対酒

3月の始めからリモートワークをしてい人たちが疲れ切って休職することになった、退職することになった、そういう話を最近よく聞きます。

リモートワークには楽だというイメージがあります。たしかに出勤しなくていいというのは大きなメリットです。私も10年間続けていますが、出社して行うより生産性も高いと思います。しかしそれは、仕事が終わった後にふらっと映画に行けるとか、好きな時に外食ができるとか、土日はキャンプに行けるとか、平時の状況下に限る話です。

3ヶ月半もの間、慣れない環境にいきなり放り込まれ、人によっては子供の面倒を見ながら、外出は一切できない、会社の人と雑談もできない、明るいニュースは一切聞こえて来ず、それで通常と同じ業務量をこなし、成果を出す……。そんな無理なゲームは在宅勤務に慣れた私でもクリアできません。仕事の遅れを取り戻すため、連休中も土日も休みはなかった。そういう人も少なくないのではないでしょうか。

医療従事者の子供が保育園登園を拒否された。ドラッグストアの人が暴言を吐かれた。自分より大変な状況の人たちのニュースを聞くだけで、心に細かい傷が増えていき、ますます「自分のストレスなんか大したことがない」と我慢し続けてしまった人も多いのではないでしょうか。

私もこの三ヶ月半に連載が二つ重なり、かなり無理をして乗り越えました。一度過労で倒れているので注意はしていましたが、最後の方は本当に危なかったです。締め切りを何度も先に伸ばしてもらい、「もうダメなのかな」と思ったりしました。

ようやく休めたので、過去のメモを見ていましたら、こんなのが出てきました。

対酒

蝸牛角上争何事
石火光中寄此身
随富随貧且歓楽
不開口笑是痴人

遠い昔に中国に生きていた白居易が書いた『対酒』という詩です。白居易は日本でも古くから人気のある詩人で有名なのは『長恨歌』でしょうか。高校の授業で読んだ『源氏物語』や『枕草子』にも白居易の詩が出てきてたのを覚えています。内容がわかりやすいのもさることながら、激動の時代に官僚を務め、無職期間があったり、左遷されたことがあったり、それなりに浮き沈みがあったという、詩人の人生にも親しみが持てます。

日本語に直すと『酒に対す』。これだけでも、良さそうな詩だな、と思ってしまうのですが、本文もすごくいい。きちんとした方が手掛けられた訳ももちろんありますが(そちらも検索して探してください!)、ずっと前に自分でも意訳をしてみたことがあり、それがメモに残っていました。ちょうど『わたし、定時で帰ります。』のドラマが放送されていたので、主人公の東山結衣が喋っているイメージでやってみました。
拙い訳でお目汚しかとは思いますが、せっかく発見したので載せてみることにします。


対酒

蝸牛角上争何事
石火光中寄此身
随富随貧且歓楽
不開口笑是痴人

カタツムリの角の上のような狭いところで互いに争う意味ってあるの?
火打石から出た火花みたいに短い一生でめぐり会えた私たちなのだから
いい時代も、うまくいかない時代も、注ぎつ注がれつしませんか
ビールを飲んでる時でさえ、大声で笑わないでいるなんて、そんな人は馬鹿みたい


この数ヶ月、ろくに笑っていなかったなあ。注ぎつ注がれつ、もなかったなあ。これを読んで、そんなことを思いました。一生懸命ではあったけど、ほんと馬鹿みたいな日々でした。
白居易の時代にもきっとそういう、馬鹿みたいな日々がたくさんあったんでしょうね。

もうだめだ、少し会社を休もう、という決断をした知人は、労務の人に「相談してくれてありがとう」と言われたそうです。「疲れた状態で仕事をして、致命的なミスを犯した日には、さらに精神的に落ちこみ、それこそ戻って来られなくなります」と言われたそうです。本当にその通り。自分はまだ大丈夫だと思えるうちに休むのが正解です。

やらなきゃいけないことは山積みで、この先どうなるかは全くわからないけれど、私もしっかり回復して、次に進みたいと思います。

疲れた!