見出し画像

「空気」を読む人、読まない人の違いは

空気を読むことができるけど、読むのが嫌い人と、

空気を読んでいることすら無自覚なほど「空気」を読むことが自分の一部になってしまっている人、

この2者の違いは何でしょうか。

これはまだぼんやりとしたアイデアでしかありませんが、キーワードは「自尊心」や「自立」ではないかと思っています。

自分の意見や考えをまずは持つこと。

そして、それをどのぐらい批判的に見て、価値がある(大切である)と思えるか、(少なくとも自分にとっては)という感覚がこの2者を分けているのではないでしょうか。

これらは個人主義で大切にされている概念ですが、それらの概念が集団主義で大切ではないわけではありません。成熟した(集団主義)社会では個人も大切にされなければならないと思っています。

そして、もっと問題なのは「空気を読んでいる」ことに無自覚であることです。批判的思考を奪い取る「空気を読む」行為ですから無自覚なのは当たり前かもしれませんが、そろそろ私が信じている「前提」は何だろうか、と疑ってみるといいのではないでしょうか。

まずは、どんな空気が今の職場や学校で存在しているか考えて見てください。自分はどんな時に空気があるな、空気を読んでいるなと思いますか。

そう思う時には、常にあなたを無意識に無自覚にそう思わせている前提があります。その前提はもちろん正しい事もありますが、そう出ない事もあります。それが本当に正しいのかどうかと疑うことが空気を破る一歩になり、または空気を認識した上で、自主的に読むか読まないかを判断する、あなたの力になります。

ぜひ考えて見てください。

Teachers of Japanではティーチャーアイデンティティ (教師観)の発見を通じて日本の先生方がもっと自分らしく教育活動に専念し本来は多様である「教師」の姿を日本国内外へ発進しています。日本の先生の声をもっと世界へ!サポートいただけたら嬉しいです。