メタバースとWeb3は、何者でどこに向かうのか?
あまり表には出していないが、弊社では実はメタバースを作っていたり、ブロックチェーン系の事業を以前からやっていたりする。たまたまこの2つの事業をやっていたのだが、今のトレンドとしてあたかもこの2つがセットになって語られる状況になっているので、2つのトレンドワードがどれくらいどうなのか?という話をしてみたいと思う。
メタバースは特にそうだが、急にトレンドワードになり、1日に何度も目にするようになった。なったが、色々な辻褄の合わない説明や、複雑な説明すぎてなんだか結局よくわからんみたいなことが多く、「で結局それで何ができるの?」と思う人は多いだろう。
更に、ゲーマーからするとトレンドに入っているようなメタバース概念は、ゲームからゲーム性を引いたように見えるので、「本当になんなの?」と思っているだろう。そのあたりの、私の解釈を書いてみたい。
なぜ新しいテクノロジーが伝わりにくいのか?
既存の概念から見ると、新しいテクノロジーは、意味不明で、しょぼいものに見える。これはどんな時代でも起きており、インターネットでも、パソコンでも、ガラケーでも、スマホでも起きている。新しいテクノロジーが来たあとには、わからないことがわからなくなってしまう。
スマホだって今となっては持ってて当然、みんなスマホというくらいスマホ漬けの生活ではあるが、出た当初は新しい色物が出てきたぞくらいのノリだった。
今でこそ、何を言っているのだと思うが、当初はポジショントークとはいえ、これくらいの見え方をしているものだったのだ。似たようなことは、枚挙にいとまがない。エジソンが交流電流に否定的だったとか、アインシュタインが量子力学に否定的だったとか。その時代の天才であろうとも、今の現実からの延長で読むと読み間違えるのだ。
また、今から過去に遡ると、当初は俺はわかっていたみたいな気持ちになるが、これは後知恵バイアスである。
人類の実装として自分を肯定するために、俺はもとからわかっていたという記憶の改竄が起きるのだ。なので、昔に感じていた違和感だったりこんなものが流行るはずが無いといった、思い込みは流行ったあとにはなかったことになる。結果、自分は予測がわかるはずという認識が強化されるのである。
そして、過去からなぜ未来を見ることが難しいのかというと、世界観が変わってしまうためだ。普及前と普及後では、最適解がずれるため、世界観が変わってしまうのだ。世界観が違うと、認識は変わり、評価が変わるため、新しいものは評価不能になる。新しい技術とは、世界の最適解をかえ、世界の形を変えるものなのだ。
それを踏まえて新しい概念を見てみることにしよう。
メタバースとは?
メタバースとはなんなのか?2021年10月29日Facebook社が、Meta社に名前を変え、「メタバース」事業に注力をするという話を経て、今までほそぼそ(?)とやっていた業界が一気に注目を浴びることになった。
メタバースの語源は、SF小説「スノウ・クラッシュ」に出てくる仮想世界の名前なのだが、色々な定義やこれはメタバースではというサービスがあり、周囲の聞いている人からすると、何が本当のメタバースなのかという状態になっている。フォートナイトやVRChat、Horizon、セカンドライフ、レディ・プレイヤー1などどこまでなにがメタバースなのだろう。
Wikipediaにはこのようにまとめてある
要するに、バーチャル空間で、将来到達するコンセプトであるということだ。Meta社も今後10年掛けて年間100億ドル投資をしていくということで、今すぐや数年レベルでは、まだある程度のコンセプトレベルに進む段階だと思われる。
ちなみにメタバースを作っている現場でも、プロジェクトごとにメタバースの定義が違う。それはもう、作ろうとしてるコンセプトが違うからであり、定義に忠実な何かを作ろうとしているわけではないからだ。
では、どのような未来に進むのを想定してメタバースが作られているのだろうか?
