見出し画像

年齢について

 安部聡子がソーニャを演じるのを観たとき、わたしは四十七才だった。
 ちょうど京都の街なかに、劇団地点のチェーホフ三大劇上演のポスターが貼られていた頃で、どれかを観たいと思っていたら、扉野良人さんがいたずらっぽく「読みませんか」と言って「六号病棟」の古い文庫本を貸してくれた。わたしはその頃、事務所がわりに京都の古アパートの六号室を借りていた。
 それを皮切りにチェーホフを読み進めるうちに、例の文句に行き当たった。

 どうにかしてくれ! ああ、やりきれん。……僕はもう四十七だ。仮に、六十まで生きるとすると、まだあと十三年ある。長いなあ! その十三年を、僕はどう生きていけばいいんだ。どんなことをして、その日その日をうずめていったらいいんだ。

(神西清訳「ワーニャ伯父さん」)

 うかつにもこのときまで、自分がワーニャと同じ年になっていることに気づいていなかった。とにかくこれでもう、六号病棟に居る四十七才が観に行くのは「ワーニャ伯父さん」と決まった。

 劇団地点による演出は大胆だった。
 登場人物は全員、今はなき「アトリエ劇研」の狭い舞台の上で出ずっぱりで、お互いが大声で呼ばわる。離れているからではない。逆に人物どうしはごく近くにいて、ワーニャと姪のソーニャにいたっては、手を伸ばせば届くほどの距離にいる。にもかかわらず、そこで発せられていることばは、舞台上の人物を通り越して虚空に放たれている。音量だけではない、その口調までが、相手に何かを伝えようとして出るというよりは、ずっと頭の中で唱えられている内言が思わず水面上に浮上したかのように、そして話者自身がそのことに驚いているかのように、単語の音を確かめ、思わぬ位置で語句を断って進んでいく。かといって朗読というわけでもない。朗読にしては、抑揚は激し過ぎ、高揚し過ぎている。
 第四幕では、舞台中央に置かれた塗装を剥がされたグランドピアノが、ワーニャとソーニャの囚われている空間となる。はるか上には、ピアノから取り出されたと思しき金属の反響板がつり下げられている。ピアノの蓋を開けると中にはマトリョーシカやピストルが入っており、もはやこのピアノが音の鳴らないただの箱と化していることが知れる。その鳴らない箱の上にワーニャとソーニャは暮らしている。
 響きを取り除かれたピアノには枯れ草が生えている。アーストロフはピアノの周りを巡りながら、この枯れ草の群れにとどめを射すかのようにタバコの吸い殻を一本、また一本と刺していく。
 「ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ」というソーニャの台詞は、安部聡子の声によって、慰撫というよりは、人間の手ではどうにもならない冷酷な宣告のように響く。原作ではソーニャに抱きかかえられるはずのワーニャは、ソーニャに背中から幾度も足蹴を受ける。これはもう、救いのない四十七歳だ。役割上の年齢とはいえ、自分と同じ年の者がそのように足蹴にされるのを見ていると、自分の背中をどやしつけられているようで、痛々しかった。


***

 小説に登場する人物の年齢をいつも気にしているわけではない。しかし、人物の年齢を気にさせる書き方というものがある。「ドライブ・マイ・カー」の書き方は、まさにそれだ。

 その車を新車で購入したとき、妻はまだ存命だった。ボディーカラーの黄色は彼女が選んだものだ。最初の数年間はよく二人でドライブをした。妻は運転をしなかったので、ハンドルを握るのはいつも家福の役だった。遠出も何度かした。伊豆や箱根や那須に出かけた。しかしそのあとの十年近くはほとんど常に彼一人で乗っていた。妻の死後、何人かの女性と交際したが、彼女たちを助手席に座らせる機会はなぜか一度もなかった。

(村上春樹「ドライブ・マイ・カー」)

 いきなりいまいくつと書くのではない。人物の来歴に少しずつ数字を混ぜていく。誰かと誰かの関係の長さを数字で示し、あるできごとと現在との間に横たわる年月を示す。読み手は、どこに当てたらよいのかわからない物差しを与えられるように、しばらくの間、人物の抱える時の隔たりだけを感じながら読む。やがて次のような文が来る。

 家福は彼女を愛していた。最初に会ったときから(彼は二十九歳だった)強く心を惹かれたし、妻が死ぬまで(彼はそのとき四十九歳になっていた)気持ちは変わらなかった。

 ここまで読んでようやく、前の文章にあった「そのあとの十年近く」とはどうやら妻の死んだ後の年月を指しており、つまり主人公の家福は五十九歳近いらしい、と思い至る。
 「ドライブ・マイ・カー」の人物の年齢を意識せざるを得ない理由はもう一つある。主人公の家福は俳優で、明治時代の日本に舞台を移して翻案したアントン・チェーホフの『ヴァーニャ伯父』の主役をつとめているのだ。案の定、家福は過去を振り返ったあと、チェーホフのこの劇を「救いのない話だ」とひとことで言い当ててから、あの台詞を口にする。

 「『ああ、やりきれない。どうにかしてくれ。私はもう四十七になる。六十で死ぬとして、これからあと十三年生きなくちゃならない。長過ぎる。その十三年をいったいどうやって過ごしていけばいいんだ? どんなことをして毎日を埋めていけばいいんだ?』。当時の人たちはだいたい六十で死んでいた。ヴァーニャ伯父さんは今の時代に生まれなくてまだよかったのかもしれない」

 四十七のワーニャは六十までの生を想像して押しつぶされそうになっている。家福は四十九で妻に先立たれ、五十九になろうとしている。両者の年齢をぴたりと合わせないのは、作者の奥ゆかしさだろう。ともあれ、「今の時代」はワーニャよりもずっと長い生を想像しなければならない。そのような生の居場所として、車が選ばれ、家福のそばにはソーニャではなく、ひとときドライバーをつとめるみさきが居る。みさきは二十四で、たった三日で死んでしまった家福の子供が生きていれば、みさきと同じ年になる。ソーニャの年齢は戯曲には記されていないけれど、ワーニャの妹の娘であり、みさきとさほど年は離れていないだろう。ソーニャが自身を「不器量」と言う点と、みさきが母親に「生まれつき醜い」と言われていたことも符牒する。「ドライブ・マイ・カー」は、ワーニャの部屋で交わされるワーニャとソーニャの会話を、車の中に移し替える劇なのだ。

 ソーニャは伯父の前に膝をついて頭を相手の両手にあずけながら美しいことばを語るけれど、みさきと家福は、運転席と助手席に並んで座っており、みさきは自らの境涯を断じるように家福の煩悶に対してこう告げる。

 「そういうのって、病のようなものなんです、家福さん。考えてどうなるものでもありません。私の父が私たちを捨てていったのも、母親が私をとことん痛めつけたのも、みんな病がやったことです。頭で考えても仕方ありません。こちらでやりくりして、吞み込んで、ただやっていくしかないんです」

 ワーニャの部屋よりもずっと狭い空間に居ながら、家福とみさきとの間には運転席と助手席ほどの距離があり、家福は黙って眠り、みさきは運転を続ける。この小説の「ドライブ」に、しかし、映画は思いがけない「サブテキスト」を置く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?