猫になりたい
数カ月ぶりに帰った実家は、すっかり様変わりしていた。以前は台風が過ぎ去ったかのように汚かった部屋が、まるで見違えるようにきれいになっている。どうやらあの噂は本当らしい。一歩玄関から足を踏み入れると、足元を小さな影が素早く走り抜けるのを感じた。目を凝らすと、見慣れない毛玉が狂ったように台所の廊下を駆け回っていた。なんでもこいつにうちの家族はみんな骨抜きにされてしまったらしい。母親に至っては言語能力の低下が著しく、喃語でなにやらむにゃむにゃ言っている始末。遠路はるばる帰省してきた愛娘へのねぎらいもそこそこに、毛玉とごろごろと戯れている。久しぶりの育児のようで楽しいのだという。その生後2ヶ月の、まだ毛玉としか形容しようがないほど小さな子猫は、父が気まぐれでどこかから貰い受けてきて、あっという間に我が家の主役の座に君臨していた。その圧倒的な力=可愛さの前には、いくら教育に厳格だった父とは言えひれ伏してしまうもの。彼らは読んで字のごとく猫可愛がりをしており、例えば子猫がバリバリとふすまに傷をつけていようとも、優しい微笑みを浮かべながら見つめている。
毎日目に見えて大きくなる子猫は、エサを食べ、フンをして、狂ったようにオモチャと戯れ、人の足にじゃれつき、縦横無尽に部屋を駆け回ったと思うと、パタッとベッドに倒れ込み2時間はぶっ続けで寝る。不安になるほどに小さな体のどこにそんなエネルギーが隠されているというのか。その生活は、正気を失っているか、寝ているかのどちらかという、とてもシンプルな生活だ。私もそんな生活を送ることができたのなら、どんなに素晴らしいだろう。羨ましい、と寝顔を見つめながら思う。もしかしなくても世界一可愛い猫だ。この先一生食うに困らせないからね。まったく羨ましいよ。将来は安泰、進路に頭を悩ますこともないんだもんなあ。一生そうやって幸せそうにしてろ。
スピッツの「猫になりたい」ってどう考えても名曲中の名曲なんだけど、あまり進んで聴かない曲のひとつでもある。あざといから。草野マサムネが「猫になりたい 君の腕の中 さみしい夜が終わるまでここにいたいよ」とかストレートに歌うなんて、胸焼けするくらいにいいに決まってるだろ。あの顔と声で。もっとわかるようなわからないような比喩と例えでこんがらがる歌詞だったらよかったのに。全部聴いてしまうと致死量なので今日も聴きません。
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