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【読書感想】原裕美子著『私が欲しかったもの』

グーテンターク!皆さまこんにちは。フランクフルトのYokoです。

昨日はこの本を読みました。よしおさんが電子書籍のこの表紙を見て、おっ、走り方の勉強?なんて冷やかしましたが、原さんは、早く走れるが故にそういう走る楽しさをすっかり忘れてしまった苦しい時間を味わいました。これは原裕美子さんの競技人生と、挫折と再生の物語。壮絶です。それを経てのこの表紙の原さんは力強く、楽しく前を向いて走っておられます。美しい。

先にこんなことを考えてから読みはじめました。

万引きが最初に報道されたときのこと、覚えています。当時は依存症の根っこに想いをいたすということがまだできておらず、ストレスからかなとくらいにしか思わずにいました。本を書けるまでに至ったのは治療が進み、ご本人の心もこの書を書くことで前を向くようになられたのでは。違法な薬物と違い、万引きはいつでも試みができてしまう分、辛い面もあるかと思いますがご自身をさらけだすことが癒しとなり、治療となり、抑止になることを願います。これは多分誰もがふとしたことで陥る危険があると思われます。自分、あるいは家族、友人、職場で大切に思う人がそうなるかもしれないと思ったとき、万引きしてしまった人を社会からいないものとしたり、隠すということは解決ではないと思う。

読んでみると、幸い今は病気の症状は出ていない(でもそれは生々しく、地道な治療を続けている)また隠すことが、私の想像以上に孤独の中で行われ、そこからの心の開放が原さんの回復に大きく影響していることがわかりました。また若いトップアスリートの人権と健康が競技と成績優先になって守られていない実態も…。

原体験としてのいじめと、走ることで褒められそこに価値を見出すようになった原さん。体重管理の叱責や怪我や結果の出せない日々は人を頼らず自分だけを責め続けてゆく。食べては吐き、さらに
万引きがやめられない泥沼へ…。

窃盗症と診断され、現在進行形で治療は継続中とのことですが、今はその症状はおさまりようやく心の安寧も得られているよう。居場所をみつけられ、昔の走ることが大好きな頃の気持ちを取り戻されたようです。とにかくご本人もご家族も辛い時を過ごされて、読んでいて胸がつまりました。でも最後に希望が感じられるお話です。

原さんの同じ病に苦しむ方を支援したいと、自らの過去や心の中を開示して書いておられます。窃盗症(クレプトマニア)の具体的な治療法についても言及していて興味深いです。体験したご本人ならではの説明は具体的で非常に説得力がありました。そうやって本能が学習してしまった衝動を地道にコツコツと抑えて、それを維持し続けなければなりません。治療も失敗を繰り返して、今はうまくいっているご様子。

今なお残るという女性アスリートの環境の問題に警鐘をならしたいという想いも伝わりました。身体が作られる一番大切な時期に競技が健康より優先されてしまう現状にも言葉を慎重に選びながら言及されていました。

元陸上選手でオリンピアン、「走る哲学者」こと為末大さんがFacebookで本の感想をこのように述べていらっしゃいます。

「衝撃を受ける内容です。これは彼女自身の問題というよりも陸上界が引き起こした問題だと思いました。」

確かにマラソンや駅伝においては監督と選手が、師弟関係(徒弟制度)に似た関係であること、特に高校以下の若い選手は自主的なようでいて、過度な練習をやりすぎてしまう条件がいくつもあるように見受けられます。そして高いレベルにいけばいくほど競技一筋となり、純粋さが強化されてしまう中で、悪い大人を見極める免疫のないまま外に放り出されるリスクもあるようです。(原さんは詐欺被害に遭われた)

トップアスリートは、厳しい選抜の末に様々なリソースが費やされた環境で鍛錬を重ねる。結果を出さないとその環境もレース出場機会も無くなってしまう。その意味で勝ち負けにこだわらないといけないのは確かだ。しかし本来スポーツには心身を育成するという意味もある。

その競技の上位にたつのがトップアスリートで、そこは大人の事実やビジネスの思惑も動く世界。競争は熾烈で残酷です。

原さんのような苦しみを味わう人を減らすためにはエリートのアスリートを消耗品のように扱わないよう、属人ではなく制度を作って支える必要があるのではないでしょうか。

地獄の苦しみと社会的制裁と治療を経て、やっと「私が欲しかったもの」を得た原さん。

原さんには是非そういった改革する動きに積極的に関わっていただきたいなと思いました。

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!

Bis dann! Tschüss! ビスダン、チュース!(ではまた〜)😊






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