ジェイラボワークショップ第60回『人工知能史から考える『頭がいい』とはどういうことか?』【情報科学部】[20230710-0723]部長総括#JLWS

今回のワークショップでは、部員一人一人(部長除く)に、人工知能技術について調べてもらってことをまとめて発表してもらいました。(副部長のジパングさんによるまとめ記事が完成次第リンクを張ります。)

専門分野が人工知能に近い部員には技術的な内容を、そうでない部員には過去の人工知能技術について発表してもらいました。
座談会は部長欠席のため一瞬で解散になりました。近頃部長としての活動に魂が入っていない自覚があるので、この機会に情報科学部の部活動におけるWSの位置付けを再考します。

ジェイラボにおけるWSとは形式的には2週間かけて部員がテキストで発表を行うことで、今年からオンラインミーティング形式の座談会もWS活動の一つとして加わりました。
部レベルのタスクとしては、WSテーマの決定、投稿する文章の体裁の決定、投稿日程調整などがあり、部員レベルのタスクは、個人のお題を文章にまとめて期日に投稿することです。
この過程を通して部員は調べ物や作文の経験を積み、部内外にコミュニケーションが生まれます。
WSの盛り上がりを判断する定量的な指標としては、投稿された文章量や、メッセージの往復回数があり、定性的な指標としては座談会参加者の満足や、事後の振り返りがあります。現状分析としては、WSがうまく実施できていない原因は、これらのタスクの進め方決定し、実行することのどこかに不具合があるからです。さらに個人として/部長という2つの立場に分けると、以下の4つに分解できます。

  1. 書きたいことがない

  2. 書いてもらいたいことがない

  3. 書く技術がない

  4. 書いてもらう技術がない

以下で、ぞれについて、コメントします。

書きたいことがない

ないといえばないしあるといえばあるような気もします。
かつての興味:SF、哲学、情報社会論
最近の興味:C言語でセグフォが出たときのデバッグの仕方
「かつての興味」は話題のサイズが大きすぎて、まとまった文章にできておらず、メモ程度の走り書きが溜まっているだけで整理がついていません。素材からまともな文章を作るためにメモを漁るよりも、考え直したほうが早そうなので実質的には何も考えていなかったのと同じです。以前に書籍要約系のWSをやったときは、新書程度だとそれ自体が専門家による要約なので、さらにそれを要約してもあまり意味がないと感じました。というもの、そもそも読むのにあまり時間がかからないもの要約し、未読者の内容理解のスピードを上げたとしても、全体としてたいした時間の節約にはならないからです。本をネタにするなら、読んだあとに人と話したり議論を盛り上げることで可能になるタイプのものごとの理解と、一人で本を読むことで得られる理解の違いがなにか考えるとよさそうです。また、ネットで調べ物をするとゴミのようなまとめサイトが出てくることがあります。土地勘がない検索対象の調べ物をするときに目に入るこの手のゴミページを自ら作り出してはいけないという自己規制は物書きに必要ない勢いを殺すことがあります。

書いてもらいたいことがない

人が考えていることを知りたい、という欲求がもとから薄いかもしれません。読みたい本は無限にあるので、わざわざ自分が執筆管理をしてまで人に物書きをしてもらうという思考に欠けているためと思われます。雑談程度なら人の考えを聞くことは割に合うが、文章にしてまとめてもらうのをサポートするほどの労力は割けないという判断が無意識に働いていると自己分析しています。すくなくとも編集者には向いてないと思います。

書く技術がない

  1. 報酬:伝達の結果として期待できるリアクション

  2. 罰:書かないことによるマイナス

  3. 労力:書くために必要なコスト

単純に考えると、1~3を総合的に勘案し、その他の活動の機会費用と比較して割が合えば人はものを書く。
書きたいことをより短く、より適切に書くことができれば、同じ労力でより多くのことを伝えることができます。なにか大きなことを言いたいという欲求を抑えて、テーマのサイズを小さくするのもコストを減らすことになります。

書いてもらう技術がない

ものを書くことで、(1)作文能力が向上し、(2) 調査対象への理解が深まる。とすると、部長としてのゴールは、執筆者がこの2つの達成を達成することに貢献することになる。
具体的方策としては、

  1. 期日やテーマの定期リマインド

  2. 文体に対するフィードバック

  3. 内容に対するフィードバック

が考えられます。フィードバックといっても、有益な指摘をしようと意気込むあまり何も反応できないより、感想程度のものをバンバン投げて受け手に委ねるのがよい気がします。そのための土台として、提案であって指示ではないという心構えを作る必要がある。

まとめ

最近は日本語よりもプログラムを書くほうが多かったです。机に座ってキーボードをポチポチやる体力の総力が決まっているのでプログラムを書くと必然的に物書きの時間は減ります。これは体力的なものなのでしょうがない気もします。
日記も意識的に書かなくなりました。死蔵される思いつきをメモする無駄がなくなったのはよいように思います。

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