまで書けるものだなあと感心。全て彼女の書きぶりに共感したわけではないですが、私の知らない1932年の日本を垣間見ることができました。

もしご興味のある方がいらしたら是非ご一読ください!

最後は取材を始めたばかりのヴィオリスさんに送ったミューラーさんの言葉を引用して終わります。

もう二十年も前の話だと反論されるかもしれません。しかし、日本人はそれほど変わったでしょうか。きわめて現代的な文明の層の下にひそむ、この野蛮な底流。これこそ、日本人を研究するときに忘れてはならない部分です。なぜなら、ここに日本人のアンバランスの深い原因の一つがあるからです。もちろん、ほかにも原因はあります。しかし、どの原因も矯正できないものではありません。この民族には、あれほど強い生命力、あれほどの成長と拡大への意志があるのですから。もっとも、これがまた他の危険をはらんでいるのですが……。  さあ、それでは、見て、聞いて、理解してごらんなさい、もし可能なら。」

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!Bis dann! Tschüss! ビスダン、チュース!(ではまた〜)😊



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