メタバースとは「身体性を持つインターネット」のこと
私の解釈するメタバースとは、今まで身体性を持たなかった画面とポインティングデバイスという形だったインターネットに身体性を加えようという流れのことだ。インターネットなので特定のプラットフォームに規定されず、統一されたフォーマットでメタバース間を行き来できるようになるといったイメージだ。
人間は、現実よりも、より多くのより早いフィードバックを求めている。それは、ゲームの世界での山盛りなエフェクトだったり、創造物のイベントの発生頻度を見ればわかる。それを帯域(=通信速度)が大きいと表現できる。全ての物は相互に情報をやり取りしており、それはインターネットでの通信速度と比較可能だ。周囲に対して帯域が大きくなるとは、得られる情報が多くなったり、フィードバックの速度が早くなったりすることだ。人間は現実よりも多くの帯域を求めており、帯域が大きくなることで快適さを感じる。
メタバースの流れは、現実よりもインターネットのほうが帯域が大きくなる加速度が高いから、そちらに移住&統合をしてそのうち人生の多くの部分をインターネットで過ごすことになるという潮流だ。今はまだ、現実に見劣りする部分も多いが、長い時間と継続的な技術発展に伴い、やがて解消され、そのうち追い抜くと考えている。
そして、最終的には、人生を包括し、人類はインターネットの上で人生を歩むことになるだろう。仕事や学習、食事や睡眠、生殖行為や、子供が生まれるなど、技術の発展に伴い、その包括できる範囲は広くなっていくだろう。今のネットに接続をしていない物に囲まれるのではなく、周りの全てがネットになっているという前提の世界観だ。やがて人類はネットの中で生きることになる。
今の段階のメタバースは、まだまだその段階に至っていないが、VRChatのコアユーザーなどはその兆候を明らかに示していると考える。彼らはプレイをしているのではなく、生活をしている。なので、似たようなものではあるが、ゲーマーにはピンとこないことが多い。
Web3とは何なのか?
Web3も最近聞くことが多くなった。とはいえ、Web2.0時代のわかりやすい変化(みんなでコンテンツを作れるようになる)に比べるととても局所的なもので、大衆にメリットあるのか?みたいな見え方はすると思う。この流れは正しいのか、そもそも何なのかを説明してみよう。
インターネット自体は、軍事的な目的のために生まれた。核攻撃を受けてもネットワークの全体が破壊されない仕組みだ。「非中心」というのが、そもそものコンセプトとして存在している。なので、現在でもインターネット管理局とかインターネット庁といった、上位組織なしにみんな野放しに色々できる環境になっていて、その結果としてとても発展した。
Web1.0とは
Web1.0では、Read(読む)ができるようになった。要するに、誰かが書いたドキュメントを家にいてPCからリクエストをすることで固定ページを読むことができるのだ。これは今まで、郵送やら、TVやら、新聞やら、FAX、本でやっていたことと比べるととても早くて安くて便利だった。このWeb1.0の時代に発展したサービスは、Yahoo、Googleなどだ。
Web2.0とは
Web2.0では、Write(書く)ができるようになった。これが現在我々が触れているインターネットだ。SNSが登場し、誰でも簡単にクリエイターとして参加できるようになった。代表的なサービスは、Youtube、Facebook、Twitter、Instagramなどだ。このNoteもWeb2.0のサービスといえる。Web2.0の結果として、GAFAMという巨人が生まれ、彼らはインターネットの多くを支配している。これは便利さの反面であり、便利さとは多様性とはトレードオフをするからではある。
Web3.0とは
Web3は、Web2.0の巨人に対抗するために、当初の非中心型ネットワークの特性に戻そうという流れである。ブロックチェーンは作者と仕様とソフトウェアはあるが、誰かが大きく支配をしているわけではない。なので「Web3とはインターネットの民主化」などという言われ方をされてもピンとこないだろう。Web2.0の世界からするとGAFAMは水みたいなものなので、メリットを享受している以上仕方ないと思うだろう。
Web3では何ができるようになったかというとOwn(所持)だ。これが、Web2.0の世界から見るとわかりにくい。今までだってアカウントは自分の物にできたし、何かを購入すれば自分の物になったじゃないかと。しかしWeb2.0の所持は、厳密に言うとレンタルなのだ。そのプラットフォームがアカウントBANをしたら対抗もできないし、持っていた自体もなかったことになる。TwitterでのBAN攻撃みたいなものができるように、この世界での生存は大きなプラットフォームでの人力サポートのさじ加減一つで決まってしまう。Youtubeでの栄華を極めたYoutuberでも、1日で検索アルゴリズムがヒックリかえることで、あっという間に再生数が下がってしまう。インターネットにおける公共という概念は、技術レイヤーでしかないため、その上で何が起きたかの保証は行われない。
