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小学校高学年の親をやるってどんな感じ?

Twitterでは、ワーキングマザーと専業主婦が「どっちが正解か」で揉めている。選べる前提で話している時点で「新卒で正社員になれて、育休もとりやすくて、働き方改革も終わっており、リモート勤務も選択可能、保育園もゼロなら全入の世代なのでしょうな」と氷河期世代としては死んだまなざしになってしまうのだが、いっぽうで子供が何歳くらいの前提で話しているのだろうと考える。

たとえば保育園時代は朝から晩まで保育園が預かってくれる。たまに発熱はするけれど、シッターさんなど「外注」を利用すれば、つまりお金さえ払えばなんとかなる。小学一年の壁だって、行き渋りなどが起きてしまうなどのリスクはあるけれど、そこをのりきれば十八時までは学童が預かってくれる。小学校中学年になると子供たちが勝手に学童を「卒業」してしまったりする(その様子は下の記事に書いてある)けれど、習い事を増やすなどすればまだなんとかなるじゃないですか。

しかし、小学校高学年からは「育児」が終わって「教育」がはじまるのであある。

……といっても、「育児」が「教育」になったらどんな業務が生まれるのかが想像しにくいと思うので、ざっくり書いてみた。東京都在住、五割が中学受験をするローカルに住んでいる、意識低めの私の例でしかないが、他山の石としてほしい。

中学受験するかしないかの決断をする

東京という異常地域であるからかもしれないけれど、居住地域によっては中受率がびっくりするほど高い。私の住んでいるエリアでは5〜6割。歩いて十五分のエリアでは7割。都心のほうでは9割のエリアもある。少子化時代、SAPIXなどの塾産業は「小一からしか入れない」と言って子供を囲いこむ。囲いこまれなかったとしても、遅くても小学四年生くらいまでには中学受験するかしないかの「決断」を迫られる。このような中学受験の実態を描いた漫画としては『二月の勝者』が有名である。

中受すると、公立ルートにプラス六百万はかかってくる。また親子にかかる精神的肉体的負担も相当なものである。「我が家の経済状況でそれが可能か?」「私たち親子にむいているか?」の情報収集をしたうえで「決断」をする必要があるのだが、この情報収集がけっこうたいへん。なぜなら近隣の公立中/私立中のクオリティがどうであるかはローカルごとにまるで違うから。さらにその状況も数年で変わってしまうから。
中学受験を選択したらしたで、塾の膨大な宿題は親が見なければならないようだ。ここで心が折れて主婦になるワーママもいるらしい。詳しくは『二月の勝者』を読んでください。

英語教育をどうするかの決断をする

いまの英語学習の進度は親世代よりも早い。中学一年になった時点で「be動詞を使った文章が読めるのは当たり前」になっていないといけない。覚えなければならない単語も私たちの時より1・5倍。そのわりには小学校の外国語授業がゆるふわであるし、保護者会で「今の英語教育はこうなっています」と説明があるわけでもない。
トレンドとしては「中学受験しないなら、英語を先取りしておく」があり、小学校高学年でも英検取得者がごろごろしているのが令和である。

ちなみに英語教育にはさまざまな「派」がある。公文英語派、英会話教室派、アプリで学ぶおうち英語派、フォニックス派、インカレ派、現地に親子de移住派など、いつもTwitterで揉めている。

ちなみに、受験ではなく海外で働くためにはどこをめざして英語を勉強したらいいか、を知るためのコンテンツを探していたのだが、最近みつけた。

オンライン英会話の費用や選びかたなどまで、英語学習の情報の宝庫だった。

高校受験をどうするかの決断をする

中学受験をしない8割の子供は高校受験をすることになる。しかしこっちもこっちで親世代のときとは様変わりしている。ここでも情報収集が必要。
ちなみに高校受験にしたから楽というわけではなく、こっちにはこっちで難関高をめざす「高校受験ガチ勢」がいる。富裕層でないなら資金を温存して海外ルートを狙うにはこっちのほうがいい説もある。
また中学に入ってから急に提出物をきちんと出すようになるなどということはありえないため、内申点をとりたいなら小学校高学年から生活態度の見直しや、プリントがなぜかなくなるという謎の解決はしておいたほうがいい。

