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お城じゃない場所で

『プリンセスなら、どうしてお城を出てそんな場所なんかに?』

 わたしが子どもの頃、わたしがプリンセスであるということは隠すべきことだった。家の奥の引き出しには魔法の杖やティアラが眠っていることは、お父さんとお母さんとわたしだけが知っていることで、わたしも心から「そうであるべき」と信じていた。(今もわざわざ言うべきことではないという思いは変わっていない)
 プリンセスだからといってお城の中だけで生きていくわけではないーー少なくともわたしはそういうプリンセスであった。どうせお城の中にいたって大変なことはあるものだ。貴族の通う全寮制魔法学園に通ったって、メイドや執事と暮らしていたって、大変なことはあるものだ。
 色々なことを知る必要があった。もし山賊がやってきてしまったらどう身を守るか、ランゲルハンス島とは何なのか、など。よりゆたかに健やかに生きるため。
 プリンセスであるということを隠して綱島の小学校に入学した。毎朝高らかに『ごきげんよう』と言うのが変なのでいじめられたり、千葉の畑の真ん中に引っ越したらジャングルジムの登り方を教えてもらったり、私へのいじめや意地悪が行きすぎてかえって浮いてしまったいじめっ子に謝られて許したりした。
 プリンセスなのにいじめられるなんてひどい、って?ーー忘れないでほしい。誰もがいじめられてはならないのだ。たとえ「ごきげんよう」と言う小学生がヤバく見えても、いじめるほうが悪いのだ。鍵をかけずに家を出て空き巣に入られた時裁かれるのは誰? 実行犯と空き巣組織の親玉です。
 「いじめをするしかなかった子」がいたこと。最悪の経験かもしれないけど、わたしが怒るべきはあのこじゃなかったことを今は少しだけわかる。つらいけど、なかったほうがいいけど、それを経験しなかった私はこの世にもう存在しないので、それならばせめてその経験を燃やし鈍くとも光るわたしを。
 プリンセスだけど身を隠して世に放たれて、辛いこともあったけど楽しいこともあった。そう、逆説の文章は後の部分の方が重要です。
 お城の庭には生えていない不思議な植物。言いたいことを話せばわかってくれる山賊もいること。慣習の違う他国にも装いの違う姫がいること。
 忘れないでほしいこと。わたしがちゃんとしあわせに生きられているということ。今のわたしだからあなたに出会えたということ。
 あなたに出会えてうれしいということ。

 大人になった私は、実はプリンセスであるということをもうひた隠しにはしなくなった。でもティアラについているルビーの数や領地の広さも年収も貯金額も秘密である。隠していることには無限の可能性があるからね。

『プリンセスなら、どうしてお城を出てそんな場所なんかに?』
 このセリフを聞くことがある。具体的にはここ数ヶ月で2度あった。聞くたび、胸がちりちりと焼ける感じがして半日も経つと少し大きめの火傷になってしばらく痛む。

 『なんか』じゃない。『なんか』じゃあないんだよ。たとえ『なんか』だったとしても、それを言っていいのはそこにいたわたし自身だよ。

 お願いだから、言わないで。そう思ったのならそう言えばいいのだけど。言えたためしがないーーそれを言って「そっか、そうだよね」と言ってくれそうに思える人はそんなことを言わないでいてくれるから。あきらめが少し早いのは私のとっても悪い癖なんだけど、もう少し他人のことを信用したいのはやまやまなんだけど。少しだけ出せた勇気で今これを書いている。

 お城とお城じゃない場所だったらお城の方がゴージャスだと思ったから、ゴージャスなほうがよいと思う人が、そう聞いたのかもしれない。
 友達のプリンセスが傷つくかもしれない場所にいたということが許せなかったのかもしれない。
 実はその人はお城の中で育って、他の場所でプリンセスが放牧されていたということが信じられないのかもしれない。未知の場所と出来事を怖がるのは自然だ。

「でも、安心して欲しい」
 私は言いたかった。
「私がいた場所は『なんか』じゃなかったよ」
 私は言いたかった!

 どうせお城の中にいたって大変なことはあるものだ。貴族の通う全寮制魔法学園に通っても、執事やメイドと暮らしていても、中高一貫校に通っていても、大学附属校に通っていても、大変なことはあるものだ。それくらいわかる。私はもう大人のプリンセスだから、それくらいわかる。
 そしてそれぞれに楽しいことがあるということも、わかる。
 なぜなら私もまたそうだから。
 そして、わたしは歩いた道を巻き戻すことは決してなく、あとはもう、歩いた道を正解にするしかないということ。
 それを、よく分かっているのだ。

「人の想像力には個々人で限界があるということを、知っています」
 私はさらに言うだろう。
「それでも、少しだけ、少しだけでいいので頑張って想像してみてくれませんか」
 わたしとあなたが一緒にいる間だけでも。一緒にお茶を飲む間だけでも。

 他国のプリンセスにもつらいことがあるかもしれないということ。山賊の食べてる骨付き肉は実はおいしいかもしれないということ。お城の暮らしは思ったより窮屈じゃないかもしれないということ。ただトイレが各階にないかもしれないということ。
「もう一度だけ、考えてみてもらえませんか」

 憶測をもとにした断定を、どうしても言いたくなったらせめてどうかでっかいケーキの影などで。オフラインなら表情を見ながら、誤解を訂正することだってできるかもしれないから。お願いだから。せめて私の目の前で言って。
 次はちゃんと、きっと、言えるから。

 私が城だと思った場所が私の城である。私が魔法の杖だと思えばクイックルワイパーもそうである。その思いこそが私を真にプリンセスたらしめると、私は信じる。
 あの時山賊に見えたあの子も、ひょっとしたら山賊の国のプリンセスだったかもしれない。


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