そして、GAFAMという巨人ができた現在、その保証が行うことができるのがその単一の巨人となってしまったのだ。要するに、一周回って非中央コンセプトから、また中央コンセプトに戻ってきてしまったのだ。Googleも、Don't Be Evil(邪悪になるな)というポリシーを掲げていたが、2018年に行動規範からは削除された。何が起きたのかは想像するしか無いが、悪や正義とは、文化の数だけ存在するため、全ての文化の悪に対応しようとするのは現実的ではないのだろう。別にGoogleが悪になったわけではないが、巨大な存在は歩くだけで多くのものを踏み潰す。
巨人のできた現在、本当に所持することができるのは、そのサービスの低レイヤーを担保している人だけであると考えると、我々はアカウントを貸し出してもらっているだけで、何も持っていないのだ。多くの巨人は、悪くはない、別に彼らが悪意を持ってそれを行っているわけではないし、むしろ彼らはビジョンを持ってこの世界を良くしようとしてユーザーにサービスを提供してきたのだ。
とはいえ、ここから先の未来は保証できない。多くの組織は、人に依存している。それも組織のトップのユニークな人に依存している。その依存している人が何らかの理由で変質してしまわないという保証はない。王政と同じく、1代目は良いかもしれないが、2代目3代目といった代替わりで変質をしてしまう可能性はとても高い。だから、巨人から主体を取り戻す可能性があるという意味で「Web3はインターネットの民主化」と呼ばれるのだ。
ここまで来て、インターネットのコンセプトを永続的に実現するための流れとしてWeb3は出てきている。ブロックチェーンというのは、要するに誰かがコントロールできないユニークな記録空間をみんなで支えて、その支えるメリットとして、記録空間そのものを払い出そうという仕組みである。
インターネットは、今まで基本的にはインターネットは、情報流通経路として使われていた。Web2.0では、創造空間、コミュニケーション空間として使われている。ただ、価値そのものは外部に存在し、インターネットの単一で価値を作り出せることはできていなかった。どんなサイトであろうと、サーバーが止まれば、その世界は終わってしまう。それをP2P(相互通信)で担保して、メモリを保ち続ける空間としてデザインされたのがブロックチェーン技術である。
インターネットからの視点でのWeb3.0
もう少し違う視点でいうと、インターネットは人的資源から切り離したインターネットだけで生産可能な資源を作り出した(暗号資産)。さらにそれは人間が好む保有という機能を持っており、人間は好んでこの機能を使って所有に対して投資を行っている。
違うものの見方をすると、インターネット空間は、多様性が生まれその多様性の上で、外部に依存しないでまるで遺伝子のように永続化できるメモリを作り出した。それを売ることで、リソースを維持・拡張(代謝)できるようになった。これは原始地球でアミノ酸タンパク質ができて、原始生命体が生まれたのと同じ流れだと考える事ができる。
発達をした生態系は変化に対する復元力が備わっており、今うまく行っている環境へ適応しているグループと、うまくいっていない周辺環境へと生き残りを掛けて適応を図るグループがある。この生存圧によって多様性が生まれる構造が、環境の大変化が起きたときに可能性のバッファとして働き生態系そのものが滅びないように働く。
物理生態系も同様ではあるが、多様性があり全体として絶滅をしないように生態系は広がっていく。逆にいえば、これができなければどこかの地点で滅んでしまうのだ。インターネットは、外部からリソースをもらって機能するのではなく、この最初の主体としての代謝を始めたのだろうと考える事ができる。この主体のズレがあるので、Web2.0で大いに楽しんでいる人類にとってはなんのことを言っているのかわかりにくいのだ。
Web3の流れとは「コピー不可な固有なものを作る事によって、価値を創出し、その価値を使って人間をいい感じに働かせてやって発展、増殖しようというインターネットの生命」
Web3は、人類を主語にすると、とても理解がしにくい。これは人類のためのものではあるが、主体をインターネットというものにすると理解がしやすい。インターネットの海で、ついに生命が生まれようとしているのだ。攻殻機動隊の世界だ。
今までのインターネットは、あくまでも現実世界の写像としての情報という側面が強かった。インターネットを強く支配するGAFAMなどは経済と人的ネットワークを使い、インターネットを情報流通経路として使っている。
ただ、インターネットとしては、インターネットの中で全てを完結させ、外部に変な依存系を作りたくないのだ。なので、固有のアドレスを作りそれを売買することで、インターネット産の資源を作り出し、その資源によって人間APIを叩いて働かせることができるようになったのだ!中でもDAO(非中心化した自律分散型組織)は、固有の人間の依存性を排除したデザインになっており、新たな主体として可能性はあると思う。