ちなみに中受派と高受派もよく揉めている。どっちかというと重課金してしまっている中受勢のほうがこの問題にナーバスである。
詳細は下の本を読んでください。

ここまで読んでお分かりのとおり、とにかく情報収集につぐ情報収集、決断に注ぐ決断だ。

どの塾を選ぶかの決断をする

中学受験産業が早期囲いこみをしていると書いたが、高校受験産業でも早期囲いこみがある。少子化の世界では子供は奪い合いなのだ。「中一から高校受験塾に入れるのがあるある」と聞いてびびっていた私だが、今や「中一からでは遅い、小五から入れるべき」という人も珍しくはない。
高校受験塾に早期に入れるメリットしては義務教育で身につけるべき勉強をしっかりサポートしてもらえること。それから「塾産業のコンサルを受けられる」がある。私も見学に行ってみたが、「お母様のときとは高校受験はまるで違います」と十回くらい言われた。入塾するかどうかは別として、中学に入学した後に発生する親のサポート業務の概要がなんとなく見えるという意味で見学は早めにしておいたほうがいいかもしれない。
「中受しないなら塾代は安くてすむな」と思っていたものの、高校受験塾から渡された料金表を見て血を吐くのもこのころである。(中受よりは安いけど……それにしたって……)
早期に入れるデメリットは、実際の受験までの期間が長くなりすぎること。モチベーションがもたない、後から入ってきた子に抜かれてやはりモチベーションがもたない、などがある。

大学受験の情報を集めはじめる

六年以上先の話ではあるが、最近の大学の入試方法は激変している。詳しくは述べないが、高校に入ってから考えるのでは遅いこともたくさんある。私は早稲田一文出身なので「いっても、英語と国語の二教科で無双できれば、入れるだろ」とたかをくくっていたが、友人に「いまは三教科やらないと入れないよ」「東大に落ちた人たちを入学させたいから、科目を増やしているんだよ」と言われて「なに!」と叫びました。
大学受験までやっている塾を選ぶと(大学受験まで囲い込むために)、大学受験情報は勝手にどんどん入ってくる。英検を取得しておくと高校受験や大学受験の合格に有利なので、そのサポートもしてくれる。勉強を教えてもらっているというより、コンサルを受けている感がある。

自分のキャリア形成から子供のキャリア支援へのマインドセット

人生における優先順位が「親のキャリア形成」<<<「子供のキャリア支援」になっていく。「親のキャリア形成」も大事なのではあるが、「子供のキャリア支援」より優先されるかといったら「中年の自分に投資してどれだけの伸び代があるのか?」になってくるのは否めない。子供は今が伸び盛りで、そして家族はリソースを共有するチーム戦なのである。もし「親のキャリア形成」をするとしてもそれは「教育資金のため、年収を上げる」方向性になっていかざるを得ない。「大金がもらえるんだったらどんな仕事もしますがね?」というブラック・ジャックなマインドに移っていっている感じがする。

ただ、ブラック・ジャックになるには、実績なりスキルなりがそこまででできあがっていないといけないわけで、それがまだなのに「子供のキャリア支援」が始まってしまうときつい。まさに私がそうです。

それでなくても令和の小学生にはサポートすることがたくさん

小学校高学年になってから経験した親業務をあげておく

・委員会に入るためのスピーチ練習につきあう
・委員長に選ばれるためのスピーチ練習につきあう
・委員長に選ばれたので挨拶スピーチ練習につきあう
・ビブリオバトル初戦のための選書と初戦の練習につきあう
・ビブリオバトル優勝戦のための選書と初戦の練習につきあう
・タブレットのキーボードでローマ字入力をするサポートをする(ほっておくとブラインドタッチができなくなる)
・SDGsの勉強とプレゼンまとめを手伝う(パワポの使い方を教える)
・移動教室の準備を手伝う(ここでもスピーチが!)

これを見ただけでもおわかりのように、令和の小学生が求められるレベルはかなり高い。昭和の小学生なんて給食の奪い合いしかしていなかった気がする。電車の吊革にぶら下がって遊んでいた記憶もあり、猿だったのかもしれない。令和の小学生はすでにJTCに入社しているのでは? と思うレベルなのだ。公教育でここまでやってくれてありがたいなという気持ちと、深夜に「世界の貧困ってどうやったら解決すると思う?」と尋ねられて「えええ」となるときの疲労度とは、いつもセットである。

さらに心身の成長サポート(二人分)もたくさんある

・発熱したら医者に連れてく(これはこれまでと同じ)
・デンタルケア(12歳までは仕上げ磨きを毎日しろと言われる)
・歯の矯正(保健センターにしろと言われるが自費、月一の通院予約と付き添い、毎晩の装着チェック)
・アレルギー対策(舌下免疫療法、月一の通院予約と付添い、毎日投薬チェック)
・美容院(月一の予約と付き添い、癖毛対策なども)
・月経サポート(月経困難症の場合は通院付き添い、投薬チェックも)

