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40代は不安定でいいんだなと思った話

昨年の夏、公園で子供たちを遊ばせていたら、上の子の保育園が同じだったママ友が現れた。いつも陽気な彼女はスッと私の隣に寄ってくると、新調したらしきメガネを押し上げてこう言った。

「老眼、始まりました!」

「えっ」と私はうろたえた。そして、おそるおそるママ友に尋ねた。「こんなこと聞いてあれですが、何歳ですか?」と。「43」と返ってきた。ともに保育園時代の過酷な日々を乗り越えてきた彼女は、”その時”が「あなたにもそろそろくる」ということを教えに来てくれたのだ。

40代になれば精神的に安定するだろうと根拠もなく思っていた。でも、よく考えてみたら40代から少しずつ始まるのだ。死に向けての、身体のトランスフォームが。
我が家は揃ってハードワーカーの長寿家系である。母方の祖父は100歳まで生きた。祖母たちも大病をすることなく90歳越えしてから亡くなった。父方の祖母は75歳くらいまでブルーワーカーとして働いていた。……ああいや、たった一人、父方の祖父だけは汗水垂らして働くのがお嫌いな方だったらしく「このコンコンチキめ、俺っちに生命保険なんかかけやがって!」とおそらく東京弁でまくしたて祖母から保険証書を奪い取って解約して使い切った後に屋根から落ちて亡くなっている。……まあ、そういう突然死をする可能性もあるにはあるが、あと50年くらい簡単に死ねなそうなのに老化が始まってしまうというのは、なかなか不便だ。

老眼になったり、白髪が増えたり、体力が落ちたり、ホルモン量が変わったり、思春期の時と同様、体が次の「何か」になるための準備を始めているのを日に日に感じる。心も変化している。人生経験が増えた分、朝ドラの「カムカム・エブリバディ」を見ても、感情移入できる登場人物が膨大である。主人公の安子だけではなく、安子を嫁に出す母親にも、安子をいびる姑にも、彼女が息子を亡くして慟哭するのにも共鳴してしまい、安子の娘・るいが働くクリーニング屋のおかみさんの一言一言にも感情が揺さぶられてしまう。15分のドラマを見るだけでぐったりしてしまう。どうやらナイーブになっているのである。

年を取ること自体はいいのだ。むしろ年相応に老けたいタイプだ。それよりも、もっと奥底の変化が苦しい。ファッションに興味がなくなっていく。ランチを抜いただけで気分が落ち込んでしまう。夜二時まで起きていた次の日は世界に膜がかかる。新しい情報が頭に入ってこない。妊婦の時は産めば戻れる自信がまだ少しはあった。でも今は完全に不可逆である。自分が自分でなくなっていく。そして、こんなに不安定であるのに、私は子供たちから見たら頼れる母親で、老親たちから見たら頼れる娘で、出版業界でも中堅どころである。しっかりしなきゃいけないポジションにいるらしいのに、第二次性徴を迎えた少女のように心は乱高下、新しい自分に慣れていない。

ここまでは、どの時代の40代も通ってきた道だと思うのだが、もう一つ、旧来の40代とは違う在り方を、私たちは求められている気がする。私が20代の頃は、出社すると「昨日飲んじゃった」と嘯きながら午前中いっぱい新聞をめくっているだけのオジサンが結構いた。日本企業がとっているメンバーシップ制というのは若い頃に猛烈に奉仕した分、中年以降は楽ができるシステム(という建前)なので、当時はそれでよかったのかもだが、労働人口が急減する現在、大量の中高年が午前中ボーッとしていたら少なくなる一方の若者は死んでしまう。この不安定なのをどうにかしなくては。

そんなことを考えていたら、こんな記事が出ているのを見つけた。

さすがは労働者の落ちる穴は全部拾っていくよのスタイルを確立しているサイボウズ。ここに私が最近悩んでいることが全部書いてあるじゃないか!

