三人の輪

pay it forward

恩送り、を受けた。これだ↓

恩送りとは、受けた恩を授けたその人に返すのではなく、それとは関係のない別の人に送る(贈る)=恩を回す、考え方だ。幼少の頃に父に「長い箸があってそれを使って食べるのは難しい。だが、人の口に持って行くのは簡単だ。それぞれが人をその箸で食べさせれば、輪になれば自分も人に食べさせてもらえる」ってな話聞かされた。しかし父はおよそ、自分から人様に何かをしてあげる(=イタズラ以外)ってなタイプではないのだけど(だから、父から聞いたのでなく私の記憶の捏造かもしれん)(^^)。まあそれはどうであれ、私の考えの下地にそれはある。自分がした事は良いことも悪いことも巡り巡って自分へ帰る・戻る的な意識として。だから、自分がされたくない事はなるべく人にはしない、自分がされたいことは出来ればまず自分から人にする、的な。実行出来てるかどうかは不問でw

映画『ペイ・フォワード 可能の王国』に出てくる”pay it forward “って概念も同じだ。自分が誰かに助けられたら代わりに他の助けが必要な人3人を助ける。それを繰り返せば世界中の助けが必要な人にも助けが行き渡る、って子どもが思い付き実践しそれが広がって行く話だ。


世の中、損得勘定の渦に巻き込まれている。年金の払い得・払い損論なんぞはまさにその種の悪い視点でしかない。小金を稼ぎたい経済通の口車に乗せられてる騙されている。年金は互助会システムで自分が将来、社会に養って貰うから現役世代の今、自分たちが養うって考えでPay it forward (恩送り)なのに。人口が減って行き、年齢構成が逆ピラミッドになってうまく動かなくなってる問題はあってもそれは運用と原資を他にも確保するか、ってな別の話だ。国保、健保、各種年金、生保は同様、基本はその考え方だ。税金は自分たちが行政サービスを受けるため、システムの維持管理に必要なお金に変わる。それを即物的に思考し過ぎるから、ふるさと納税の返礼品問題が起きてしまう。

たぶん、世の中がより幸せになるのにはきっとまず自分から(ナニカ=お金を含むお金だけじゃないナニカ)支払うのが良いのだろう。支払い過多でもよい。それなら世に善意が溢れ余ってることになるのだから(今は悪意の支払い過多な気がするね)。

きっと幸せになりますよ(私が