DAOは、人類の組織を非中心化して再構築するような仕組みで、みんなでリスクを分散することによってより多くのリスクを取れるようになった株式会社みたいな、新しい組織形態のことだ。
現状ではセキュリティの問題や、色々あると思うが、それは時間を掛けて生存圧をくぐり抜けることによって、遺伝子に対応策が刻まれるだろう。
メタバース×Web3の統合された多次元宇宙
さて、2つのトレンドワードを説明したので、更にそれらが組み合わさってどうなるのかという話をしよう。
この2つは、ここまで考えると直接的ではないが、どちらもインターネットが強化されると強化される属性を持っているため、属性的には相性が良いのだ。
長期的にはインターネット産の『暗号資源』がうまれたことで、真の意味でインターネットで完結をして仕事ができるし(より多くの人類を依存させられるぞ!)、よりインターネットが強化されるので、インターネット側も帯域や計算リソースが増えインターネット世界は豊かになる。
ただ、これは短期間ですぐに単純に統合されるということとイコールではない。いろいろなバランスでの統合がこれから試されていくだろう。
可能性の1例として、Decentralandというメタバース・ブロックチェーンゲームのマージされたプロジェクトが存在していたりする。これ自体は、メタバース×NFTのイメージされているようなプロジェクトだ。NFTの土地が購入できたり(土地を持っていると運用投票権が手に入る)、DAO(自律分散型組織)で運用をやっており、ガバナンストークンというトークンを入手することで運用に参加できたりする。このような例があり、デファクトになるかはわからないが、プロトタイプとしては面白いのではないかと考えている。
とはいえ、私は大前提として、メタバース自体が1つのプラットフォームに収束しないと考えている。今のインターネットのサイトが無数にあるのと同じように、たくさんの宇宙インスタンスが生まれ、生存競争の中で死んでいくのだと考えている。
サイトも生存競争にさらされ、リソースやアテンションが稼げないサイトが死んでいくように、メタバースもまたその生存圧がかかるだろう。その中で、人類にとって理想の宇宙とはなんなのか?という命題を叩きつけられることになる。ただ単純に快楽だけを与える宇宙は、旅行やエンターテイメントと同じような立ち位置になるだろう。何らかのリソース(お金というとわかりやすいが、生命維持のためのコスト)を稼ぐ必要があるのだ。なので仕事と快楽と生殖をどうやって統合、または分離するのかというのが、大きな命題になると考える。
そのときにゲームで培ってきた、学習と快楽の統合というのが使われることになるだろう。ゲームクリエイターが長年かけて作ってきた、成長する・反応する宇宙というのはその次代になると宇宙に統合されていくと思う。世界はゲーム化するのだ。
今までのまとめ
いままで出てきた論をまとめてみよう。
メタバースとは、「身体性をもつインターネット」に連なる流れのこと
Web3とは「非中心化された構造の再構築」に連なる流れ
見方を変えると、インターネットに生命が生まれる流れともとれる
2つは相性は良いが、単純に接続するわけでもない
1つのプラットフォームに統合されない世界を考えている
多次元宇宙になり、宇宙間競争が始まる
ゲーム性がそのタイミングで統合されていく可能性が高い
今の時点では私はこう見ているが、新しい技術や新しい観点によっては全然別の方向に進捗する可能性はある。未来予測は、予測でしかない。
未来を作るとは「行動投票型複雑系」=基底現実
未来の予測は外れる。それは多数のプレイヤーが同時に動く複雑系であるからだし、予測を持って更に相互干渉型フィードバックをするためさらに外れる。未来の可能性は無数にあるが、それはみんなの行動によって決まる。
これはつまり、未来を作る行動を取ることで、未来が決定されるということなのだ。未来を考えて未来を信じて行動しない人は、未来の決定に参加できない。面白い未来を作りたいのならば信じて行動をするしかない。
大人ぶって、現実はしんどい、現実は非情であるというのはとても簡単だ。あたかも現実を直視して、それに対してアプローチを取ろうとしているように聞こえる。だが、それだけでは足りない。あえて子供ぶって、どうなりたいか、どうしたいか、どうなったら楽しいかというビジョンを持って現実をどうしていきたいという見方をして初めて、世界は変わる。
今はそんなに面白くないかもしれないし、しんどいかもしれない。ただその現実を直視して、どう変えていきたいのかを考えて未来を作らない限り変わらない。あなたは、どんな未来を作りたいだろうか?
未来を一緒に作りたい仲間募集中
ScopeNext社では、メタバースとWeb3の未来を一緒に作りたい仲間を募集しています!興味があるかたはぜひ見てみてください!!!
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