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【え13】私は「あの時」を偉そうに語れない

東日本大震災から10年が経つそうだ。
月日が流れるのは、本当に早いものだ。

被災地から遠い遠い場所に住む私。
全てを飲み込まれ、焼き尽くされた街には、親類も友人も知人もいない。
私は四角い画面でしか、その様子を見ていない。

突如として襲った凄まじい揺れに、ただ座り込む事しか出来ない人々。
名取川を伝い、街へと迫りくる津波。
その様子を、ヘルメットで頭を守りながら伝えるアナウンサー。
夜になり、燃え盛る気仙沼の街。
ラジオでは、仙台荒浜地区に300人近い遺体があると伝えられてくる。
そして、原子力発電所が水蒸気爆発を起こした瞬間。

それらは全て、アメリカ同時多発テロの時と同じ。
同じ日本という国に住んでいながら「テレビの中での出来事」という見方しか出来なかった。
国こそ異なれど、9.11の時と変わらなかった。

やがて募金活動が始まり。
自治体での救援物資の提供が始まり。
各メディアが特別編成に変わる。
遠く遠く離れた場所でも、僅かながら非日常を感じるようになった。
それでも「東北は凄い事になっている」という他人事でしかなかった。
後に業務命令で福島第一原発に赴くまでは。

「あの時の事を忘れない」
「あの時の『絆』を大切にしていこう」
「これからも応援するので『がんばろう』」

そんな事を安々と口には出せない。
そんな薄っぺらい言葉では表せない。
重みがない。空虚でしかない。そして浅い。どのような言葉を用いても。
少なくとも「私」には、あの日に起こった出来事を偉そうには語れない。
勿論、多くの尊い命が失われたのだから『鎮魂』はできる。
しかし、四角い画面に映し出される凄惨極まりない状況を見ながら「ありきたりな日常」を過ごしていた私には、偉そうな事なんぞ語れないのだ。

凄まじい揺れを身体で感じた。心を傷付けられた。
その直後、想像だにしない大きな波が押し寄せた。
それにより大切な人を失くし、大切な物を失くした。
一瞬のうちに、何気なく暮らしてきた日常を失くした。

広島や長崎へ原爆が落とされたのと同じ。
「それは教科書で習いました」そのレベルでしか言えない。
何一つ体験していない「私」には、偉そうな事は語れない。