書いてて、これ仕事しながらやってる私すごいなと思えてきた。通院は平日夕方までに行かなければならないため、当然仕事の時間は削られていく。自分で言ってくれるようになるとかなり楽になる。

外注できないことがどんどん増えていく

「金八先生」には、一流企業で働く父親が子の成績悪化に気づいて「お前は何をしていたんだっ!」と母親をなじるシーンがよく出てくる。「そんなこと言ったってあなたっ、仕事が忙しい忙しいって、勉強だってみてやったことがないじゃないですかっ!」と言い返す母親に、父親は「大事な商談をまとめているんだ、しかたがないじゃないかっ!」と開き直る。
昭和の家庭あるあるだなと笑えないのは、令和の共働き家庭がこの「大事な商談をまとめているんだ」という父親役二名によって構成されているからだ。普段の様子を注意深く見ている母親役がいないのだ。
これまでは保育園が普段の様子をみていてくれた。学童も見ていてくれた。でも小学校高学年になると、子供たちは午後の時間を好きなように過ごす。小学校の先生に対してすら外面で接するようになる。大人になったともいえるが、塾の先生にも「ご家庭での様子までは私たちにはわかりません」とはっきり線を引かれる。
つまり、「普段の子供の様子を見ている」のは親しかいなくなってしまうのだ。家にいるあいだはyoutubeしかしてないとかゲームしかしてないとか、それを把握しているのも親だけである。「大事な商談をまとめている」ことをしながらそれができるのか。抜け漏れが出てくるのではないか。そろそろ塾の時間だが携帯に出ないということはベッドで爆睡しているのではないか。だが、そういうサポートを代わりにやってくれるプロはもはやいない。

習い事や公文の送迎も、外注するほどではないが、地味に時間を削ってくる

宿題が多すぎる

「小学一年生になったら、宿題を見なければならないんですよね?」という相談を保育園ママから受けることがある。だが小一の壁には先生たちもすごく気を使っていて、ほんのちょびっとしか宿題を出さない。その時点ではたいしたことはない。本気を出してくるのは小三くらいからだ。その量は一気に増える。令和の小学生の自宅学習時間は昭和平成世代よりも格段に多いという調査もある。ここにさらに公文の宿題や、塾の宿題がのってくるとどうであろう。

しかも、ただやらせればいいというわけではない。「算数はスポーツのトレーニングと同じ、制限時間をもうけて、速く正確に解かせてください。小数点の位置が違うというミスが多いのでそこも指摘してください。小数点の位置があっているかどうかを確認してください」と塾の先生に言われたりもする。「えーと、それはつまり親の努力次第ってやつですか?」と思いながら先生を見ると「いいとこに行かせたいならね」という目で見つめ返される。
昭和の頃は勉強しないことは子の責任だった。しかし令和では親の責任でもあるのだ。

子供と一緒に旅人算を解きすぎて、こういうCMにも爆笑するようになった母である。


宿題の難易度も上がっている

宿題を見るのが大変という話をすると、現役で子育てをしていない人からこんなことを言われたりする。

「親のサポートなんか私は受けませんでしたけどね〜? それでも大学にはいけましたけどね〜?」

私も同じことを思っていた。科学者の友人に「今の小学生ってむちゃくちゃ難しい問題を解かされてるよ」と警告されても「といっても、たいしたことはないだろう」と思っていた。小学生がもらってくる教科書を見るまでは。そして塾の問題集を見るまでは。

英語の進度が速いことはすでに述べたが、算数の進度も速い。小学六年生がxを使った式を解いているのを見て「????」と思って調べてみたら私たちの時は中学にやっていた内容だそうだ。

