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小説の工数って正確に見積もれるものなのかしら?

締め切りを作らない働き方に突入してからはや14日ほど経った朱野だ。

休んでいた間は頭に入ってこなかったビジネス記事や仕事に必要な資料などが少しずつ読めるようになってきた。ただ不調な日はまだあって、どこが回復していないのかを探るためにこうしてnoteを書いたりしている。
夜は疲れてしまって23時には寝てしまったり、土日は仕事をする気になれなかったり、午前中に集中して本を読むと午後はぼうっとしてしまったりもする。今日だめだなと思ったら休みにしてしまったり……。え? 健全な人間の生活とはそういうもの? 

さて、われわれ小説家から健全な生活を奪うものとは何かといったら”締め切り”である。ただし締め切りは小説家としての健全さをもたらしてくれるものでもある。編集者からの期待の表れでもあり、単行本(あるいは文庫)が刊行されることの仮保証でもある。「締切のない仕事ほど怖いものはない」とはとある有名作家の言葉だが、その通りだと思う。

最近、「書く仕事がしたい」という本を読んだ。

冒頭部分でこのような記述を見つけた。著者はライターを始める際に友人の雑誌編集者からこう言われたという。

「正直なところ、原稿は編集者でも修正することができる。でも、締め切りに遅れられると、こちらにできることはないんだよね。だから私は、原稿が上手くて締め切りに1日遅れるライターさんより、原稿はそこそこでも必ず締め切りを守るライターさんに頼む」

「書く仕事がしたい」佐藤友美・著

これを読んだ時、私が思ったのは「同じ書く仕事でも小説家とは微妙に違うのだな」ということだった。もちろん小説家も締め切りを守らないといけない。「絶対に守れ」と編集者は言いたいだろう。締め切りが守られなければ連載は成立しないし、刊行予定が決まっている場合は編集者だけでなく、校閲さんや印刷所にも迷惑がかかる。「原稿はそこそこでも締め切りを守る小説家の方がいい」と言う編集者もいるだろうし、締め切りを守らせることに編集者が費やす労力は相当なものだと思う。だが、11年も小説家をやっていると「締め切りが第一」だけとも言えなくなってくるのである。なぜかというと、ここは「面白い」にみんながひれ伏す世界だからだ。

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