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ナニカに慮ってるつもりで発揮する攻撃性

キャンセルカルチャーは続くよ、どこまでも。ポリコレは表現の制約を呼び寄せてキャンセルカルチャーが不自由世界に変化させる。ナニカを護ったつもりのその行動はあたり構わずトゲトゲしていて周りを傷付けるから、結果的にそのことには誰もが触れられないようにしてしまう。闇雲にタブーにしてしまう。

世界で蔓延しているポリコレとキャンセルカルチャー。分断化を生む原因になっていることも分かってきているのに止まらない。そもそもクレームに弱い・事なかれ主義が染み付いている日本は歯止めがかかりそうもない。いつまで続くんだろう? オリンピック東京大会2020は、国立競技場の設計にマークに始まって枚挙にいとまがない程多くのキャンセルが。もちろん、それぞれ別の正当な理由があるのだが、正当だから?全てキャンセルしていいのか、は別問題だ。キャンセルが目的化していることは往々にして。「『オレ』の正義で黙らせてやったぜ」それがキャンセルカルチャーと呼ばれるようになった世界の状況だ。

誰かが指摘した。間違っちゃいない(※1)。が、その対応での修正の内容。もう意味が違う、意味が変わり過ぎる(※2)。こういう結果は言葉狩りであり表現狩り、表現の不自由を作る。誰かを意図的に傷付けるのは悪だとしても、意図せず傷付く人がいるかもしれない表現は引っ込めるのが最適解か? 差別の助長を招く可能性があるならばその表現で差別をしてしまうような思考・メンタルにこそ対策する方が筋ではないのか。蓋をするような処置は差別する思考やメンタルはそのまま残る。単に顕在化せず見えなくなっただけ、正しい啓蒙が必要なのにその折角の機会を投げ出したのだ。表現の不自由さだけが残る。ポリコレがずっとやって来てる弊害だ。またも、キャンセルカルチャーの成功体験になり快楽を得、次なるターゲットを探す。

(※1) その可能性はある。が、差別をする方が問題でありその差別をしてしまう人らの無理解で起きるのだ。無理解が誤解と恐れ、嫌悪を生む。それが排除に動く。あれ? 何かに似ているよね? ほら、キャンセルカルチャーってヤツに。出発点がどうであれ・大義があっても、排除に向かうとやってる事は差別と同じになる不思議。ターゲットが変わっただけだ。反ヘイト活動家が自分達の味方以外にはヘーキでヘイトをするのと同じか?

(※2) オリジナルでは、主人公たち2人の創作の衝動と熱意の紙一重・表裏一体の(創作することが合わせ持つ)狂気性を表す第3のキャラの位置付けとも言えた存在なのに、修正後は運命の分岐を作る程度の役回りになってるだけだ。

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きっと幸せになりますよ(私が