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お仕事小説で女性の主人公を書く時に悩むこと

私が就職した頃、女性が外で働くのはすでに当たり前だった。

友人と会ってもするのは仕事の話ばかり。恋愛やファッションの話はするにはしたが、ほとんどは現在の職場の話だった。上司のマネジメント能力の有無や、新しい法制度、いま読んでいるビジネス書の感想。だから私が同年代の主人公を書こうと思ったら有職者。彼女(彼)が明け暮れているのは仕事。それが自然な流れだった。なので自分の書くものが「お仕事小説」というジャンルに入れられたと知った時は戸惑った。今でも戸惑い続けている。

働く人々を書く小説のジャンルに「経済小説」や「企業小説」がある。これらの小説の主役はほとんどが中高年会社員だ。積み上げた経験やキャリアを生かして、不正や汚職を行う巨悪と戦ったり、組織構造によって生み出された理不尽と戦う(例外もあるし、時間ができたら全て読んで分析してみたいのだが)。取材がみっちりされていて、リアリティ溢れる作品が多く、私も大好きである。
だが、「お仕事小説」というジャンルはどうも違うらしい。「未熟な若者が持ち前の明るい性格を武器に成長する話」という朝ドラ風味の物語が求められる。とにかく「明るい性格」を期待される。あと「恋愛」もあった方がいいと言われる。

小説だけけでなく、ドラマや漫画でもそうだが、従来の女性向けのエンタメの舞台を職場に移しただけのものを「お仕事もの」と呼ぶことが、わりに多いからかもしれない。そういうエンタメ作品では、仕事は恋愛を盛り上げるためのシチュエーションであり、背景に過ぎない。なのでイケメン上司が部下の頭をクシャクシャとやってしまったりする。(注:実際の職場では完全アウトである)恋愛モノだとわりきれば面白い。が、恋愛至上主義で書かれたものが「お仕事モノ」なのか? と言われると疑問符が浮かぶ。

そもそも、私の周りの働く人に「持ち前の明るい性格」を武器にして働いている人などいない。

今となっては信じがたいことだが、仕事ができなくとも上司に気に入られれば出世できる時代があったらしい。「経済小説」や「企業小説」にはその方法で出世する人物がよく出てくる。そりゃ不正や汚職がはびこるはずだ。(主人公たちはその現状を嘆きはするが変えようとはしていないように見える)

しかし、過酷な就職活動を経てきている世代にとって武器はキャリアだ。プログラミングや、人事労務の知識や、研究実績だ。重視するのは自社の上司の評価ではなく、転職市場で市場価値があるかどうかである。忖度を強いてくる上司がいたら見限って転職するか、「そういうのやめませんか」と正面きって言いにいく。そういう今時の人々を書こうとする時、そのジャンルは「お仕事小説」でいいのだろうか。

ジャンルのイメージなど気にせず、好きにやればいいのかもしれない。でも、「もっと明るい性格に」とか「仕事部分に興味がない読者もいる」と言われるたび、私は立ち止まってしまうのだ。

なぜ「仕事小説」ではなく「お仕事小説」であるのかも気になる。その「お」は何のためについている? 

女子供に読ませるもの、というニュアンスがあるのだろうか。それとも文体がライトだからだろうか。でも、それを読む人たちは決してライトな日々を送ってはいない。霞が関を退官したばかりだという読者の方からファンレターをいただいたことがあるが、そこには「私の職場に効率という言葉は存在しなかった」「なんとか退官まで生き延びた」と書かれていた。そういう人たちも通勤電車の中で読むのならば、やはり文体は軽い方がいいのではないか。そう考えてみると「お仕事小説」の「お」には手に取る人の心を軽くするという効果があるのかもしれない。恋愛要素もあった方が心がほぐれるのかもしれない。
ただし、恋する相手は部下の頭をクシャクシャとはしない。イケメンであるかどうかより、コンプライアンスを守れる賢さがあるかどうかの方が職場では大事である。気晴らしに読むものだからこそ、性格が明るい主人公の方が救われるかもしれない。でもその明るさは持ち前のものなどではなくて、過酷な現実の中で培われたタフさであってほしい。彼女が向かい合うのは巨悪ではない。読者の目の前にある現実と彼女は戦う。

「お仕事小説」というジャンルには、女性主人公は出世しないほうがいい、という暗黙の了解があるようにも感じる。これも難しい問題だ。多くの女性がガラスの天井の下にいる。同じ場所にいてほしいと思う人もいるだろう。私も昭和生まれなので「無理に出世せずとも」と思ったりする。が、現実の働く女性たちは現実のガラスの天井に着実にヒビを入れ始めている。若い世代はさらに遠慮なくヒビを入れるだろう。その現状を描かなければ「お仕事小説」はオールドジャンルになってしまう。新たなガラスの天井も作ってしまうのではないか。「小学生の娘も読んでます」と言われることが最近ではあるのである。

とにかくデビューして十年経った今も、このジャンルのことが私にはよくわからない。女性主人公をどう書けばいいのかもわからない。誰にもわかっていないのかもしれない。「お仕事小説」の「お」は好きに試行錯誤してもいいよ、という自由を表しているのかもしれない。
そんなことを考えながら、今日も「お仕事小説」を書いている。