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元上司からの頼まれごと

先日、中学生の子から「小説家のお仕事」についてインタビューしてもらった。元上司のお子さんで、夏休みの宿題なのだという。「つらいときはあるか」と尋ねられて「毎日めちゃくちゃつらい」と答えた。「文字をたくさん打つのもつらい、毎回、面白いものを作らなきゃけないのもつらい。誰か一人でも面白いと言ってくれないといけない。一万部、十万部を売ろうと思ったら、それだけの人数の読者が面白いと思ってくれないといけない。そしてそのくらい売れないと商売にならない。それをずっと続けていくのがつらい」とも答えた。

「つまらないことはあるか?」と尋ねられた。「趣味で書きたいシーンだけ書くのは楽しい。でも仕事にしてしまうと書きたくないシーンも書かなきゃいけないので、書いている時間の大半がつまらない」と答えた。ちなみに「書いていてつまらないシーン」はイコール「読者にとってつまらないシーン」ではないから厄介だ。著者がつまらなさに耐えて積み重ねたものが読者にとってはたまらなくいいということがある。
インタビューの途中で私はこう言っていた。

「絨毯を編んでるんじゃないかと思うことがある」

「むいているのはどんな人?」と尋ねられて「今言ったつらさだったりつまらなさだったりを、面白いものを作りたい執念が上回る人」と答えた。ここまで答えてきて、愚痴しか吐いてないことに気づき、「とはいえ、一発当てれば億を稼ぐこともある夢のある職業だよ!」と伝えたら「作家になりたいなら大学進学して就職して食えるようになるまでは兼業作家でいろと言われています」と返ってきて「お父さん(元上司)の言うことはいつもとても正しいです」と答えた。

ここから先は余談だ。

終わった後、元上司から「僕の知らない朱野さんで楽しかったです」という丁寧な感謝のメッセージをもらった。リーマン・ショックの直後に一社目を辞めてしまった私が、二社目に拾われたのは、経営企画室にいたこの上司が業務過多で「部下がほしい」と専務に頼んだかららしい。少しだけだが恩を返せたような気持ちになった。上司といっても五歳くらいしか違わないのだが、合理性の塊のような人だった。部下でいるのは快適だった。元上司と私はほぼ同時に辞めた。リーマン・ショックの猛威は止んでいなかったので「お互いサバイブしよう」という感じで別れた。

レイオフもそうだと思うけれど、会社が買収されて部署ごとなくなってしまうカタストロフィは人の何かを変えてしまう。能力も意欲も関係なく切り捨てられてしまう経験は、新卒採用のときに続いて二度目で、雇用が永続的であることを信じることはこの先できないだろうと思った。信じられないままはじまった三度目の転職活動は難航し、私は専業作家になる道を選んだ。

十年後、再会したとき元上司は何社かを経て、会社に経営に関わる立場になっていった。彼の中では、私は二社目にいたころの会社員のままでいるらしい。「突発性難聴になったとき、朱野さんがすぐ病院行けって言ってくれて、おかげで今でも耳は聞こえるよ」「一社目でストレス性の病気はたくさん見ましたからね」と、数年に一度程度、飲み会などで会うたびにそんな話をしている。