「中年はさまざまな役割を担っている/役割をまっとうしようとするほど、行動だけでなく、思考・精神が縛られていく」というあたりには同意しかない。小説家とか、ドラマの原作者とか、親とか、娘とか、PTAの委員とか、役割を全て剥ぎ取った自分がどんな感情を抱いているのかが、私ももはやわからない。もしかしたら「教育費が高騰している中、少しでも貯蓄したい」という思いが、「本当は好きな服を着たい」を圧殺して「私はファッションに興味ない/ユニクロが好きなんだ」という偽の感情を生み出していることに最近気付いたのだが、この感情を失った状態というのはまずい気がする。「いかに生きたいか」を見失ってしまうからだ。「いかに生きたいか」は「いかに働きたいか」でもあるから、仕事の方向性も同時に見えなくなってしまう。そんな見失ってばかりの人と誰か仕事をしたいだろうか。

ビジネスパーソンの間でよく語られる人物としてアイヒマンがいる。第二次世界大戦中にユダヤ人を収容所へ大量移送する責任者という”役割”をまっとうした結果、「凡庸な悪」の象徴として語り継がれることになった人物である。終戦直前の彼の年齢は39歳だそうだ。社会の歯車になってしまって「自分は何のために仕事をするのか」を見失うことの恐ろしさ。そして見失っていることを誤魔化すことさえできる年齢になってしまうことの恐ろしさよ。

(※ちなみにアイヒマンは戦後の裁判で「自分は命令に従っただけだ」と弁明し、死刑になっている。裁判を傍聴した人たちはアイヒマンがいかにも凡庸な人間だったことに驚いたそうだ)

そんな私の心に、上記の記事からスッと入ってきたのはこの部分だ。

萩原:これは私が日々使っているツールです。毎日このツールを見ます。ここにグルグルと矢印が書いてあるのは「毎日繰り返しタスク」になっていて、自分の「Visionを確認する」って書いてあるんですね。

毎日自分の「Visionを確認する」。それだよ、私に必要なのは……。
ほら40代になると嫌なこともすぐ忘れちゃって、それは楽になった部分でもあるのだけど、大事なこともすぐ忘れてしまいがち。「自分は何のために仕事をするのか」を毎朝確認する。それはきっと自分の感情を見失わないための作業でもあるだろう。

野水:「カオスを受け入れる」というとあれなんですけど。自分の理想の状態を思い描きながら、そこに一直線に行けないという現実はある。でもそれを受け入れながら、「社会の要求」と迷って、人の評価を聞いて、(将来のキャリアを)ずっと変え続けること自体が糧になるということですね。

「変え続けなければいけない」っていうこの言葉、同年代の友人と仕事について話していると必ず出てくる。ぼうっとしていても自動的に最新情報が入ってくるのは30代までで、40代は自分から取りに行かないといけない。いっそのこと変化の渦の中に自ら身を投じてしまおうと、苦労して就職した企業からスタートアップに行った友人、研究機関を変えて転職先でラボを一から作り始めた友人もいる。
私が「働きたい時に働くことにした」のも、なぜ小説を書くのか、その原点に戻りたいと思ったからだ。義理で受けたその仕事は本当に面白いものを書くことに繋がるのか? お前は何のために会社員生活を投げ出したのか? 「私の感情」はそう喚いていたのに、当の私が聞く耳を持たなかった。感情が全く動かなくなり、しまいに書けなくなったのは、「私の感情」が私に対してストライキを起こしたからなのだろう。
そう考えると私は書けなくなってよかったのかもしれない。与えられた役割に押しつぶされていた自分の感情と向き合う機会を得たからだ。

記事を読んで救われた部分もあった。
「カオスを受け入れ」ていいんだと思えたのだ。「40代になっていろいろ楽になったよー」という話ばかり聞いていて、楽になれない自分はおかしいのではないかと思っていたけれど、楽じゃないし、私と同じく、自分がぐらぐらしている人もたくさんいると知って安心したのだ。

10代で迎えた思春期、あの頃の内面はまさに不安定でカオスだったけれど、だからこそ、その後の人生を大きく変える本たちに出会えたともいえる。思えば、一番楽しい時だった。あの頃にまた戻れるのなら、ありがたいことだ。

とりあえず、何か本でも読むか。