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はらぺこあおむしがちょうちょになること

・「人生の節目」という考え方が持てない。今日を境に新生活だぞ、みたいな意識をしたことが(思い返せば)(ほぼ)ない。これは卒業式が行われないとか、入社式がどうなるのかとかで、さして大きなダメージを受けているわけではない自分を意識してはじめて気がついたことだ。

・わたしにとって366日はもともと等価で、それぞれの日に起こる出来事(嬉しいことが起きた日とか、練習してきた演奏会があるとか)によってもちろん重要であるとかはあるし、「ああ、あの日を境にしてこんなこと考えるようになったなあ」とかはあるけど、それはあくまで事後的にその日の意味を認識したり与えるものであって、という意識があまりに強い。これは、 大きな見出しをもとにして思い出を作ったり、思い出したりすることが得意な人(自分の時代を区切るのが得意な人)は、「?」となる感覚だと思う。今の私でいうと、来月から「社会人になる」!というより、来月から「仕事をする」!という意識のほうが強い、みたいな。

・これは、日常の些事をひとよりよく覚えているせいもあったりするんだろうか?高校生の時に授業で、そういう子(妙に日常生活における出来事の記憶力が良くて周囲を若干ヒかせてしまう子)の小説を書いたことがあるが、その感覚はほとんどわたしの実感だった(今でもたまに、小さな出来事を忘れたふりをする)。

・「生身の推しに会う」ことのこだわりがない(むしろとても苦手)なわたしは、好きなアーティストがいるわりにライブなどへ出かけることが滅多にないのだが、それと似たような理由もある気がする。ライブのある1日が特別な意味を持つ(そしてそれを重ねることがファンとして支えになる)現場のあるオタク活動とわたしはとても相性がよくない。わたしにとって週刊の少年マンガを好きでいることはその点でとても心地がいい。7日に1度、少しずつ新しいことが起きる。物語は少しずつ進んでいって、毎週見せ場やヤマがあってそのどれもがちゃんと意味を持つ。毎週更新されるYoutubeラジオも多分その理屈で好きだ。

・むしろ、以上の考え方のせいで、何か起こる日に「特別な日にしなきゃ」という不必要な重圧を感じているのかもしれない。なぜならわたしにとってある日とは最初から特別なのではなく、後から特別にするものだからだ。世の中的には多分逆なんだと思う。旅行が晴れじゃなかったらどうしようとか、気にしすぎなくらい気にするし、晴れると嬉しいというよりとても安心する。多分それが過剰なせいで旅行を頻繁にできないんだと思う。

・日常を維持することが好き。どちらかというと規則正しいことが好き。自分の成長、よい変化はその中でこそ起こると思っている。

・ところで表題の話をする。「わたしのはらぺこあおむし」というアプリがあって、あの絵本のはらぺこあおむしにごはんをあげて運動をさせ、育てるという内容なんだけど、それをはじめた。はらぺこあおむしがかわいいので全員やってほしいんだけど、何回かごはんを食べて寝るとあおむしはちょうちょになる。わたしはあおむしがちょうちょになるのがかなしくてかなしくてさみしくてたまらなかった。ずっとあおむしのままボール遊びをしていられると思っていた。(重)

・人間のわたしにとって人生とは少しずつ大きくなってあおむし(小)からあおむし(大)になる過程であるというふうに捉えていたので、ある日決定的な何かがあってちょうちょになる日が来ることなんて全く考えていなかった。あおむしがきれいなちょうちょになる物語は、成長することの祝福のはずなのに、どうしてわたしはこんなに辛いんだ?ほんとうはもうとっくに何かの変化を突きつけられる年齢に達しているのにわたしは逃げ続けているのでは?そんなことはない。ちゃんと年々似合う服が変わっていくのも理解して、そのときそのときの可愛い服を着ているつもりだ。

・これは、人間の社会が悪いと思う。「社会的に成長した大人の姿になること」と、「性的な成熟」をファッション面で結びつけられすぎている(結びつけられることそれ自体は仕方のないことだと思う。人間は生き物だから)。成人式も卒業式もかなしい気持ちになんてならなかったけど(和装に対する抵抗がないし割とバリエーションがあって均質感がないから)、成人して新しいパーティードレスを買うときになんでこんなスケスケ腕出しばっかりなんだ!?ってキレた(自分用はそうじゃないのを頑張って探した)、リクルートスーツも体のラインが出るし、なによりああいったものを着ると「若い女です」という表示をしているような感じになってしまう。それも苦手だ。なぜかというと、わたしは常に漠然と集団から逸脱している(正常な部類に入れていない)と思い込んでいるので、ある種の属性であることを明示する比較的均質な格好をすると絶対にどこかおかしいと思い込んでしまうし、実際にどこかおかしい(と感じてしまう)のだ。別に何もしなくても変な若い女なので気にしなくていいのにとは思うけど、私服でいれば勝手に見た目に見合った年齢を想像してそんなにおかしがらないでもらえている気がしているのでその保険が外れちゃうのが痛い。

・たとえばわたしになにか突然外見上の変化や何か劇的な変化とか、突きつけられるタイミングがあったとして。これからどこかできっとあるだろう。はらぺこあおむしがちょうちょになる感じで大人になると考えればそんなに無理なことではないかもしれない。わかんないけど。泣くかもしんないけど。

・はらぺこあおむしはちょうちょになりたかったのかな。なれてうれしいのかな。うれしいのかもしれないね。うれしくなくてもなるしかないのに、勝手にびっくりしてごめん。ついでにわたしがめちゃくちゃ進化Bキャンセルしてる手持ちポケモンたちにもこの場を借りて謝罪したい。まるっとしたポケモンが突然フェミニンなかんじになったり、雄々しくなったりすることを全然受け入れられなくてごめん、ポケモンたちはただ大人になりたいだけなのにね(でもいつまでそんなジェンダーごりごりなキャラデザなんだろうとは思う)(マホイップにオスがいないのはどうしてなんだいゲーフリくん)

・ちなみにアプリの話。1匹のはらぺこあおむしをちょうちょにするとまた、新しいあおむしのたまごが出てくる。その後ろには、さっきちょうちょになったあのこが飛んでいる。あおむしがちょうちょになっても、どうやら世界は連続しているらしい。

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