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なぜ「写真」なのか?

写真を始めて四半世紀が経ちます。
結構な飽き性なのですが
写真だけは続いています。

なぜ「写真」なのでしょうか?

一緒の仕事現場で出会った
とある写真家が話してくれた出来事が
自分の写真への情熱の原点なのです。


当時、駆け出しだったその写真家は
初めてアメリカでフォトギャラリーと契約をして
個展を開催することになりました。

客入りは順調。
会期も後半に差し掛かったある日、
一組の老父婦がギャラリーを訪れました。

老父婦は一枚の写真の前で
ずっと見入っている様子でした。

ギャラリーオーナーが
しばらく黙って見守っていると
その老夫婦が声をかけてきました。

  「この写真はおいくらでしょう?」

オーナーは値段を告げると

  「わかりました。残りは最終日までには用立ててくるのでまた来ます。」

オーナーは前金を受け取りながら
その老夫婦の写真への想いが気になったので
聞いてみることにしました。

  「いい作品ですよね。どのあたりが気に入りましたか?」

するとご婦人が静かに語り始めました。

  「私たちの子供たちは立派に成人して
    結婚もして、家を持ちました。
    これで親の役目は終わりました。
    これからは夫と二人で余生を過ごす時間です。
    そのために新しい家を見つけたの。
    二人で過ごすのにちょうどいい慎ましい家。

    この写真を見ていると
    これまでの人生を
    ゆっくりと振り返ることが
    できる気がするんです。

    ぜひ新しい部屋に飾って
    夫との時間を共に過ごしたいと思って…。」

言葉通りの優しい笑顔で老夫婦はギャラリーを後にしました。

オーナーはすぐに写真家へ連絡をしました。

  「最終日にはギャラリーに来るだろ?
    そんなお客、滅多にいないんだから
    会ってみたらどうだろう?」

オーナーの提案に対してその写真家はこう答えました。

  「その写真はもう自分のものではないよ。
    二人の写真になった時点で
    作家は必要ないだろう。」

ギャラリー展示の最終日、
約束通りにその老夫婦はやってきました。

梱包された写真を大切に抱えて
老夫婦はギャラリーを後にしました。


強く、とてつもなく強く刻まれた話は
今から20年以上前の話です。

それからずっと写真を撮っていますが
未だにそんなできことは
自分には起こっていません。

でもいつか、
いつの日か
たった一人でも良いから
その人の人生に
寄り添えるような
そんな一枚を残したい。

そう思いながら
今もシャッターを切り続けています。

だから「写真」なのです。

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