ききわける
すでに記したように、座席の位置取りは、この映画の重要な見所だ。
悠介と飲んだあと、先に店を出た高槻は、自分の写真を撮っていた男を見つけて後を追いかける。そして、ほどなくして戻ってくると、誰かに追われているかのような急ぎぶりで、「すいません、行きましょう」と自分でサーブのドアを開け、先に乗り込んでしまう。その結果、帰りの車では、行きとは逆に、悠介が運転席の斜め後ろに座り、高槻は運転席の真後ろにことになる。高槻の席は、悠介の左隣だが、それは左眼が緑内障にかかっている家福にとって、周辺視野では見づらい位置になる。そのせいか、悠介は話すときに、高槻の方に顔を向けがちになる。
「家福さん、ぼくはからっぽなんです」と話し出した高槻は、音への思慕を口にする。テキストの問いかけに答えるとよい、という悠介のアドバイスに対して、テキストの問いかけが音の声に感じられる、と高槻は言う。それは、ずっと音の吹き込んだテープによって「ワーニャ伯父さん」をきいている悠介の感覚そのものではないか。高槻は、自分をコントロールできず「社会人として失格」であるにもかかわらず、彼のことばはなぜか、悠介にとって重要な何かを言い当てる。
悠介は気づくと、音と自分とのあいだのごく私的ことを語り出している。幼くして亡くなった娘がいたこと、娘の死後、音が物語を語るようになったこと、それは悠介とのセックスから生まれたこと。このとき、カメラは、話し手の悠介と聞き手の高槻を交互に映すのだが、その位置は前座席に据えられており、二人の顔はやや斜め前から撮られている。いわゆる「切り返し」のショットだ。
しかし、音に別の男がいたことに話が及ぶと、様子が変わる。高槻が当惑して視線を動かすと、バックミラーの中のみさきの眼が映し出される。「彼女なら大丈夫だ」。悠介の発話は、ことばの上では、みさきにきかれても差し支えないという意味にとれる。が、公園の練習でわざわざみさきから演技が見える場所を選んだ悠介は、ここでも、わざわざみさきからきこえる場所でこの話題を選んでいるようにも見える。
そして、まるで公園でのユナとジャニスのやりとりが、見物客の見えないところで行われたことと符牒するように、カメラはここから、悠介と高槻を後部座席からとらえ始める。画面は前部座席を排除し、やりとりは2人だけの濃密なものになる。そればかりか、高槻は「ぼくが音さんからきいた話をしてもいいですか?」と、カメラを真正面から見つめて語り始める。
それは、ある女子高生が初恋の相手の部屋に空き巣に入った話で、悠介は、その話なら知ってる、といったん話を引き取る。女子高生は相手のベッドで自慰行為を始めてしまう。そこに誰かが帰って来る。それが誰かはわからない。終わり。
「いいえ、終わっていません」。
高槻は、悠介の意識の死角を突く。階段を上がってきたのは「もう1人の空き巣」だった。襲われた女子高生は、空き巣の「左眼に」初恋の相手のペンを突き立てる…。
高槻は続きを話し終えてから、こう言い添える。どれだけ愛している相手でも、他人の心をそっくりのぞきこむなんて無理です。でもそれが自分自身の心なら、のぞきこむことができるはずです。悠介を、というよりは、自身をのぞき込むように見据える高槻の顔は、夜のオレンジ色の光に包まれ、この世ならぬ形相へと変貌していく。
高槻を降ろしたあと、再びサーブに乗り込む悠介に、わたしたちははっとする。なぜなら、悠介はこの映画で初めて、みさきの後ろではなく、隣に座るからだ。
みさきはぽつりと言う。
「嘘を言ってるようにはきこえませんでした」。
みさきは、真後ろにいる高槻の表情を見ることはできなかったはずだ。しかし、みさきは「きく」ことで、高槻のことばを感じとっていた。そういえば、以前、ユンスの家に招かれたあと、みさきは自分の母親について話したことがあった。母親はいつも後部座席にいて、眠りを覚ますような運転をすると背中を蹴られ(運転席ごしに、ということだろう)降りてからも殴られた、と。みさきは、運転をしながら、常に背後の気配に耳と体をすますことを強いられてきた。
「わかるんです。嘘をつく人ばかりのなかで育ったから。それをききわけないと生きていけなかった」。
みさきと悠介は、運転席と助手席に並んでいる。高槻の顔とことばが名残っている。しかし後部座席はいまや空になり、背後に神経を尖らす必要はなくなった。この車では煙草は吸わないルールだ。しかし悠介は自らみさきに煙草を勧める。「いいんですか」。2人は指にはさんだ煙草をルーフの上にかざす。煙草は新しい灯台のように、サーブの上で小さく並んで光る。微かな光を持続させるように、音楽は尾を引いていく。
そこに一発の銃声が響く。
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