親の活動限界が短くなる

ここまで読んで「そんなに教育熱心になっても!」「子供が追い詰められてしまうのでは!」と思いかもしれない。ご心配なく。
実際にやってみると、追い詰められるのは親の方だ。仕事を終えた後に、ご飯を作って食べさせ、そこから休憩を取らずに子供の隣に座り、「わからない問題がある? 見せてごらん、ママは頭がいいからな〜」と余裕たっぷりで見たものの、わからなくて「ちょっと待って、YouTubeで塾の先生の動画をみるから」ということが深夜22時からはじまったりする。「比の式は、割り算の商でもある? そうだった気がする。しかし小学生にそれを説明できるほどの理解ができてない、私が!」そのうちに脳が活動限界をむかえてしまう。パイロットはまだ元気なのに、エヴァの母はすっかり沈黙している。
しかも子供は二人いる。うしろには公文の宿題を前に「やりたくなーい」と言ってる下の子がいる。「続きは明日にしようか」などということを繰り返すうちに、公文の先生から「公文当日に宿題をしないようにしてください、もっと計画的に」と注意を受けたりする。

子供が寝た後に仕事をしようなんてことはいっさいできなくなる。

二十年前、三十年前の受験を語ってくる人への対応

子供の受験について語ろうとすると、「このレベルの大学に行かないと就職は難しい」「女子校に行かないと女子は活躍できない」「公立にはヤンキーがいるし、ガラスが割れている」などと、むきになって言われることがある。受験する年齢のお子さんがいるわけではないのに、と思って聞いてくると、彼らが話しているのは「私が受験した時」のことのようである。

二十年前、三十年前の話なのである。

職場で仕事をしていて、来年や再来年のプロジェクトについて必死に考えているとき、二十年前、三十年前に定年退職したOBからアドバイスをされたらどうだろう。村井理子さんではないが「いらねえけどありがとう」というしかないのではないか。つか、二十年、三十年たつあいだにいろいろあったじゃないか。飛行機をつかったテロがあったり、原発が爆発したり、パソコンが普及したり、星野源がスターになったりしたじゃないか。同じか? 二十年、三十年といまは同じなのか?
若者不足で超売り手市場になってて高卒も奪い合いになっているのを知ってますか? いまの公立で行われているジェンダー教育のレベルがどれだけ高いかを知っていますか? あとさいきん東京でヤンキーを見たことがあるんですか? そう反論すると証拠をいっさい提示しないままむすっとして「ヤンキーはいます」と小保方さんのようなことをいわれるのである。

二十年前、三十年前とは社会の前提が違う。多様性のない環境に通わせることは、この時代、失うものも多い。もし合わなくても中高一貫の場合は三年でリセットするのも無理である。子供の個性と照らし合わせながら、親はいろんな角度から考えて決めている。なのに「ヤンキーはいます」などという「住んでるとこによるだろう」レベルの情報によって、プラス六百万円の教育負担をさせようとするのはやめてほしい。「ぶっちゃけ、私立に行かせるお金がないんですよ」とまで言わせるのもやめてほしい。ただし一千万円くれるのなら言う通りにすることもやぶさかではない。「受験ルートはこれが正解」というのはポジショントークであり「そのルートを進んだ私はすごい」でしかないので注意だ。

とにかく大事なのは「今」の情報、「その地域」の情報である。

なくなっていく可能性

小説の一行目を書くと無限の可能性がなくなると言われる。それと同時に、我が子に感じていた無限の可能性が少しずつなくなっていくのを感じる。「理系になって欲しいと思ってたけど算数が苦手」とか「歌手になって欲しいと思ってたけど音痴だった」とか。そのほとんどが親の勝手な青写真であって、可能性がなくなっていくことはすなわち、その子にとってもっともむいていることがわかっていくということでもある。
同時に子供のほうも「うちの親、最高だって思ってたけど、雑だな」とか「金持ちではないんだな」ってことに気づいていく。
かといって期待しないもいけない。友人の娘さんは「期待されないのもさびしい」と言っていたようである。これは作家と編集者の関係を思えばすごく理解できる話である。「いつか百万部売れる作家になりますよ」と言われれば「なわけないでしょ」と思いつつ、やる気は湧く。かといって、プレッシャーをかけられすぎるのもつらい。塩梅なのである。
うちの子にも「ママが教育ママであったなら、花開いた才能があったのではないか」などと言われたこともある。ちょうどそのとき私の本棚から『ガラスの仮面』を抜いて読んでいたこともあると思うが……。

お金がない

「十歳までに貯めておけ」というのは本当だった。小学生になると出費が増える。たとえばこんなふうである。

・進研ゼミなどの通信教育(月数千円)
・交通費(子供料金)
・食費(よく食べるようになる)
・被服費(おしゃれに目覚める)

十歳を超えるとそれが加速する。

・公文や塾(月数万円)
・交通費(中学生からは大人料金である)
・食費(子供によってはクマのように食うようになる)
・被服費(移動教室などのイベント用のレインコートなども)

