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『余命一年、男をかう』文庫版の解説を書きました

みなさんは余命一年とわかったら何を買いますか?

なんとなんと光栄なことに、吉川トリコさんの『余命一年、男をかう』文庫版の解説をまかせていただきました。

文芸誌に掲載された時点で一気読みしてしまったのですが、島清恋愛文学賞を受賞した他、山本周五郎賞にノミネートされたこの小説の解説を書かせてもらえるなんて!
「お前わかってるんだろうな? ちゃんと書けよ?」という、この作品を応援している講談社の人たちの顔がちらつきましたが、でも「私のために書かれたんじゃないか?」ってくらい好きな小説なのでがんばりました。

みんな怖いんだろうか。
自分が稼いだお金で、いったいなにを買っているのか、気付かされてしまうのが。
 
物語がはじまってすぐ、主人公の片倉唯がこう考えるシーンがある。
『余命一年、男をかう』のタイトルには「かう」という言葉が入っている。その名の通り、これは始まりから終わりにいたるまで、私たち現代人が「いったいなにを買っているのか」をつきつけてくる物語だ。
会社員の生涯賃金は入社した時点で決まっている。昇格や賃上げなどで変動することはあったとしても、だいたい予想がついてしまう。いや、会社員でなくても、ほとんどの人たちは自分が手にすることのできる金額の限界を知っている。だからこそ限られたお金でなにを買うか、というところに悩むのである。
四十歳の会社員である唯の買うものは決まっている。コスパのいいものだ。
「だれに頼ることもなく一人で生きていけるだけのお金を稼いで、収支トントンで終えること」という信条に貫かれた彼女の生活ぶりは徹底されている。二十歳でマンションを買い、本は図書館か古書、お酒も飲まず、昼は手作りの弁当、美容院には行かず髪は伸ばしっぱなし、余剰資金は投資に回す。ハイリスクハイリターンなものすべてを削ぎ落として生きている唯はこう語る。 
 
恋愛はコスパが悪いからしたくない。
結婚も出産も同様の理由でパス。
他人と生きるということは、不確実性が増すということだ。そんな危険な投資に時間や労力を注ぎ込みたくない。

『余命一年、男をかう』文庫版解説より

本作品は、新自由主義の内面化が進んでいる「私たち」の物語であると思う。それをポップでユーモラスに語れてしまうのが本当にすごい。

できるだけ多くの人に読んでもらいたいので、長めに解説を引用しておきますので、ネタバレ絶許な人は先に本編を読んでくださいね。

でも、唯の生き方に「わかる」と共感する読者も多いのではないだろうか。消費税も社会保険料も増えるばかり、減るのは給与の手取りばかりだ。なのに老後に備えて二千万貯めろと言われたりする。死んだ後も他人に迷惑をかけるなと言われもする。個人主義がゆきわたって、自由に生きられるようになった代わりに、私たちの精神には、個人の選択の結果は自己責任である、という考え方がしみこんでいて、たとえ困窮しても誰にも頼ってはならないということが「道徳」になりつつある。
唯はそんな「道徳」の遂行者であり、こう思って生きている。
 
目先の欲に踊らされず倹しい生活をしながらこつこつと老後資金を貯めている働きアリのような私こそ、もっと褒められて然るべきではないかと思うんだけど。

『余命一年、男をかう』文庫版解説より

がんばった結果、史上最高の解説が書けてしまった気がします。

この小説が刊行されたとき、私の周りでこの小説を推したのは意外にも男性読者だった。経済的に困ったことなどなさそうなエリート男性までもが、この小説に大きく心動かされているのも見た。彼らもまた唯のように「お金がなければ相手にしてもらえないんじゃないか」という恐れを抱いているのではないか。だからこそ、名門校をめざし、一流企業に就職する。他者より優位な人生をめざしているように見えるかもしれないけれど、ほんとうはむかっている先は「私が死ぬとき泣いてくれる人」なのではないだろうか。『余命一年、男をかう』は自分に市場価値はないとわりきっているようでいて、わりきれずに苦しんでいる私たちのための物語なのだ。

『余命一年、男をかう』文庫版解説より

本編を読まれた後に、私の解説もぜひお読みください。

ここからは余談なのですが……

労働であったり資本主義であったりがテーマで書く人はじわじわと増えています。若い作家さんほど多いです。労働について考え、資本主義について考え、そうしなければならないほど、追い詰められている人が増えているということかもしれません。にもかかわらず、これは山本周五郎評の批判なのですが、選評を読む限り、この小説が何を描こうとしたのかを理解していると思われる選考委員がいませんでした。あくまで選評を読む限りですが、経済強者であるであろうベストセラー作家さんたちは、もはや同じ社会では生きていないのではないか、という気さえしました。

そもそも労働や資本主義がテーマの作品の評を書ける人が出版業界には少ないのです。高等遊民気質の人たちが集まっている業界だからというのが大きいですが、一般社会に暮らす人たちとの意識乖離が大きくなり過ぎている。みんなほんとにリアルな毎日に苦しんでいるのに、そこに寄り添ってくれるのがビジネス書や自己啓発本しかないという現状がつらい。
そして、自分の書いているものに正当な評価をもらえないというのはサイレントお祈りをされながら就活するようなものです。むしろ読者の方が「どう評価すればいいのか」を知っていて教えてくれるくらいです。

吉川トリコさんに「朱野さんのような小説の書き方をするから書ける解説だとも思いました」とお褒めいただいたので、できればこれからは労働や資本主義について書かれた現代小説をできるだけ紹介していきたいです。
「これ読んで!」ってものがありましたら、国内外構わずお薦めいただけたらありがたいです。

書評や解説のご依頼もお待ちしてます…!