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デュアルキャリア・カップルの夏休み

小学生たちの夏休みもそろそろ終わりだ。
私がワーキングマザーであることはインタビューなどでさんざん話しているし『対岸の家事』という小説も書いているから、このnoteを読んでくださっている方のなかには、ワーキングマザーの日常を見てみたい、という人もいるかもしれない。ちょっとだけ、上の子が小学校中学年に達したアラフォー・ワーキングマザーの感慨をひとこと叫ばせてくれ。

夏休みは仕事にならねえ!

保育園に子供を通わせている時は「小学校が不安。学童は保育園ほど手厚くないし、夏休みはお弁当も必要だし」と不安に思っていた。学童は18時までだ。延長保育なしの園に通わせていたので、18時にお迎えにいくこと自体はそんなに大変ではない。だが、まず問答無用で18時に閉まってしまう学童(18時半まで延長することもできるがプラス500円)へ上の子を迎えに行き、その足で下の子を保育園へ迎えにというスケジューリングはなかなか難しい。
小学生になったのだから一人で帰れるだろう、と思っていたのだが、小学生一年生は最も交通事故に遭いやすい。地区班で割り振られた旗振りの仕事(交通量の多い交差点に父母が交代で立って子供の安全を守る役目)をやっていると、一年生は本当に危なっかしい。「こんなの一人で歩かせられない」と思ってしまう。シルバー人材センターから派遣されてきた人たちが登下校を見守ってくれているのだが、あの人たちがいなかったら、軽く二、三人は車に轢かれていると思う。

だが、今となっては小学二年生までは、9時から18時まで子供が家にいないだけでありがたかった。なんと、小学生らは三年生になると学童に行かなくなるのだ。「行かなくなる」という言葉が、保育園のお子さんしかいない親御さんには想像もできないだろうと思うが、つまりそのあたりから子供は自由意志を持ち始め、親に従わなくなるのだ。

まず自由を愛する者が二年生くらいから学童に行かなくなる。孤独になることを恐れず、公園で主婦家庭の子と偶然に出会う可能性を信じて遊びはじめる。イノベーターと私はひそかに呼んでいる。

そして、イノベーターの勇気ある行動を見た他の者たち、アーリーアダプターたちが「今まで気づかなかったが、学童の外でも遊ぶことができるらしいぜ」と小学二年生の後半からフリーランス宣言をする。

https://www.utokyo-ipc.co.jp/column/innovation-theory/

イノベーターとアーリーアダプターたちは小学校で約束を交わし、公園などで待ち合わせて遊ぶようになる。といって所詮は小学二年生、約束時間をちゃんと聞いてなかった、やっぱり気が変わって行くのをやめた、など約束が成立しないことも多。家で仕事をしていると「公園で待ってたのに誰も来なかったー!なになにちゃんのママにLINEしてどこにいるか聞いて!」と泣きつかれ、待ち合わせコーディネーターにさせられることが増える。学童で供されるおやつも、フリーランスになると得られないため、おやつ(好みがうるさい)を「おかしのまちおか」まで走って常備しておくという業務も増える。昨今はお菓子も値上がり、容量も減る一方で、小学校中学年はつねにお腹が空いているので、おかしのまちおかで大量買いをしておかないとたちまち家計を圧迫する。

小学三年生になる前には、アーリーマジョリティとレイトマジョリティが「壁のむこうには広大な世界がある」ということに気づき始める。共働き世帯の増加によって学童は子供でいっぱい。三年生になると入るのが難しいということもあり、親もあきらめる。かくして小学三年になるとほとんど学童に行かない、いるのはごく一部の子だけという事態になる。小学三年にもなると約束も上手くなるのでコーディネーターからは解放されるが、キッズ携帯(契約するのにかなりの時間を取られる)を持たせる家庭が多く、いきなりスマホを持たせる家庭もあるので、先回りしてのデジタルリテラシー教育も必要になる。

そして夏休みの到来だ。
小学一年生は学童へ行くが、小学四年生は家にいて朝からゴロゴロしている。友達と頻繁にアポがとれるわけもなく「宿題教えて」「お昼ご飯は?」「おやつないの?」、遊びに行ったら行ったで「お弁当の箸を忘れた!持ってきてー!」「コンビニでもらえ? そんなの恥ずかしくてできないよ! 助けて!」「自販機でココア飲んでいい?」「おやつ買いたいけどお金がない〜」と、頻繁にメッセージがくる。友達が遊びにきたらきたで(なぜかみんないつもうちに来る)「ゲームやっていい? うるさくしないから」「おやつないの?」

この細切れに仕事を中断させられる感じ、デジャブを感じる。
会社員時代に上司に「大阪出張の時だけど黒門市場で鰻を食べたいので飛行機の予約を11時に変更してほしい」とか「鰻の店、有名なので並ぶかもしれないので、やっぱ予約を10時にずらせないかな?」とか「あーでも、早めに着いちゃってもね!? 11時に戻してもらっていいかな?」とか尋ねられて、いちいち対応していたときの感じに似ている。
団塊世代、ポスト団塊世代の上司たちは今思えばほとんど子供だった。家庭では妻が、職場では部下が、自らの保育をしてくる。それが偉いものの特権のように考えている人もいた。最後には業を煮やした先輩が「飛行機のウェブ予約は2回以上やるとお金がとられるんですよ」と上司を騙して止めてくれたのだが、当時の上司と違って、子供は誠実に対応しなければならないのが困りものだ。