塾代を見た瞬間、節約が上手な先輩ママに「こんなに高いものを毎月払うんですか?」と尋ねた。こう言われた。「教育費は光熱費や家賃と同じ、出ていくものは仕方ないと思いなさい」
高年収でいらっしゃるご家庭は別として、預金の増加がぴたりと止まるのもこのころではないだろうか。預金が増えるどころか減っていくのはメンタルにくる。

物価高がにくい

この数年、子育て世帯を襲った負担増を列挙しておく

・消費税増
・社会保険料増
・家賃および住宅価格の上昇
・光熱費の高騰
・コロナによるマスクなどの衛生品費用増
・食材などあらゆる物価の高騰(お菓子の中身が少なくなっていく)
・交通費増
・塾代増
・円安(短期留学でもすごい金額になる)
・住宅 ローンの変動金利を上げるとかいってる
・慶應幼稚舎ご出身の慶應の学長が「国立大学の学費をもっと上げろ」とかいってる

ちなみに親世代のころにはあった年少扶養控除はいまはない。一般的には十万円くらいの負担増だと言われている。高校無償化や、給食無償化や、東京都や区が支援はしてくれているが、社会保険料や物価高にすいとられてしまって、全体的にはマイナスの家庭が多いのではないか。

うちはまだ両親ともに働いているからなんとか回っている。だが、そうはではないか家庭も多いのではないか。奨学金をもらっている大学生は全体の半数に及ぶという。
そう思うと、生協で買い物をしていて「生協では会員からの寄付によってX人の学生に奨学金を渡すことができました」といアナウンスを聞くだけで涙ぐんでしまうようになった。また、習い事のあいだ待機しているマクドナルドでアプリで注文する際は、病気の子どもとそのご家族を支援するドナルド・マクドナルド・ハウスに十円単位ではあるけど寄付をするようになった。

もう少し、家計が上向いたら前にやっていたチャンス・フォー・チルドレンへの寄付も再開したい。教育格差が開いて損をするのは子供本人だけではない。超少子化なのだから、子供全員に手厚い教育が与えられないのであれば、日本中の企業で有能な人材不足に悩むことになる。音楽を習ったり、スポーツを習ったり、できる子が減れば、音楽市場もスポーツ市場も萎んでいくのである。

投資家として生きる

思い詰めた私は、作家でもあり投資家でもある友人に「株を教えてください」とお願いして、投資家になった。すでにiDeCoはやっていたが、ときは新NISAである。つみたてNISAをしながら、日本株の現物の売り買いをし、ビットコインやイーサリアムにも分散投資。
投資家として成長していくうちに、経済にどんどん詳しくなっていく。仕事・労働小説家としてもプラスでしかなく、今のところ上の子の一年分の塾代を稼ぎきるくらいには、投資家として成長している。
宿題を見る体力をつくりたくてパーソナルトレーニングもはじめたので、今年の後半はその費用を株で稼ぐことが目標だ。
会社四季報や業界地図を読んでいるうちに、一般には知られていないが業績がいい企業や、成長分野がわかるようになってきて、子供たちにどのように教育投資するかの指針も見えてきたような気がする。

学力が上がってきた(私が)

子供の塾の宿題を見たり、英検の模擬試験につきあったりしているうちに、私の学力が上がってきた。……というよりよみがえってきた。とはいえ、すぐに出てこないことも多い。英語はとにかく毎日のつみあげである。英語学習アプリDuolingoをダウンロードして毎日5分やるようになった。虚無だと思っていた子供の宿題を見る時間を、学習のし直しにしてしまえば私も成長できる。

ついでに第二外国語でやった中国語も思い出すためにはじめた。まるきり初学ではないので、スイスイ進むのが楽しい。これからの時代、中国の人たちと仕事で関わることも増えていくかもしれないし、毎日5分やっていれば10年後くらいにはそこそこ喋れるようになっているのではないか?
そのころには株ももっとうまくなってて留学できるかもしれない(私が)し、自分の小説を翻訳することもできるのではないだろうか?

で、小説はどうなったんですか?

つらいのは編集者さんから「長編は進んでますか?」というメールをいただくことである。進んでいる。だが、リソースを「教育」に奪われていることはたしかである。でも別の編集者さんに「だったら、そういういまの状態を書いちゃいませんか?」と言われているので、仕事にも生きてくるのかもしれない。

……と、長々と書いたが、小学高学年からはこういう業務が発生していく可能性があるよというお話でした。