そさらにギャングエイジである小学生中学年は「禁断の夜ふかし」に命を燃やしてくる。昼間は決して手をつけなかった宿題を急に始めたりする。「着手するのが遅すぎる!」なんて小説家としてはブーメランの言葉を吐きたくなる。これによって日中にできなかった仕事を夜にやるという禁じ手も封じられ、昼夜逆転した小学生から「一人になったらオバケが出るかもしれないJから先に寝ないでほしい」と懇願され、中年の睡眠時間は削られていく。

夏休みよ早く終われ、と祈りながらカレンダーを見ている。

おっとほぼ愚痴になってしまった。よいこともあったのです。
小学四年生が読書カードを書くので「なにか、読みやすい読み物はないか」と言ってきた。書店に行ってもいいのだけど、私の本棚にもなにかないかと探しにいったら『もものかんづめ』があった。「君はもうこれが読めるのではないか」と渡したら、一生懸命読んでいた。さくらももこが睡眠学習枕を買い、家族の大顰蹙を買うくだりで大爆笑していた。「面白いよね」と言いながら、このあいだまで言葉も満足に話せなかった子供が、そうか、『もものかんづめ』の面白さがわかるようになったのか。自由意志を持つようになった子供が、私の勧めた本を読んでくれて、感想をくれるというのは、なかなか楽しいなと思ったのだった。

子供が親と一緒になにかしてくれるのも、親から何か受け取ってくれるのも、きっとあとわずか。来年の夏の8月は、親側もサバティカルだとわりきって、一緒に読書したり、今の子供が興味を持つこと(奴らはデジタルに強く、最近流行りのコンテンツにも強い)を一緒に履修してもいいのかもしれない。

そんなこんなでバタバタだった夏休みに私が読んで本はこれです。

デュアルキャリア・カップルとは、双方がキャリアを継続しようとするカップルのこと。本書は同性婚含む世界中のデュアルキャリア・カップルを多数調査した研究者によるものなのだ。
日本においてデュアルキャリア・カップルが普通になったのは就職氷河期世代からだが、日本社会の過半数はバブル世代以上が占めており、彼らの多くが専業主婦家庭であるため、デュアルキャリア・カップルのロールモデルがほとんどない。だが、世界を見渡せば「先輩」はたくさんいるのだ。

おもしろかったのは、「デュアルキャリア・カップルのキャリアは二つで一つ」という考え方だ。独立しているようで、相互に影響しあっている。ゆえにデュアルキャリア・カップルには三つの転換期があるという。以下、私による日本の事情によせた超訳なのだが、

第一転換期(20〜30代):しなければならないことをする時期。結婚・出産・転職・転勤・介護などのライフイベントとキャリアアップの両立に四苦八苦する。夫が創業まもないベンチャーに転職したため、育休を切り上げて職場復帰するなど、互いのキャリアチェンジにも翻弄されがち。日本だと主婦家庭の上司の妨害なども入り、今注目されているのはこの段階。

第二転換期(40代):本当にしたいことをしたくなる時期。終身雇用制崩壊後の世代だからこそ訪れる「定年までこの会社にいて(まさしく定年までいるつもりの上司の介護だけしてて)もいいのか?」という悩み。いわゆる中年の危機でカップルの双方に訪れる。パートナーの本当にしたいことの探求を応援したいが、子供の教育費やローンがあるし、自分だって本当にしたいことを探求したい。日本だとこの段階に達しているカップルはまだ少ないため、コンテンツも少ない。私も今まさにここにいる。

第三転換期(50代):やり残したことをしたくなる時期。子育てが終わり、定年が近づき、体力も低下して、できることが限られてくる。第一転換期、第二転換期でパートナーのサポートに回されてきた側の不満が爆発するのはここかもしれない。最悪離婚。私はまだこの段階にはないが、友人が「40代でやりたいことと向き合っておかないと、やり残したことに若者を巻きこむ50代になりかねない」と言っていて「なりかねない」と思った。

さらに、デュアルキャリア・カップルには以下の三形態があるという。

①双方がキャリアを追求する(すごく大変)
②片方がキャリアを追求し、片方はそのサポート
③②を交代してやる

日本では②が多いのではないか。③も増えてきた。一見合理的だが、サポートに回らされた側のキャリアは犠牲になる。たとえ合意によってなされた決断であっても、各段階できっちり話し合わないと(とくにキャリアを追求できている側がそうしないと)、のちのち不具合が出るそうだ。まあそうだよね。一度きりしかない人生だものね。

ちなみに、幸せを感じやすいのは①を選択したカップルだそうだ。周りを見ると①が実現できているのは、だいたいが実家サポートつきの人たちだが、我が家はそれなしで(最初はサポートされていたのだがやめた)なんとか①をやっている。片方がフリーランスだからできたように思う。

そしてこれは余談で私見だが、実家サポートは、その実家と義理の関係にある側の負荷が大きくなりがちだ。依存しすぎて自立できなくなってしまうこともある。実家サポートが得られないことでキャリアが制限されると感じることもたくさんあったけど、カップルだけで回していくシステムを確立できるという点ではよかったなと個人的には思う。

もちろん①が実現したとしても、第一段階・第二段階・第三段階の悩みも容赦無くくる。互いのキャリアを尊重し、家事分担も平等で、めでたしめでたしとはならない。そんなのは、デュアルキャリア・カップルをやる以前に解決すべき問題で、本当の登山はそこから始まるのだ。

デュアルキャリア・カップルの人たちだけでなく、デュアルキャリア・カップルについてのコンテンツを書く人たちにもぜひ読んでほしい本だ。
まあまあ高い本なのだけど、8月末までならkindleが半額です。